第4話
「ええ……またトラブル?」
私は、苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。
使用人に呼ばれ、揉めているという場所へ向かう。母が亡くなってから、屋敷の使用人の愚痴や困り事は、なぜか私のところへ持ち込まれるようになった。
お父様は書斎にいるはずだし、お兄様も屋敷にいるのに。それなのに、こういう細かな話で呼ばれるのは、いつも私だった。
向かった先では、侍女が三人、廊下で立ち尽くしていた。
「だから、それは私の仕事ではありません」
「でも、今日は忙しいんですよ。私には無理です」
「私だって、昨日やりましたし……」
「……どうしたの?」
声をかけると、全員が一斉にこちらを見る。
「エリナ様……」
「実は……」
話を聞くほど、眉間に力が入るのが分かった。
……私、今、絶対変な顔してる。
口には出さなかったけれど、内心はため息でいっぱいだった。
そして――話は、拍子抜けするほど単純だった。
来客対応、洗濯、夕方の支度。三人とも、自分の担当ではないと言い張っているだけだった。
「……」
私は一度目を伏せ、それから顔を上げた。
「今日の指示は、私が出します」
三人が、ぴくりと反応する。
「あなたは来客対応。あなたは洗濯と部屋回り。あなたは夕方の準備」
間を置かずに続けた。
「明日は配置を入れ替えます。今日は、この割り振りで進めてください」
三人は互いの顔を見合わせた。
「……はい」
「分かりました」
「……承知しました」
全員が視線を逸らしながら頷き、それぞれの持ち場へ散っていく。廊下には、私一人が残った。
仕事が終わらないのは困る。揉め続けて、何も進まないのはもっと困る。
そう言いたかったけれど、口には出せなかった。私は女主人ではないし、使用人たちに命じる権利だって、本当は持っていない。
「……ふぅ」
小さく息を吐く。
母がいれば、こんな揉め事は起きなかったのに。屋敷全体を見渡して、その日の仕事を割り振る人がいないから、こうなってしまう。
「来客って、誰かしら……。まあ、いいか。当番表、作り直そう……」
一人で呟き、私は自室へ戻った。
◆
もぐもぐ。
「……これ、少し湿気てる?」
残り物のクッキーをかじりながら呟く。
机の端には、冷めた紅茶とクッキーの皿。それらを脇に置いたまま、私は新しい当番表と向き合っていた。
「ええと……なるべく公平になるようにして……」
洗濯や各部屋の清掃、夕方の支度。一人に負担が偏らないよう、日ごとに担当をずらしていく。
「……これで、しばらくは大丈夫かな」
クッキーに手を伸ばし、半分だけかじる。
「……やっぱり、湿気てる」
そのとき、扉が叩かれた。顔を上げると、侍女が一人、扉の前に立っていた。
「リディア様がお呼びです」
「お姉様が? ……今?」
侍女は、少し困ったように頷く。
「お急ぎのようで……」
胸の奥に嫌な予感が広がった。私はペンを置き、椅子から立ち上がる。
姉の部屋は、相変わらず慌ただしかった。
寝台の上には二着のドレスが広げられ、椅子の背には何枚ものショールが掛けられている。化粧台には蓋を開けたままの宝石箱が置かれ、使用人たちが髪飾りや手袋を手に、部屋の中を行き交っていた。
……見ていない。
見覚えのない宝石も、新しい靴も、何も見えていない。
「あ、来た」
鏡の前に座っていた姉は、私を見るなり声を上げた。
「ちょうどよかったわ」
「なに?」
「夜会がね、重なったの」
「……え?」
思わず聞き返すと、姉は当然のことのように肩をすくめた。
「だから、夜会が二つ重なったのよ」
「ええっ……どうするの?」
「仕方ないでしょう。そういうこともあるの。社交って、そういうものなのよ?」
――それは、お姉様が予定をきちんと確認していなかっただけでは。
そう思ったのが顔に出ていたらしい。姉は鏡越しにこちらを見ると、何でもないことのように続けた。
「それでね。片方は、あなたが行って」
「……は?」
「大丈夫でしょう。顔を出すだけだもの」
言葉を失う。
「私、夜会なんて……」
「知ってるわ」
被せるように言われた。
「だから、短時間でいいの。主催者に挨拶して、少し会場にいて、それから帰ってきなさい」
「でも、何も準備していないし……」
「ドレスなら、あるでしょう」
姉は、私の部屋がある方角を顎で示した。
――似合わないドレスなら、山ほどあるけれど。
縋るように部屋の中の侍女たちを見渡す。誰もこちらを見なかった。皆、聞こえていないふりをして、姉の支度を続けている。
「……分かった」
気づけば、そう答えていた。
姉は満足そうに頷く。
「助かるわ」
私は、そのまま姉の部屋を出た。
廊下に出た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりと形を持ち始める。
「……顔を出すだけ、ね」
たった、それだけ。
お姉様にとっては。
自室へ戻ると、すでに侍女が一人、待っていた。
「お着替えの準備をいたします」
……お姉様、こういうときだけ段取りがいいんだから。
「……急ぎでお願いします」
侍女は頷くと、クローゼットを開いた。
鮮やかな色、凝った刺繍、大きな飾り。どれも美しいけれど、私が着ると……どうなるのだろう。
侍女は何着かを確認し、その中から一着を取り出した。
「今の季節でしたら、こちらがよろしいかと」
その中でも、いちばん無難で――いちばん私に似合わなさそうな色だった。
「これ、よね……」
「はい。夜会用としては、問題ございません」
ドレスは問題ない。
着る人間との組み合わせが問題なだけで。
侍女に手伝われ、袖を通す。背中の紐が、きゅっと締め上げられていく。
「う……」
「苦しくはございませんか?」
「……大丈夫」
鏡の中の私は、どこか他人のようだった。
ドレスを着ることに、多少の憧れはある。恋愛小説に出てくる令嬢たちのように、美しく着飾って夜会へ行く。そんなことを、考えたことがないわけではない。
だけど――。
「……変では、ないかしら」
ぽつりと尋ねる。
侍女は一瞬だけ言葉を選び、それから答えた。
「きちんとして見えます」
「きちんと、ね……」
つまり、似合ってはいないということだ。
「……顔を出すだけだもの。目的は、それだけ」
いいのよ。別に、似合わなくたって。
そう言い聞かせながら、私は手袋をはめた。
「……行ってきます」
誰にともなく呟いて、私は部屋を出た。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
ブクマや感想・評価など頂けたら、励みになります!
◆現在のメイン連載はこちら↓
『転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます』※ざまぁ系ではありません
→https://ncode.syosetu.com/n5770ky/
◆Twitterでも更新情報や裏話を流してます!
→ @serena_narou




