第3話
屋敷に戻った頃には、空がすっかり茜色に染まっていた。
門をくぐると、使用人が一人、遅れて頭を下げる。
「……お帰りなさいませ」
「ただいま」
声が、思ったよりも掠れていた。
「……いっぱい話したから」
応接で張り詰めていた糸が、ようやく切れた気がする。
廊下を歩きながら、靴音だけがやけに大きく響いた。
――そのまま部屋に戻りたい。
けれど。
「……お父様には、報告しないと」
父の執務室の方向へ向かった。
部屋の前で一度、深く息を吸ってから、扉をノックする。
「……失礼します」
返事を待たずに入ると、父は書類から顔も上げなかった。
「終わったか」
「はい。暫定案で、先方も合意しました」
「そうか」
……いつも通りの反応だ。
「では――」
「あとで報告書を置いておけ」
顔を上げないまま、父は言う。
私は小さく頷いた。
「……分かりました」
執務室を出る。
扉が閉まった瞬間、肩の力が抜けた。
「……やっと、終わった」
◆
自室へ向かう廊下の途中で、足が止まった。
姉の部屋の扉が、開いている。
「……また夜会?」
中では使用人たちが忙しなく動き回り、
ベッドの上には――見たことのないドレスが広げられていた。
「また買ったの?」
ぎょっとして、思わず声が出る。
姉は鏡越しに、ちらりとこちらを見た。
「当たり前でしょ。今度は重要な夜会なんだから」
「でも、この間仕立てたばかりじゃ?」
「だから?」
姉は何でもないことのように言う。
「夜会ごとに雰囲気を変えないと、失礼でしょ」
「……だからといって」
――うちは、裕福じゃない。
そう言いかけて、言葉が喉で止まった。
姉は鏡の中で口紅を引き直しながら、淡々と言う。
「それは、お父様が考えることでしょ」
私は、何も返せなかった。
口だけが、情けなく開いたままだった。
開いた扉の向こうをふと見ると、廊下を通り過ぎる兄の姿が見えた。
「……お兄様」
呼び止めると、兄は振り返りもせずに歩き続ける。
私は慌てて追いかけ、言った。
「お姉様、またドレス買ってて……」
兄は足を止めないまま、即答した。
「必要経費だろ」
「でも、この間仕立てたばかりで――」
「夜会に出るのは姉さんだ」
被せるように言われ、言葉が詰まる。
「……そうだけど」
兄は、面倒そうに肩をすくめた。
「人前に出るのが苦手なお前の代わりに、
姉さんが参加してくれてるんだろ」
一瞬だけ、横目でこちらを見る。
「感謝しろよ。姉さんに」
「……はい」
そう答えた声は、自分でも驚くほど小さかった。
兄はそれきり、振り返らずに行ってしまった。
◆
姉のドレス――あのデザインは。
王都で人気の仕立て屋〈ル・クローネ〉のものだ。
……想像しただけで、頭が痛くなる。
姉のお下がりをもらうおかげで、変に目だけは肥えてしまった。
生地の質も、縫い目の細かさも、嫌でも分かる。
「水路の修繕費の積み立ても、考えなきゃいけないのに……」
思わず、頭を抱える。
ふと、姉の声が蘇った。
『夜会なんて退屈でしょう?
見知らぬ人と話すの、苦手じゃない』
……その通りだ。
仕事の話なら、いくらでも言葉が出てくる。
数字も条件も、頭の中で整理できる。
でも、雑談になると途端に口ごもってしまう。
『私が行ってあげる』
そう言われたとき、ありがたいと思った。
実際、助かっている。
姉は私と違って華やかだ。
立派に、家の顔を務めている。
――でも。
クローゼットの隙間から、はみ出したドレスの生地を見る。
「そんなに、着飾る必要あるの?」
前に、ぼやいたことがある。
姉は、当然のように言った。
『家の体面ってものがあるでしょ』
……確かに。
お金がないなんて、世間に知られるわけにはいかない。
机の上。
書類に埋もれていた一冊の本を引っ張り出す。
恋愛小説。
私の、ささやかな趣味だ。
読んでいる間だけは、現実を忘れられる。
「最近、まともに読めていないな……」
ぱらぱらと頁をめくる。
夜会か……。
姉みたいに社交性があったら、
こんな出会いも、自然にあるんだろうか。
「……はぁ」
本を閉じて、ベッドに倒れ込む。
そのまま、眠りに落ちた。
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