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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳(福島リカ)
一章

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第3話

屋敷に戻った頃には、空がすっかり茜色に染まっていた。


門をくぐると、使用人が一人、遅れて頭を下げる。


「……お帰りなさいませ」


「ただいま」


声が、思ったよりも掠れていた。


「……いっぱい話したから」


応接で張り詰めていた糸が、ようやく切れた気がする。


廊下を歩きながら、靴音だけがやけに大きく響いた。


――そのまま部屋に戻りたい。


けれど。


「……お父様には、報告しないと」


父の執務室の方向へ向かった。


部屋の前で一度、深く息を吸ってから、扉をノックする。


「……失礼します」


返事を待たずに入ると、父は書類から顔も上げなかった。


「終わったか」


「はい。暫定案で、先方も合意しました」


「そうか」


……いつも通りの反応だ。


「では――」


「あとで報告書を置いておけ」


顔を上げないまま、父は言う。


私は小さく頷いた。


「……分かりました」


執務室を出る。


扉が閉まった瞬間、肩の力が抜けた。


「……やっと、終わった」



自室へ向かう廊下の途中で、足が止まった。


姉の部屋の扉が、開いている。


「……また夜会?」


中では使用人たちが忙しなく動き回り、

ベッドの上には――見たことのないドレスが広げられていた。


「また買ったの?」


ぎょっとして、思わず声が出る。


姉は鏡越しに、ちらりとこちらを見た。


「当たり前でしょ。今度は重要な夜会なんだから」


「でも、この間仕立てたばかりじゃ?」


「だから?」


姉は何でもないことのように言う。


「夜会ごとに雰囲気を変えないと、失礼でしょ」


「……だからといって」


――うちは、裕福じゃない。


そう言いかけて、言葉が喉で止まった。


姉は鏡の中で口紅を引き直しながら、淡々と言う。


「それは、お父様が考えることでしょ」


私は、何も返せなかった。

口だけが、情けなく開いたままだった。


開いた扉の向こうをふと見ると、廊下を通り過ぎる兄の姿が見えた。


「……お兄様」


呼び止めると、兄は振り返りもせずに歩き続ける。


私は慌てて追いかけ、言った。


「お姉様、またドレス買ってて……」


兄は足を止めないまま、即答した。


「必要経費だろ」


「でも、この間仕立てたばかりで――」


「夜会に出るのは姉さんだ」


被せるように言われ、言葉が詰まる。


「……そうだけど」


兄は、面倒そうに肩をすくめた。


「人前に出るのが苦手なお前の代わりに、

 姉さんが参加してくれてるんだろ」


一瞬だけ、横目でこちらを見る。


「感謝しろよ。姉さんに」


「……はい」


そう答えた声は、自分でも驚くほど小さかった。


兄はそれきり、振り返らずに行ってしまった。



姉のドレス――あのデザインは。


王都で人気の仕立て屋〈ル・クローネ〉のものだ。


……想像しただけで、頭が痛くなる。


姉のお下がりをもらうおかげで、変に目だけは肥えてしまった。

生地の質も、縫い目の細かさも、嫌でも分かる。


「水路の修繕費の積み立ても、考えなきゃいけないのに……」


思わず、頭を抱える。


ふと、姉の声が蘇った。


『夜会なんて退屈でしょう?

 見知らぬ人と話すの、苦手じゃない』


……その通りだ。


仕事の話なら、いくらでも言葉が出てくる。

数字も条件も、頭の中で整理できる。


でも、雑談になると途端に口ごもってしまう。


『私が行ってあげる』


そう言われたとき、ありがたいと思った。

実際、助かっている。


姉は私と違って華やかだ。

立派に、家の顔を務めている。


――でも。


クローゼットの隙間から、はみ出したドレスの生地を見る。


「そんなに、着飾る必要あるの?」


前に、ぼやいたことがある。


姉は、当然のように言った。


『家の体面ってものがあるでしょ』


……確かに。

お金がないなんて、世間に知られるわけにはいかない。


机の上。

書類に埋もれていた一冊の本を引っ張り出す。


恋愛小説。

私の、ささやかな趣味だ。

読んでいる間だけは、現実を忘れられる。


「最近、まともに読めていないな……」


ぱらぱらと頁をめくる。


夜会か……。

姉みたいに社交性があったら、

こんな出会いも、自然にあるんだろうか。


「……はぁ」


本を閉じて、ベッドに倒れ込む。


そのまま、眠りに落ちた。

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『転生姫はお飾り正妃候補?愛されないので自力で幸せ掴みます』※ざまぁ系ではありません

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