表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/186

第6話

家族が出かけてから数日。


屋敷に人の気配は少なくなったが、仕事は途切れなかった。


「エリナ様、水路下流側から確認の書簡が届いております」

「収穫量の報告書も、こちらに」


差し出された紙束を受け取り、ざっと目を通す。どれも一つ一つは小さなことだけれど、放っておけば積み重なって面倒になる。


「水路の件は、私が確認します。収穫量が増えているなら、納屋の空き状況を確認して。搬出の回転が追いついているかも見ておいて」


指示を出すと、控えていた執事が一礼した。


「かしこまりました。確認のうえ、午後にはご報告を」


そう言って下がっていくのを見送り、私はふう、と息を吐いた。


……やっぱり、残ってよかったのかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥がすっと冷える。


つまり……私がいないと、この家は成り立たないのでは――?


ずっとこうだったはずなのに、なぜか今になって胸が重くなった。


父の政務室を出て、自室へ戻る。扉を開けると、柔らかな香りが鼻先をくすぐった。


窓辺の小さな卓には、あの花が飾られている。市で渡された花束は、いくつか花びらを落としたものの、まだ鮮やかな色を残していた。


「……もちがいいなぁ」


花瓶の水を替え、傷んだ茎の先を少しだけ切る。


――ただの実演だ。


あのときの低い声が、ふいによみがえった。


「それでも……」


花をもらうなんて、物語の中だけの出来事だと思っていた。


呼び鈴を鳴らすと、侍女がすぐに現れる。


「紅茶をお願い」

「かしこまりました」


一礼して下がった侍女は、しばらくすると湯気の立つ紅茶を運んできた。


「ありがとう」


今日は仕事も一区切りだ。久しぶりに本棚へ手を伸ばす。


「久しぶりに読めるな……どれにしよう」


選んだのは、若い伯爵と令嬢の恋愛物語だった。


ソファに腰を下ろし、紅茶の湯気を眺めながら頁をめくる。


――冷静沈着な伯爵は、令嬢を街へ連れ出した。


『君に見せたいものがある』


二人は広場を歩き、茶屋で向かい合い、最後に伯爵が季節の花を一輪差し出す。


『これは、今日の記念だ』


「……え?」


手が止まった。


もう一度、その頁を読む。


街に行って。

お茶して。

花をもらって。


ぱたり、と本を閉じた。


頬がじわりと熱を帯びる。


「これ……一緒……?」


紅茶のカップを持つ手が、わずかに震えた。


「……いや、違うわよね」


慌てて首を振る。


あれは視察だ。領地より人を見る日だと言っていたし。


『お前も含めてな』


馬車の中で聞いた言葉が、やけにはっきりと思い出される。


「どういう意味だったのかな……」


本を膝に置いたまま、天井を見上げる。


「まさかね……」


だって、知り合って間もないのよ?

それに年も離れてるし……お姉様の方がお似合いだわ。


姉の姿が浮かぶ。父譲りのブロンドに、切れ長の青い目。誰が見ても目を引く、整った顔立ち。


それに比べて――


鏡台に映る自分を見る。


母譲りの黒い髪に、目立たない顔立ち。


「はぁ……」


机に額をつけるように伏せる。


お姉様みたいだったら……


――がばっと顔を上げた。


「! な、何言ってるの……!?」


ぶんぶんと首を振る。


「ないない!」


……そんなことない!


そう思っているのに、なぜだか少し落ち着かない。


視線が、また花へ向かう。


「……次の会でも、会えるのかな……」


ぽつりと漏れた言葉に、自分で驚いて口を押さえた。


それでも、次に会えるかもしれないと思うと、ほんの少し楽しみだった。頬がまた熱くなる。


「……小説の読みすぎよ」


誤魔化すように、紅茶を一口飲む。


次に会ったら、何を話そうかな。


仕事の話の方が、いいよね。

……殺伐としているけど。


紅茶を飲みながら、あの日の出来事を思い返す。


市の喧騒や花の香り。川沿いの茶屋で向かい合って話した時間。そして、帰り道の馬車から見た景色。


区切られた畑に、よく手入れされた道。川には何艘もの船が行き交っていた。


「……」


ふと、眉が寄る。


なんで、あんなに差があるんだろう。


資金が違うのは分かる。規模が違うのも分かる。


でも――


そもそも、なんでうちはお金がないの?


考えたこともなかった。


「……あれ?」


兄と父が管理している。それが当たり前だと思っていた。


私は納屋の在庫を数え、村から上がる苦情を聞き、必要な書類をまとめて兄に渡している。


なのに、家の資金がどこから入り、どこへ出ていっているのかは知らない。


「……私も、見た方がいいよね……?」


紅茶を机に置き、そのまま部屋を出た。


政務室へ向かう廊下の途中で、侍女に呼び止められる。


「エリナ様。お客様が」


「え?」


足を止めた。


「旦那様に面会をと」


「お父様? ……どうしよう……」


父の言葉がよみがえる。


――不在だと伝えておいてくれ。


確かに、そう言われている。


ただ、わざわざ屋敷まで足を運んでもらっているのに、用件も聞かずに帰してしまうのはどうなのだろう。


「……用件だけ、聞いておこうかな……」


小さく呟く。


「どなた?」


侍女は、わずかに視線を伏せてから答えた。


「商会の方のようです……」


「……商会?」


胸の奥に、妙な引っかかりが残った。


「……通して」


そう口にしながら、自分でもなぜ気になったのかは分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 金銭管理の労苦まで押し付ける気になれなかったのか、打ち明けづらい闇の金や散財でもあるのか、気になる要素が出てきましたね。  己や家を客観視するきっかけやら、他方から救いの貴公子めいた存在の到来でおと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ