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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
三章

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第5話

沈黙が落ちた。


アーネスト様は珈琲を一口含み、

ゆっくりとカップを置いた。


「お前がいなくなったら、その家は回るのか」


「……え」


反射的に言葉が出た。


「無理です」


言った瞬間、はっとして口を押さえた。

即答してしまった。


「無理、か」


俯く。


「兄は……判断はできます。

 でも、細かい調整や揉め事は長引きますし……

 全部を回すのは、難しいと思います」


口にしながら、胸の奥がざわついた。


「一生、兄の隣で生きるのか」


「え……そんな……」


否定しかけて、言葉が止まる。


考えたことが、なかった。


兄の隣で、足りないところを埋める。

それが続くものだと、

どこかで決めつけていた。


「縁談の話は」


「……ありません」


「一件もか」


「……はい」


胸が、ひやりと冷えた。


そういえば――

名前が挙がったことはあっても、

具体的に進んだことはない。


兄も父も、

いつも話題を変えていた。


「都合がいいな」


思わず顔を上げた。


「都合……?」


「手放す理由がない。

 それが“家族の務め”か」


指先が、わずかに震えた。


私は――

家族を支えていると、思っていた。


でも、もし。


支えていたのではなく、

都合よく使われていただけだとしたら。


アーネスト様は窓の外の川を見たまま言う。


「お前は、どうしたい」


思考が、真っ白になった。


「……どうしたい、とは?」


「お前の人生の話だ」


淡々とした声だった。


「支える側でいるのか。

 前に立つのか。

 それとも――別の場所へ行くのか」


こちらを見る。


「選ばない限り、流れは変わらない」


胸の奥がざわつく。


「わ……わかりません……」


声が震えた。


今まで。

家族だから。

大切な相手だから。

私が頑張らないと。


それが正しいと、疑いもしなかった。


それに――


「爵位は、兄が継ぐことは決まっていますし……」


言葉が途切れる。


「結婚の話なんて……ありませんし……」


私に、選択肢なんてないのではないか。


膝の上で、指先をぎゅっと重ねる。


「選択肢ならある」


瞬きをする。


「家に残り、兄の隣で働き続ける。

 だがその場合、条件を持て」


「……条件?」


「肩書きだ。

 責任の所在を明確にしろ。

 口約束ではなく、書面で残せ」


息が詰まった。


そんな発想は、なかった。


「婚姻を選ぶ。

 だが“嫁ぐ”のではない。

 役割を持って移れ」


アーネスト様はカップを持つ。


「自分の立場を作れ」


「……立場?」


「家の中ではなく、外にだ。

 顧問でも、監督でもいい。

 名を出せ」


紅茶の湯気が揺れる。


「お前は、もう仕事ができる。

 問題は、名義がないことだ」


その言葉が、静かに突き刺さった。


「……そんなこと、父が許すでしょうか」


「許させる」


即答だった。


「家を回せる人間を、無条件で縛れると思うな。

 交渉してみろ」


交渉する側になるという発想。

一度もなかった。


アーネスト様は、わずかに視線を戻す。


「例えば――俺と縁談を進める場合でも同じだ」


「……え?」


思わず目を見開く。


アーネスト様は珈琲を口にする。


「どこへ行くにせよ、立場を持てと言っている。

 名のない働き手になるな」


ぽかんとしてしまう。


アーネスト様は焼き菓子を顎で示した。


「冷めるぞ」


はっとして手を伸ばす。


小さく一口かじると、

甘さがゆっくりと広がった。


「……美味しい……」


思わず小さな声がこぼれる。


アーネスト様は静かに言う。


「選ぶ練習だ」


「……え?」


「小さいことからでいい」


窓の外では、川が流れている。

止まらずに。



馬車は、茶屋を離れてもなお静かに揺れていた。


窓の外には、川沿いの道と、遠ざかる市の気配。

さっきまでの喧噪が嘘みたいに、風の音だけが耳に残る。


私は花束を膝に抱えたまま、

ぼんやりと外を見つめていた。


――昨日から今日までのことを、頭の中でなぞる。


市の広さ。

荷揚げ場の流れ。

茶屋で飲んだ紅茶の香り。


そして、

「立場」「名義」「条件」――

簡単に口にされて、胸の奥に沈んだ言葉たち。


……私、知らなかったんだな。


世間のことも。

家のことも。


ふいに、母の声がよみがえる。


――家のこと、お願いね。


あの言葉は、どういうつもりで

私に残されたのだろう。


今は、胸の奥が少しだけ痛む。


選ぶことなんて、できるのかな。


指先が膝の上で絡まる。

息を吸っても、うまく落ち着かない。


ちら、と向かいを見る。


アーネスト様は書類に目を落としたまま、

黙々と頁をめくっている。


……この人は、どうして私に教えてくれたのだろう。


ただの気まぐれ?

それとも――


答えは出ないまま、

私はまた窓の外へ視線を戻した。


川面が、夕日を受けて赤く染まる。


「あれ……」


ぽつりと声が漏れた。


そういえば。


「……あの。今日、領地視察って言ってませんでしたっけ?」


「視察だ」


短く答える。


「だが今日は、数字より人を見る日だ」


一瞬だけ、こちらを見る。


「お前も含めてな」


馬車の揺れの中で、

その言葉だけが妙にはっきりと響いた。

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― 新着の感想 ―
言う通りにしたら父親や兄に殴られ地下牢に監禁して反省するまで出さず食事抜きにされる未来しかなさそう。 踏んづけてるのが通常状態の奴隷に反抗してくるんだよ。怒り狂って何してくるか分からないんだから軽々し…
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