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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
三章

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第4話

市の中心から少し外れた場所に、その茶屋はあった。


川に面して建つ二階建ての木造建築で、白壁には汚れひとつなく、軒には落ち着いた彫刻が施されている。


「……すごく立派……」


思わず足を止める。


市中の茶屋とは思えない。街の中心にあっても、違和感のない佇まいだった。


「商人の顔が集まる場所だ」


隣でアーネストが言う。


「川を使う商いは、金額が大きい。軽く扱えば、信用が落ちる」


なるほど、と小さく息を呑む。


アーネストが扉を押し開けると、中には木の香りが残る広い空間が広がっていた。一階には長机が並び、帳面を広げた男たちが低い声で話し込んでいる。


入ってきた私たちに気づき、数人がこちらを見る。


だが、交わされたのは軽い会釈だけだった。


アーネストも同じように、小さく顎を引く。


――え……それで終わり?


男たちは何事もなかったかのように、再び話し合いへ戻っていった。


「いらっしゃいませ」


奥から店主らしき男が現れた。慌てる様子もなく、普段と変わらない様子でこちらを迎える。


「二階を使う」


「かしこまりました」


そのまま階段へ案内される。


私は後を歩きながら、一階を振り返った。


誰もこちらを見ていない……。


それが、かえって印象に残った。


二階は一階よりも人が少なく、窓際の席からは川と荷揚げ場が見渡せた。船が行き交い、木箱が次々と運ばれていく様子が小さく見える。


「座れ」


促され、向かいに腰を下ろす。


ほどなくして茶が運ばれてきた。店主が一礼して下がったところで、私は小声で問いかける。


「……領主が訪れても、皆さん、挨拶に来られないのですね……」


アーネストは茶を一口含んでから答えた。


「挨拶のために手を止めれば、その分だけ流れが鈍る」


視線は窓の外へ向けられている。


「ここは商いの場だ。私が来たからといって、優先順位が変わることはない」


「優先順位……」


その言葉が胸に残る。


兄も父も言っていた。


『領民は領主を立てるべきだ』


『秩序は上下で成り立つ』


それが当然なのだと、疑いもしなかった。


でも、ここではそれぞれが自分の役目を優先している。


それでも、無礼には見えない。


私は窓の外へ目を向けた。


川は止まらず、流れている。


もしかして。


止めていたのは領民ではなく――立場にしがみついていた、領主の側だったのだろうか。


やがて店主が卓上に品書きを置き、その場を離れた。


焼き菓子に、蜂蜜漬けの果実。塩味の干し肉や、川魚の軽い炙り。それに酒の種類もいくつか並んでいる。


「……」


どれにしよう。


正直、よく分からない。こんな店に入ったことは、ほとんどなかった。


甘いものがいいのか、それとも軽い食事のようなものがいいのか。


「……迷うな」


思わず口に出してしまい、はっとする。


ちらりと向かいを見る。


アーネストは何も言わず、茶を口にしながらこちらを見ていた。


「すみません……」


自分でも驚くほど、小さな声になった。


令嬢なら、こんなことで迷わず選ぶべきなのだろうか。


アーネストは茶を置いた。


「迷うことが、なぜ悪い」


顔を上げる。


「選ぶということは、考えているということだ。好きなものを選べ」


「……はい」


少しだけ肩の力が抜ける。


私は焼き菓子と紅茶を頼んだ。今は甘いものが食べたかった。


アーネストは「コーヒーを」と短く告げる。


注文を終えると、私は手持ち無沙汰になり、膝の上で指先を揃えた。


何か話した方がいいのだろうか。


そう考えていたときだった。


「お前の家では、何を任されていた」


低い声が落ちる。


「え……」


思わず顔を上げた。


「えっと……水路の見回りとか、収穫の数をまとめたりとか……」


思い出しながら答えていく。


「揉めごとがあれば、話を聞きに行きました。兄に渡す前の書類も、分かりやすいようにまとめていました」


どれも、目立つような仕事ではない。


私はカップを手に取り、少しだけ口をつける。


「水路は、誰と回った」


「村の代表と……下流側の家の方と」


「記録は」


「ええと……取水時間と、水位を残しました」


「揉めごとは」


「双方の言い分を書き出して、共通している部分から決めました」


――どうして、こんなことを聞くんだろう。


でも、不思議と嫌ではなかった。


アーネストがこちらを見る。


「それは、条件で分けたか」


「……はい」


「悪くない」


胸が、小さく跳ねた。


「地味な仕事だと、思っているのか」


図星を突かれて、息が詰まる。


「流れを維持する仕事だ」


アーネストが窓の外の川へ顎を向ける。


「継ぐのは兄だろう」


「……はい」


「なら、なぜお前がそこまで任された」


「え……」


どうして、だろう。


父は言った。


――兄が判断する前に、下準備をしておけ。


兄は言った。


――お前のほうが、揉め事は収められる。


それが当然なのだと思っていた。


「……兄の仕事を支えることが、家族としての務めだと……」


言いながら、わずかに声が揺れる。


――思っていた。


あれ……?


どうして私は、そう思っていたんだろう。


アーネストの視線が止まる。


「家族としての務めか」


アーネストはその言葉を繰り返した。


「悪くない考えだ」


その言葉に、ほっとしかける。


「だが、お前がやっていたのは補佐ではない」


「……え?」


「領主の仕事だ」


目を瞬かせる。


アーネストは窓の外へ視線を向けたまま続けた。


「水路の調整。収穫の記録。揉め事の整理……それは、ただ支えるための仕事ではない」


そのとき、控えめな足音が近づいてきた。


「お待たせいたしました」


店員が皿を置く。


焼き菓子の甘い香りがふわりと広がり、私の前には紅茶、アーネストの前にはコーヒーが置かれた。


店員が一礼して離れていく。


私は、目の前の焼き菓子へ手を伸ばすことも忘れたまま、アーネストを見つめていた。

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― 新着の感想 ―
 民からの敬意は領主である自分たちなら受けて当然、だけども仕事や役割は、半分や大部分は自分たちより出来るであろかう妹に任せて当然、うま味だけしか得ない勝手な理屈なんですかね。  過剰なまでに背負って…
本来なら当主の仕事を放棄してるんだよねえ
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