第3話
馬車から降り、市の入り口に立つ。
目の前に広がる光景に、思わず言葉が漏れた。
「……広い……」
うちの領地の市より、一回り……いや、それ以上ある。
そのとき、アーネストが当然のように手を差し出した。
「あ……」
少しだけ躊躇いながら、その手を取る。
大きくて、温かい手だった。
市へ足を踏み入れると、呼び込みの声や笑い声、値を確かめるやり取りが一斉に耳へ飛び込んでくる。
私は思わず周囲を見回した。
並ぶ店はきちんと区切られ、通路も人が行き交えるだけの幅が取られている。それに、露店だけではない。奥には屋根付きの通りまで続いていた。
「お店……ずっと開いているのですね」
うちの領地の市は、決まった日に開かれるものだった。それが当たり前だと思っていた。
「ああ。その方が、品が落ちない」
アーネストは前を見たまま答える。
「常設にする代わりに、場所代と管理料を取る」
「なるほど……」
どの店にも客がつき、人が絶えず行き交っている。
通りの両側には様々な店が並び、川魚が桶の中で跳ねて、水が縁からこぼれていた。焼きたての肉の匂いが風に乗り、張りのある野菜が段を作って積まれている。
生活に使う品も多い。布地は色ごとに揃えられ、木工品や道具まで所狭しと並んでいた。
――ここで買い物をすれば、一通り揃ってしまいそう。
「どうして、こんなに品が揃うのですか?」
アーネストは周囲へ視線を巡らせながら答えた。
「止めないからだ」
「……止めない?」
「商いは流れだ。川と同じで、止めれば淀む」
……それが難しいのでは?
そのとき、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
視線を向けると、季節の花を並べた露店がある。
「……綺麗……」
そういえば、アーネスト邸の庭にも花が途切れることなく咲いていた。
アーネストは花を一瞥すると、足を止める。
「花を置くと、客は立ち止まる」
私は隣に立つアーネストを見上げた。
「これを」
アーネストが季節の花を一束選ぶと、店主は慣れた手つきで包んだ。
代金を払い、受け取る。
そして――
「持て」
「え……」
思わず固まる。
「ただの実演だ」
短く言って、花束を差し出してきた。
私は恐る恐る受け取る。
「……ありがとう、ございます……」
生まれて初めて、花束をもらった。
――ましてや、男の人からなんて。
頬が少しだけ熱くなる。
私は視線を落としたまま、花束を胸の前で抱えた。
アーネストはほんの一瞬だけその様子を見ると、何も言わずに歩き出す。
「行くぞ」
振り返りもせず、そう言った。
◆
人の波を抜けて市の奥へ進むと、やがて川が見えてきた。
大きな荷船が岸につけられ、男たちが縄を手際よく結んでいる。船からは木箱が次々と運び出され、少し離れた場所では、帳面を手にした男が数を確認していた。
「ここは何ですか?」
「荷揚げ場だ。市に並ぶ品の多くは、ここを通る」
私は再び川を見る。
船は一隻ではなかった。上流からも下流からも、荷を積んだ船がこちらへ近づいてくる。
「船が多い……」
「商いが流れている証拠だ」
アーネストは川へ視線を向けたまま続けた。
「税は軽い。回転を止めないためだ」
「……税が軽くても、これだけ船が多いなら……」
それだけの数が行き来すれば、集まる額も大きくなる。
私は隣に立つアーネストを見上げた。
迷いもためらいもなく、聞けばすぐに答えが返ってくる。
――どうして、こんなにすぐ答えられるの?
領主なのに。
兄は言っていた。
『領主は“立場”だ』
そう言って、分厚い書類を私に手渡した。
『商人と直接、値を交わすものではない。報告を受け、判断するのが務めだ』
両手にかかった書類の重みを思い出す。
『威厳を保つのが、領主の仕事だ』
私は、それが正しいのだと思っていた。
そういうものなのだと。
でも、昨夜の会にいた領主たちは、数字も人の流れも迷わず口にしていた。
……あれは、特別だったのだろうか。
それとも――
「私が……知らなかっただけ?」
小さく呟いた瞬間、
「何がだ」
横から低い声が返ってきた。
はっと顔を上げる。
「い、いえ……」
アーネストはほんの一瞬だけこちらを見ると、川沿いの茶屋へ目を向けた。
「少し休むか」
「……はい」




