第2話
「……ご馳走様でした」
気づけば、なんだかんだとパンをおかわりしてしまっていた。
そっと顔を上げると、向かいではアーネストがコーヒーを口にしている。
――どうして、こんなに親切なんだろう。
ヴァルクレイン夫人もそうだった。会の主催者になると、皆こういうものなのだろうか。
「会の客が休めるようにするのは、主催の役目だ」
視線を落としたまま、アーネストが淡々と言った。
「あ……そうなのですね」
「体調を崩したまま帰す理由はない」
……主催者側の仕事って、大変なんだ。
「……あの……」
少し迷ってから、口を開いた。
「どうして……私を、招待したんですか」
アーネストがコーヒーカップを置く。
昨夜の会を思い出す。参加していたのは、爵位の後継者や商会を率いる者ばかりだった。
私だけ、場違いだったのではないか。
そんな考えが頭に浮かぶ。
アーネストは少し間を置いてから答えた。
「領地や商会を持つ者は、すでに自分の立場を理解している」
視線がこちらへ向く。
「だが君は、まだ肩書きに縛られていない。会で何を見るか、どう聞くか、どう判断するか。それを自分の頭で考える余地がある」
私は言葉を失ったまま、ただ瞬きをした。
「前回の会で分かったが、君は話を聞く姿勢を崩さない。そういう人間は、場に置いておく価値がある。主催としては、招く理由として十分だ」
「……」
私はしばらく黙ったまま、テーブルへ視線を落としていた。
アーネストもそれ以上は何も言わず、またコーヒーを口にする。
「……今日の予定は?」
不意にそう聞かれ、顔を上げた。
「え……? ……特に、ありません」
「なら、付き合え」
「……?」
「領地の視察に出る。半日ほどだ」
「……私が、ですか?」
アーネストは立ち上がりながら言った。
「他に用がないのだろう。見ておいて損はない」
私は一瞬迷ってから、小さく息を吐いた。
「……分かりました」
そう答えると、アーネストはそれ以上何も言わず、扉へ向かう。
「準備ができたら、来い」
背中越しにそれだけ残し、食堂を出ていった。
◆
屋敷の前には、すでに馬車が用意されていた。
アーネストが当然のように手を差し出す。
「あ……ありがとうございます」
少し緊張しながら、その手を借りて馬車へ乗り込んだ。
扉が閉まり、馬車が走り出す。向かいの席では、アーネストがすでに書類に目を通していた。
「あの……どちらへ向かわれるのですか?」
問いかけると、紙面へ視線を落としたまま答えが返ってくる。
「川沿いの市だ」
「……市、ですか?」
思わず目を見開いた。
「市に行くのは……小さい頃に行ったきりなんです……」
貴族令嬢として、外を歩くことも、領地の視察に関わることも、私の役目ではないとされてきた。
アーネストが書類から顔を上げる。
「そうか」
それだけ言って、少し間を置いた。
「なら、ちょうどいい」
「?」
「自分の領地しか知らないのは、悪いことではない。だが、他を知らなければ比べることもできない」
アーネストは窓の外へ視線を向け、それから再び私を見る。
「今日は見るだけでいい。気になったことだけ覚えておけ」
「……はい」
馬車の揺れに身を預けながら、私は窓の外へ目を向けた。
会へ来たのは夜だったから、周りの景色まではよく分からなかった。今は、はっきりと見える。
道を行き交う人の数が、思っていたよりも多い。荷車が次々と行き交い、荷を背負った行商人らしき姿も目に入る。
遠くに広がる畑も、馬車の中から分かるほど区画が揃い、作物の列がまっすぐ伸びていた。
「……すごい……」
うちの畑は、ここまで揃っていなかった。区画は歪で、水路も年ごとに補修を重ねている。
……どうして、こんなに違うのかしら。
手を入れる順番?
それとも、最初から作り方が違うの?
私は窓の外から目を離せなくなった。
向かいで書類を読んでいたアーネストが、一瞬だけこちらを見る。それから何も言わず、紙面へ視線を戻した。
やがて、景色の先に陽の光を反射する水面が見えてきた。
川だ。
幅の広い川が、陽を受けながら流れている。馬車は、その川へ向かって進んでいった。




