第1話
――ん……。
ゆっくりと意識が浮かび上がる。
なんだか、いい香りがした。
柔らかな布に包まれているような感覚もする。
……ふわふわしてる。
無意識に頬を擦り寄せる。
気持ちいい。
――あれ。
がばっと上体を起こした。
「えっ……ここ、どこ……!?」
見慣れない天井に、淡い布で囲われた天蓋付きの大きなベッド。
辺りを見回してみても、明らかに自分の部屋ではない。
「え……ええっ……」
頭が追いつかない。
昨日の記憶を探ろうとするものの、途中からうまく繋がらなかった。
そのとき、扉がノックされた。
「お目覚めでしょうか」
落ち着いた声とともに扉が開き、侍女が一人、部屋へ入ってくる。
「え……あ……おはようございます……?」
思わず間の抜けた声が出た。
侍女は一瞬だけ表情を和らげてから、一礼する。
「おはようございます、エリナ様。本日は、お目覚めがよろしいようで」
「え……?」
呼ばれ方にも状況にも戸惑っていると、侍女は手にしていた衣装を椅子へ掛けた。
「お支度に参りました」
「……あの……」
喉が、ひくりと鳴る。
「ここは……どこでしょうか……?」
侍女は驚いた様子もなく答えた。
「こちらは、グラーフ伯爵様のお屋敷でございます。ここは客室として用意されたお部屋です」
「……え……?」
一拍遅れて、胸の奥がざわついた。
「わ、私……どうして……」
「昨夜、休憩室でお休みになられていました。そのままこちらへお運びするよう、伯爵様から指示がありまして」
「……運ばれ……?」
「はい」
即答だった。
「お疲れのご様子でしたので、お目覚めになるまで起こさぬように、と」
――私……あのまま、寝ちゃったの?
「……」
言葉が出てこない。
侍女は穏やかな口調で続けた。
「ご不安でしたら、すぐに伯爵様へお伝えいたしますが」
「……い、いえ……だ、大丈夫です……」
何が大丈夫なのか、自分でも分からないまま、反射的に首を振る。
「……支度、お願いします……」
「かしこまりました」
侍女が近づき、身支度を始める。
私はまだ少しぼんやりしたまま、その手元を眺めていた。
やがて着せてもらったのは、淡い水色に小さな花が散ったワンピースだった。
「……わぁ……」
柔らかな色合いで、布地も軽い。
少し身体を動かすだけで、裾がふわりと揺れた。
――こんな可愛い服、着たことがない。
思わず鏡の前で足を止める。
ぐるりと回るでもなく、ただじっと映った自分を眺めてしまった。
「エリナ様」
侍女に声をかけられ、はっとする。
「朝食の準備ができております」
「……はい」
小さく頷き、部屋を出た。
◆
食堂へ入った瞬間、先にいる人影に気づいた。
アーネストだった。
「……っ」
びくりと肩が跳ね、慌てて背筋を伸ばす。
「お、おはようございます……」
声が少しだけ上ずった。
アーネストはこちらを一瞥してから、短く頷く。
「おはよう」
席へ近づきながら、昨日のことが頭をよぎった。
「……あの……」
気づけば、口を開いていた。
「大変、ご迷惑をおかけしてしまい……」
言い終わる前に、アーネストが遮る。
「迷惑ではない」
淡々とした声だった。
「休憩室で眠っていた。それだけのことだ」
そう言って、視線を皿へ戻す。
「座ってくれ。冷める」
「……はい」
私は勧められた席に腰を下ろした。
ほどなくして、使用人が朝食を運んでくる。
具だくさんのスープと、籠いっぱいに盛られたパン。
柔らかそうな白いものもあれば、表面が香ばしく焼けたものもあり、形も色もさまざまだった。
「お好きなものを」
そう言われ、思わず籠を覗き込む。
「……どうしよう……」
どれも美味しそうだった。
そこで、ふと気づく。
昨日の昼から、何も口にしていない。
少し迷ってから、甘そうなパンを一つ取った。
「……いただきます」
小さくちぎって口へ運ぶ。
「……っ」
思わず目を見開いた。
ふわふわしていて、ほんのり甘い。
――はちみつ、かな?
それに、まだ温かい。
「……おいしい……」
次にスープを口に含む。
「……!」
思わず息が漏れた。
肉は口の中でほろりと崩れ、野菜にも味がしっかり染み込んでいる。
温かさが、身体の中へ広がっていく。
気づけば、私は黙々と食べていた。
口元も、いつの間にか緩んでいる。
向かいの席で、アーネストはその様子をしばらく見ていた。
何も言わず、やがて自分の皿へ視線を戻す。
エリナは、それに気づかない。
食堂には、二人の食器が触れ合う音だけが穏やかに響いていた。




