第2話
翌朝。
意識が浮上するより先に、身体が動いていた。
寝ぼけたまま、私は枕元の呼び鈴を鳴らす。
――ちりん。
……反応がない。
少し間を置いて、もう一度鳴らした。
「……やっぱり、来ない」
音だけが、部屋に残った。
うちは、裕福な家ではない。
使用人は最小限。
しかも今は、姉の夜会続きで、人手がそちらに取られている。
私の部屋に付く侍女なんて、
もともと一人もいないようなものだ。
ため息をついて、ベッドから起き上がる。
顔を洗い、髪をまとめ、クローゼットを開けた。
中に並んでいるのは――
姉が着なくなった服ばかりだった。
「どれを着よう……」
派手な色味に、凝った刺繍。
どれも上等な生地だけれど。
「私に似合わないし……」
一着ずつ、視線を走らせる。
「話し合いに行かなきゃいけないのに……」
ようやく、一着を引き抜いた。
「これなら、ましよね」
鏡に映る自分は、
やっぱり少し浮いて見える。
「……まだ、まし。うん」
それ以上考えるのをやめて、部屋を出た。
◆
食堂に入ると、すでに父と兄が席についていた。
父は新聞代わりの書簡を読み、
兄は眠そうに紅茶を口に運んでいる。
「……おはようございます」
「おう」
父は、視線だけ寄越す。
「おはよ」
兄は、あくび混じりだった。
席につきながら、ふと気づく。
「……お姉様は?」
「ああ」
兄が、肩をすくめる。
「夜会続きで、まだ寝てる。
今朝は起きないってさ」
でしょうね、と思った。
昨夜も、帰りは遅かったはずだ。
冷めたパンとスープに手を付けながら、
私は切り出した。
「今日、隣領との件で話し合いに行きます」
「うん」
父は、それだけ言った。
「任せた」
兄も、当然のように続ける。
私は、一瞬だけ父の顔を見た。
徹夜して考えた案は、
話題にも上らなかった。
「……私一人で、ですよね」
「他に誰がいる」
兄は、不思議そうに言う。
父も、否定しなかった。
私はスプーンを置き、
小さく息を吸った。
「……分かりました」
そう答えるしか、なかった。
スープは具がなく、
何を飲んでいるのか分からなかった。
◆
隣領との話し合いは、
隣領伯爵家が管理する境界近くの別邸で、
行われることになっていた。
約束の時刻より、少し早めに到着する。
「別に必須ってわけでもないのにね」
だが、通された部屋には、
すでに相手がいた。
隣領伯爵家の代理として来たのは、三人。
年配の文官が一人。
若い補佐が一人。
そして――中央の席、
腕を組んで座る男には見覚えがあった。
「隣領伯爵家代官、マルセルです。
本日は、当方の管理地まで
お越しいただいたとか」
マルセルは、薄い笑みを浮かべる。
「……本件について、
話し合いの場を設けていただき
ありがとうございます」
そう返しながら、私は席に着いた。
胸元の刺繍に、視線を感じる。
……話し合いに着てくる服じゃない、よね。
「で?」
マルセルが、
書類に目も落とさずに言う。
「今日は、どなたが責任者で?」
「本日は、私が対応いたします」
次の瞬間。
相手側の若い補佐が、
思わずこちらを見た。
年配の文官も、
わずかに眉を動かす。
そして、マルセルは――
はっきりと鼻で笑った。
「……ああ。
そちらも人手不足ですか。
お若い方が来られるとは
思いませんでしたんでね」
「案件の整理と提案については、
私が一任されております」
「提案、ね」
マルセルは椅子にもたれかかる。
「境界線の件でしょう?
正直、今さら話し合う余地は
ないと思っているのですが」
隣の文官が、
制止するような視線を送る。
だが、マルセルはそれを無視して続けた。
「こちらは、
先祖代々の取り決めに基づいて
動いている。
そちらが納得できないのは
勝手ですが――」
そこで言葉を切り、
私を見る。
「……失礼ですが。
あなた、この手の交渉に
慣れていらっしゃる?」
一瞬、頬が熱くなるのを自覚した。
――舐めてくれちゃって。
私は資料を一枚、机の上に置いた。
「まず、こちらをご覧ください」
マルセルは露骨に面倒そうな顔をしたが、
一応、紙に目を落とした。
次の瞬間。
眉が、わずかに動く。
「……これは?」
「収穫期に越境する水路。
その使用実績。
それから――
過去十年分の維持記録です」
マルセルは、無言でページをめくった。
補佐の男が、
思わず身を乗り出す。
「……修繕費、浚渫費、人足代……?
これ、全部――」
「はい。
実際にかかった管理費です」
私は、指で表を軽く叩いた。
「毎年、修理のたびに
費用の押し付け合いになります。
その結果、
必要な整備が遅れてしまう」
一拍、置いてから続ける。
「このままでは水路そのものが、
数年内に使えなくなる可能性が高くなります」
私は、別の紙を差し出した。
「ですから、提案します」
補佐が、
思わず声を落とす。
「過去十年分の平均管理費を基準に、
両領で同額を積み立てる……?」
「はい」
私は、頷いた。
「水路を“財産”ではなく、
“管理が必要な設備”として
扱います」
マルセルは、
しばらく黙っていた。
書類を閉じ、
指先で机を軽く叩く。
「……なるほど。
勝ち負けを作らず、
管理責任だけを
共有する、と」
「はい」
年配の文官が、
低く息を吐いた。
「……理屈は、通っていますな」
マルセルは、こちらを見る。
「失礼しました。
続きを、聞かせていただけますか」
私は、にこりと微笑んだ。
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