ローレンス従兄弟視点
最近、屋敷の空気が重い。
原因は、母上が盛大にやらかしたからだ。
従兄といっても、年の離れたローレンスと、その子どもたちが、この家へ転がり込んできた。もっとも、ローレンスとレオンを屋敷へ置くことを、父上は認めなかった。
まあ、当然だ。二人まで屋敷へ入れると言われていたら、私が抗議していた。
ローレンスは、鉱山へ送る物資を管理する倉庫へ回された。レオンも当初は鉱山の作業員宿舎へ送られたものの、ほどなくそこを出ていったらしい。今は領外を転々としながら、日雇いの仕事で食いつないでいると聞いた。
何というか、あいつらしい。
屋敷に残っているのは、婚約先から戻されたリディア嬢だけだ。
私としては、父上が母上と離縁しても仕方がないと思っていた。だが、母上がこれまで伯爵夫人として家を支えてきたことも事実だ。父上にも、長年連れ添った情があるらしい。
意外と。
母上の私財と小遣いは借金の返済へ回され、今後、父上の許可なく金銭に関する約束をすることも禁じられた。それで済ませるらしい。
それでいいのかとも思ったが、夫婦のことなので私が口を出すつもりはない。
リュークハルト家とは、昔はもう少し付き合いがあった。フリージア夫人が健在だった頃は、家族でこちらを訪れることもあり、私もレオンたちと一緒に遊んだ覚えがある。
もっとも、かなり幼い頃の話だ。
父上は昔からローレンスを好いていなかった。私が子どもの頃には、なぜそこまで嫌うのかよく分からなかったが、成長するにつれて両家の行き来も減り、こちらから積極的に関わっていたのは母上だけになった。
今になってみれば、父上の見る目は正しかったようだ。一家そろって、大叔母の婚家へ転がり込んでくるのだから。
普通は、その時点で少しくらい恥ずかしいと思わないものなのか。
父上から事情を聞いた限りでは、本人たちは本気でおかしいと思っていなかったらしい。
ローレンスは、家族なのだから助けてもらって当然。レオンは、自分は本来の後継者なのだから家督を取り戻して当然。
リディア嬢は――まだよく分からないが、少なくともここに置いてもらうこと自体には、さほど疑問を持っていないように見える。
三人とも、プライドだけは異様に高い。こういうところは、よく似るものらしい。
その一方で、末の娘だけはリュークハルト家に残った。
エリナだったか。
幼い頃の印象なら、兄や姉ほど前へ出てこない、大人しそうな子だったという程度しか残っていない。実務者会で一度見かけたときも、その印象はあまり変わらなかった。
その娘が今では家督を継ぎ、なんとグラーフ伯爵と婚姻するというのだから、分からないものだ。
グラーフ伯爵とは実務者会や王都の夜会で顔を合わせた。人を見る目がない男ではないし、勢いだけで婚姻を決めるような性格でもない。
あいつは、どこまで把握していたのだろう。
フリージア夫人の遺言も、家督のことも、ローレンスが正式な当主ではなかったことも。
もし始めからそこまで見えていて、エリナへ近づいていたのなら――相変わらず抜け目がない。
もっとも、爵位だけが目的なら、あいつならもう少し面倒の少ない家を選びそうなものだ。
となると、エリナ本人に何かあるのだろうか。
実務者会で話を聞いている限りでは、領地のことをよく考えているとは思った。だが、伯爵夫人になるには少々頼りなさそうにも見えた。
何が決め手だったのか。
まあ、婚姻式で二人を見れば分かるだろう。
朝食を終え、自室から執務室へ向かって廊下を歩いていると、前方の扉が勢いよく開いた。
中から姿を現したリディア嬢は、私に気づくと、すぐに歩調を速めた。
簡素な濃紺の仕事着に、白い前掛けをつけている。華やかな彼女が着ていると、どこか衣装めいて見えた。
「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
私の前で立ち止まると、先ほどまで慌てていたとは思えないほど優雅に微笑んだ。胸の前では、両手がきれいに重ねられている。
「何?」
「大叔父様へ、お話しいただきたいことがあるのです」
「父上に? 何をかな」
「大叔母様のもとで学ばせていただいていることには、感謝しております。ですが……今のような仕事を、いつまでも続ける必要があるのでしょうか」
そういえば、少し前の食事の席で、母上がリディア嬢について「ずいぶん上達した」と父上へ話していた。三か月ほど続けているのだから、最初よりはましになったのだろう。
「もちろん、家政を学ぶ必要があることは理解しております」
リディア嬢は慎ましげに目を伏せる。
よく見れば、指先が赤くなっていた。ずいぶん大変な目に遭っているような顔をするものだ。
自分がどういう立場でこの屋敷にいるのか、分かっているのだろうか。
「ですが婚姻後、私は子爵家の夫人となります。社交や来客への応対など、ほかに学ぶべきこともあると思うのです」
「そう」
「ですから、あなたから大叔父様へ、もう十分ではないかとお話しいただけないでしょうか」
微笑みながら、小さく首を傾げる。自分が最も美しく見える角度を、よく知っているらしい。
「いいよ」
リディア嬢の顔が明るくなった。
「本当ですか?」
「仕事をやめさせるよう、父上に話してもいい」
「ありがとうございます」
「それで、いつこの屋敷を出ていくの?」
リディア嬢の笑顔が固まった。
「……え?」
「仕事をしない者を、ここへ置いておく理由はないだろう」
「私は……この屋敷を出たいと申し上げているのではありません」
「でも、働きたくないんだろう?」
「そうではなくて、私にはもっと向いている役目があるのではないかと――」
「あのさ」
言葉を遮る。
「君は、自分がオルブライト家にとって、いつまでも待つだけの価値があると思っているの?」
「……どういう意味ですか」
リディア嬢の表情がこわばる。
どうやら分かっていないらしい。
この一家は、自分を客観的に見るのが苦手なのだろうか。いや、リディア嬢は父親や兄とは少し違うか。
自分に価値があること自体は、よく分かっているのだろう。美しい。愛想もいい。社交にも慣れている。本人によれば、エドウィン殿にも愛されているらしい。
ただ、その価値がいつまでも同じ条件で通用すると思っている。そこを読み違えているのか。
「家政も、ある程度ならほかの令嬢にもできる。それ以外に、君には何があるの?」
リディア嬢の顔から、すっかり笑みが消えた。
そもそも母上が家政を一から教えているのは、単に女中仕事を覚えさせるためではない。自分が使う衣装や食事にどれほど金がかかるのか、それすら知らなかった娘に、金銭感覚から覚えさせるためだ。
三か月も経って、そこにはまだ気づいていないらしい。
「まあ、私はオルブライト子爵夫妻ではないから、実際にどう考えているかは知らないけれどね」
私は女中頭の部屋へ目を向けた。
「仕事を続けるか、屋敷を出るか。好きな方を選べばいい」
リディア嬢は、しばらく黙っていた。
「……実習へ戻ります」
「なら、そうすればいい」
私は彼女の横を通り過ぎた。
数歩進んだところで、背後から声が聞こえた。
「私なりに……学んでいるつもりです」
振り返ると、リディア嬢は先ほどまでの笑みを消し、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「なら、そのうち結果が出るんじゃない?」
それだけ答え、私は執務室へ向かった。
私は優しいはとこだからね。
誰も言ってくれないことを指摘してやるのも、身内の務めというものだろう。
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