【番外編】アーネストマッマ視点【婚礼衣装完成時】
「まあ……」
思わず、ため息がこぼれた。
想像していた以上の出来だった。
乳白色の生地に重ねられた、繊細な花模様のレース。それがエリナの柔らかな雰囲気によく似合っている。
こんなふうに、息子の嫁のために仕立て屋を呼び、婚礼衣装を選ぶ日が来るなんて。
昔の私は、想像したことがあっただろうか。
アーネストが選ぶ相手だ。
きっと美しくて、教養があって、立ち居振る舞いにも隙がない。誰が見ても伯爵夫人に相応しい、完成されたような女性を選ぶのだろうと思っていた。
それが伯爵家として正しいことも、親として安心できることも分かっていた。
ただ――少しくらい、面白みがあってもいいのにとは思っていたけれど。
もっとも、私自身がヴィオラ嬢を紹介したのだから、人のことは言えない。
だって、孫の顔は見たかったもの。
それなのに、いざ蓋を開けてみれば。
アーネストの執務室を訪れたのは、籠を抱えた、なんとも初々しい娘だった。
初めて会った日のことを思い出す。
『も、申し訳ございません。お話し中にお邪魔してしまって……』
こちらが何か言うより先に、慌てて頭を下げていた。
ああ、こういう子なのねと、妙に納得したものだ。
素直で真面目なのはいいけれど、どうにも自分に自信がない。それなのに、面倒事だけは一人で抱え込もうとする。
見ていると、なかなか面白い娘だった。
何より――アーネストを見る目が、あまりにも分かりやすかった。
社交界で、計算された令嬢たちの視線を嫌というほど見てきたからか、その素直さが余計によく分かった。
隠しているつもりなのだろうけれど、全然隠せていない。
だから、つい応援したくなったのだ。
「綺麗です……!」
仕立て屋の助手が、鏡に映るエリナを見て弾んだ声を上げる。
エリナも嬉しそうに笑った。仕立て屋は笑いながら、裾やレースの具合を確かめている。
その様子を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
――ようやく、かしら。
以前のエリナにも笑顔はあった。けれど、どこか控えめだった。
何かをしてもらえば、嬉しそうにするより先に恐縮する。喜んではいるのに、それをそのまま表に出すのではなく、一度胸の内で噛み締めるような笑い方をする子だった。
今のように、ただ嬉しそうに笑う顔を見ることは、案外少なかった気がする。
……この子は、どんなふうに育てられたのだろう。
リュークハルト領のことなら、多少は知っていた。
フリージアが継ぐ前から経営はあまり上手くいっていなかった。そのうえ、当時の旱魃も重なり、ずいぶん厳しい時期が続いていた。
それをフリージアが継いでから、ようやく少しずつ立て直していたはずだ。
以前、何気なく尋ねたことがある。
「子どもの頃は、何をして過ごしていたの?」
「……いつも、お母様のそばで過ごしていました」
エリナは少し考えてから答えた。
「お母様がお仕事をなさっている時は、邪魔にならないように本を読んだり……少し大きくなってからは、書類を運んだりしていました」
そこで、令嬢としての教育についても尋ねてみた。
「礼儀作法や社交については?」
「十二歳くらいまでは習っていました。……それ以降は、お母様と領地のことを」
「そうだったの……」
道理で、社交の場での振る舞いに、どこか不慣れさが残っていたはずだ。
けれど、それも長くは続かなかった。
教えれば、みるみる吸収していく。何より、この子は咄嗟のときの判断が悪くない。
以前、ヴァルクレイン伯爵夫人とお茶をした折にも、そんな話を聞いたことがある。
「あの子ね、最初の夜会はうちだったのよ」
夫人は楽しそうに笑っていた。
「似合わないドレスを着て、ずいぶん緊張してたわ。そこへワインまで引っかけられてね」
「あら、そんなことがあったの。それで?」
「泣かなかったの。騒ぎにもせず、そのまま席を外したわ」
それを聞いて――ああ、やっぱり。そう思った。
いかにも、あの子らしい。
ただ、そういう話を聞けば聞くほど、少し複雑な気持ちにもなった。
フリージアも大変だったのでしょうけれど。
それにしたって、もう少しこの子を甘やかしてもよかったでしょうに。
姉のお下がりを当然のように着て、自分に何が似合うのかも知らない。領地のことはあれほど詳しいのに、社交のこととなると途端に心許なくなる。
初めて衣装棚を見たときは、さすがに驚いたものだ。
……まあ。
社交界ばかりに顔を出す娘だったら、あの子とは出会っていなかったのかもしれないわね。
それにしても――まさか、あの息子がここまで惚れ込むとは思わなかった。
もっとも、振り返ってみれば、アーネストもずいぶん分かりやすかったけれど。
本人はいつも通りのつもりだったのだろう。でも、顔には出ていた。
それに、もともと他人を自分の内側へ入れたがらない子なのに、エリナにはずいぶん早くから領地を案内し、執務室へも何度となく招いていた。
本人に言えば、きっと『必要だったからだ』とでも答えるのだろうけれど。
まあ、それにしてもずいぶんじれったく見守ったものだ。
以前、あまりにも進展しないので尋ねたことがある。
『悠長にしていて、他の人に取られたらどうするの?』
すると、あの子は何と言ったか。
『彼女が選んだなら、それは仕方ない』
もっともらしい顔で、そんなことを言った。
――眉間に、ひどい皺を寄せながら。
あれを見たときは、笑うのを堪えるのが大変だった。
相手の意思を尊重したいのは分かる。無理強いしたくないのも、あの子なりの愛情なのだろう。
でも。
我が息子ながら、くどかった。
私の夫は、もう少し分かりやすく気持ちを伝えてくれたものだけれど。どうしてこうなったのかしら。
「さて……今度はこちらね」
私がリリアへ目を向けると、彼女はいくつかの小箱を持ってきた。
「エリナさん、開けてみて」
言われるまま、エリナが一つ目の箱を開く。
「……あ」
中に収められていたのは、髪飾りだった。
繊細な細工の中に、小ぶりな宝石がいくつかあしらわれている。
エリナの目が大きく見開かれた。
「これは……お母様の……?」
「ええ」
フリージアが残した装飾品は、もともとそう多くなかった。
その中には姉が身につけていたものもあり、婚礼の準備を始めた頃、エリナから私が預かったものはほんのわずかだった。使われている宝石も、どれもそれほど大きなものではない。
だからこそよかった。
この婚礼衣装は、細かな草花のレースそのものが美しい。大ぶりな宝石を合わせるより、小さな石を散らすくらいの方が、ずっとエリナらしい。
「そのまま使うことも考えたのだけれどね」
私は箱の中を覗き込む。
「せっかくなら、この婚礼衣装に合う形にした方がいいと思って、少し手を入れてもらったの」
リリアがもう一つの箱を差し出した。
エリナが蓋を開ける。
そこには、髪飾りと揃いになるよう仕立て直した耳飾りが収められていた。
「……」
エリナはしばらく何も言わなかった。
「勝手なことをしてしまったかしら?」
そう尋ねると、エリナは慌てて首を横に振った。
「いいえ……すごく、嬉しいです。ありがとうございます、お義母様」
「なら、よかったわ」
私は満足して頷いた。
「では、合わせてみましょう」
リリアがエリナの髪を持ち上げ、髪飾りを留めていく。
その様子を見ながら、ふと思った。
私には、娘がいない。
子どもはアーネスト一人だった。
それで十分だと思っていたし、実際、あの子がいてくれたことに何の不足もない。
それでも。
娘がいたら、一緒にドレスを選んだり、髪を結ったり、婚礼衣装を用意したりするのかしら――そんなことを考えたことが、一度や二度ではなかった。
今になって、そのときの気持ちを少しだけ思い出す。
「……できました」
リリアが髪から手を離した。
鏡の中で、エリナが髪飾りを見つめている。
――アーネスト。
あなた、本当にいい子を連れてきてくれたわね。
「よく似合っているわ」
そう言うと、エリナは少し照れたように笑った。
その顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。
さて。
あとは――この姿を見たアーネストが、どんな顔をするか。
想像しただけで、口元が緩んだ。
きっとまた、あの子は黙るのだろう。
本当に、分かりやすい子だから。




