【番外編】ブラン視点②
ほどなくして、応接室の扉が開いた。
先に入ってきたのは、レオンだった。髪は乱れ、上着には皺が寄り、襟元まで汚れている。
最後に会ったのは、確か去年だった。クレアが別荘を貸した際、挨拶に来たのを覚えている。
ローレンスとはあまり関わりたくなかったこともあり、子どもたちとも顔を合わせる機会は多くなかった。レオンについても、跡取りとして育てられた若者らしく、少々自信過剰という程度の印象だった。
それが、ずいぶんな有様になったものだ。
その後ろから入ってきたリディアも、顔色がよくない。こちらは昔から愛想がよく、親族の前でもそつなく振る舞う娘だった。オルブライト子爵家へ嫁ぐと聞いたときも、特に心配はしていなかった。
そのリディアが、先方の馬車でこちらへ来た。
嫌な予感しかしない。
「レオン、リディア。どうして二人ともここへ……」
「屋敷が改築されていたんだよ」
「改築?」
「茶房にするらしい。俺たちが暮らしていた屋敷をだぞ!」
「私の屋敷を、茶房に?」
「父上の屋敷じゃないだろう」
「何だと?」
「法院で決まったじゃないか。父上は当主でも領主でもなかった」
そこまでは分かっているらしい。少しだけ安堵したのも束の間だった。
「誰に向かって、その口を利いている!」
「借金を作っておきながら、領主のつもりでいた男に、どんな敬意を払えというんだ!」
見ているだけで頭が痛くなる。いや、先ほどから頭痛が続きすぎて、そろそろ感覚まで麻痺してきた気がする。
それにしても、エリナも思い切ったことをしたものだ。
父親と兄が戻ってくる余地をなくすために、屋敷そのものを茶房へ変えるつもりなのだろうか。もしそうなら、こちらとしては迷惑極まりない。
「二人とも、いい加減にしろ」
低く告げると、ようやく二人が黙った。
「大叔父上。こいつのせいで、俺まで家を失ったんです」
レオンがローレンスを指す。
クレアから聞いた限りでは、レオンの立場には同情するところもある。父親のしたことまで背負わされたと思うのも、無理からぬところはある。
だからこそ、何を考えているのかは一度聞く必要がある。
「お前の事情も聞く。まず座れ」
レオンは不満そうに長椅子へ腰を下ろした。リディアは何も言わず、クレアの隣に座る。
こちらは何があったのか話す気配すらない。
今は後だ。まずはレオンである。
「俺は、家督を取り戻す」
座ったばかりのレオンが、身を乗り出した。私は黙って続きを待った。
「新しい代理人を雇い、もう一度法院へ申し立てるつもりだ」
……何を言っている。
「大叔父上。代理人を雇う費用を貸していただきたい。家督を取り戻せば、必ず返します」
今度は、私の金か。
この親子には、自分の力で何とかするという考えがないのだろうか。
「私からもお願いします」
案の定、ローレンスまで乗ってきた。
「レオンが家督を取り戻せば、借金の返済にもめどが立ちます。すべて、元の形へ――」
「お前に家督を争うための金は貸さん」
これ以上聞く必要はなかった。
レオンが勢いよく立ち上がる。
「なぜです! 取り戻せば、大叔父上にとっても悪い話ではないでしょう!」
悪い話だ。
私の金を使って、すでに法院が判断した家督をもう一度争う。勝てる見込みがどれほどあるのかも分からない。
それどころか、仮に家督を取り戻せたとして、その後はどうするつもりだ。
ローレンスまで引き取る気があるのか。まさか家督だけ取り戻し、父親はこちらへ置いていくつもりではあるまいな。
私はレオンへ返事をせず、ローレンスを見た。
こいつも今の話を聞いて、おかしいと思わないのか。むしろ先ほどまでより、顔が明るくなっている。
「……お前も同じか」
思わず口から漏れた。
なるほど。父親だけではなかったらしい。
私は二人をしばらく見比べ、それから執事へ顔を向けた。
「二人まとめて働かせられる場所はあるか」
「領内の鉱山で、ちょうど住み込みの人手を求めております」
私は頭を切り替えた。
あそこは慢性的に人手が足りていない。ちょうどいい。使えるものは使うまでだ。
「明朝にでも送り届けられるか?」
「もちろんでございます」
「待ってください!」
レオンが声を上げる。
私は部屋の外へ視線を送った。控えていた男たちが二人、応接室へ入ってくる。一人がローレンスの腕を取り、もう一人がレオンを押さえた。
「何をする! 離しなさい!」
「離せ! 俺はリュークハルト家の嫡男だぞ!」
まだ言うのか。
後継者に指定されていなかった理由を、探ろうとは思わんのか。
レオンがクレアへ顔を向けた。
「大叔母上! 何とか言ってください!」
ローレンスも続く。
「クレア叔母上! 私はあなたの甥ですよ!」
私は妻を見た。
クレア。分かっているな。
お前はこれまで、伯爵夫人として完璧とは言えずとも、やるべきことはやってきた。子どもたちも産み、家を支えてきた。
だからこそ、私は今もこうしてお前の起こした揉め事に付き合っている。
そうでなければ、ローレンスと一緒にお前まで切っているところだ。
クレアも、それくらいは分かったのだろう。
「クレア叔母上!」
クレアは膝の上で両手を握りしめたまま、目を伏せた。
「……ごめんなさい、ローレンス」
ローレンスが呆然と妻を見る。
「叔母上?」
それ以上、クレアは何も言わなかった。
私は執事へ告げる。
「今夜は使用人棟の空き部屋へ入れろ。明日の朝、鉱山へ送る」
「かしこまりました」
警備の男たちが、二人を扉へ促した。
「待て! 私はまだ話を――」
「離せ! 俺は大叔父上へ金を借りに来ただけだ!」
それが問題なのだ。
なぜ、その言葉を平然と言える。
二人はそのまま応接室から連れ出されていった。
「父上! 何とかしろ!」
「私に言うな! お前が余計なことを言うからだろう!」
「また俺のせいにするのか!」
廊下へ出ても、まだ責任を押しつけ合っている。
私は目を閉じた。
「黙らせろ」
やがて、二人の声が遠ざかっていった。
私は長椅子に残されたリディアへ目を向けた。先ほどから、一言も発していない。
「リディア」
名前を呼ぶと、肩がびくりと揺れた。
「お前も話さんか。なぜオルブライト子爵家の馬車でここへ来た」
「それは……」
リディアは膝の上で指を組み、しばらく俯いていた。やがて、ぽつりぽつりと話し始める。
話を聞いているうちに、また眉間が重くなってきた。
この娘も、この娘で面倒なことになっているらしい。
ふと、もう一人の娘の顔が浮かんだ。
エリナ。
そういえば、あの娘については、ほとんど印象がない。クレアが別荘を貸したときも、ローレンスが連れてきたのはレオンとリディアだった。家族の集まりでも、前へ出てくるのはいつも兄や姉だったように思う。
ただ、一つだけ覚えていることがある。
まだ三人とも幼かった頃、私とクレアの姿を見つけて、真っ先にこちらへ駆け寄ってきた子がエリナだった。
「……ですので、しばらくこちらでお世話になれればと思っております。もちろん、いつまでもご迷惑をおかけするつもりはございません」
リディアの話を聞きながら、私はぼんやりと幼いエリナの姿を思い出していた。
私はクレアのように、何かをしてやったわけでも、何かを与えたわけでもない。それなのに、あの娘は私の姿を見つけると、うれしそうに笑っていた。
あのときは、ずいぶん人懐こい子だと思っただけだった。それきり、特に気に留めることもなかった。
「……分かった」
私は目の前のリディアへ意識を戻した。
さて、次はこの娘をどうするか。
私は再び重くなった眉間を押さえた。




