【番外編】マリタ視点②
さらに数日後。
「リディア、花嫁修業はどうだ? 少しは慣れたかい?」
エドウィン様が、リディア様のお部屋を訪ねていらした。
「そうだ。リディア、これを」
差し出されたのは、小さな箱だった。
リディア様が蓋を開くと、花をかたどった髪飾りが収められていた。いかにも坊ちゃまがお選びになりそうな、可愛らしい意匠だった。
「まあ……! エドウィン様、ありがとうございます」
「気に入ったか?」
「もちろんです。大切にいたしますわ」
ずいぶん惚れ込んでいらっしゃる。
しばらくは、見ているこちらが落ち着かなくなるほど、仲睦まじく話していた。
やがて、リディア様の表情がわずかに曇った。
「どうした?」
「いえ……」
「何か気になることがあるのか?」
リディア様は少し迷ったあと、口を開いた。
「婚礼の規模を改めるお話ですが……」
「ああ。母上がそう言っていたね」
「あまり簡素な婚礼では、オルブライト家まで軽く見られてしまわないかと心配で……」
「そうなのかい?」
「私のことだけなら、我慢できます。でも、あなたや子爵様ご夫妻に恥をかかせることになったらと思うと……」
「リディア……もう、我が家のことまで考えてくれているのか」
エドウィン様の表情がやわらかくなった。
――坊ちゃま、感心なさるのですか。
口には出さず、私は二人を見ていた。
「私から、父上と母上に話してみよう」
「よろしいのですか?」
「ああ。リディアがそこまで心配しているのに、何もしないわけにはいかないだろう」
「ありがとうございます、エドウィン様」
リディア様は、うれしそうに微笑んだ。
……見事なものだ。
エドウィン様がお帰りになったあと、私は茶器を片づけた。
リディア様は鏡台の前で、先ほどいただいた髪飾りを眺めている。
「きれいでしょう?」
「はい。よくお似合いになるかと存じます」
そう答えると、リディア様は満足そうに髪飾りを箱へ戻した。
子爵ご夫妻が決めたことを、息子であるエドウィン様から覆させようとしている。
しかも、ご本人は当家のために心配しただけだと思っているらしい。
私はその日初めて、リディア様が社交の場で高く評価されてきた理由を、少しだけ理解した気がした。
◆
翌日の午後。
リディア様は、子爵ご夫妻から応接室へ呼び出された。
私は付き添いとして、その後ろに控えている。
向かいの長椅子には、すでに子爵様と夫人が並んで腰かけていた。
お二人とも、表情はいつもと変わらず穏やかだった。ただ、その目元は少しも笑っていない。
「リディア嬢は、妹君について、ずいぶん不満をお持ちのようですね」
「不満だなんて……そのようなつもりではございません。ただ、父とレオンに対して、もう少し慈悲があってもよかったのではないかと……」
「あなたがこの婚姻を失わずに済んだのは、その妹君のおかげだということは、理解していらっしゃるの?」
リディア様が目を瞬いた。
「……え?」
私は、その話をすでに知っていた。
リュークハルト家との話し合いから戻られた日の夜、夫人のお部屋へ茶を運んだときのことだ。
「ローレンス殿がこのまま当主代理を続けるのであれば、私は反対だった」
「私もですわ。ですが、エリナ嬢なら……」
「少なくとも、あの家がどうなっているのかは分かっている」
「ええ。それに、あの事業もございますもの」
「持参金の件は痛いが、それだけで縁を切るほどではないな」
夫人は紅茶を一口飲んでから、わずかに口元を緩めた。
「当主が代わったのは、こちらとしてはむしろ幸いでしたわね」
だから、夫人が続けた言葉にも驚きはなかった。
「――エリナ嬢がリュークハルト家の当主となり、その将来性を評価したからです」
リディア様の唇が、固く閉じられた。
子爵様が額へ手を当て、深く息を吐く。
何かに頭を悩ませているとき、子爵様がよくなさる仕草だった。
「それにしても……あなたがご自分の家について、ここまで何もご存じなかったとは思わなかった」
「……仰るとおりです。それは、私の落ち度でございます」
リディア様は、素直に頭を下げた。
「母を亡くしたことがつらく、父とレオンに頼り切りになっておりました」
「家政についても、妹君がすべて引き受けていたそうですね」
「はい……あの子が、自分から進んでしてくれていましたので……」
「それならば、なぜ長い間あなたを支えてくれた妹君を、今になって悪く言うのですか?」
「違います!」
リディア様は、慌てて顔を上げた。
「私はエリナに感謝しています。決して、悪く言うつもりなど――」
「では、今になって妹君を責めるのはおやめなさい」
リディア様の顔から、少しずつ血の気が引いていく。
さすがは夫人だ。声を荒らげることもなく、反論の余地を残さない。
子爵様はしばらく目を閉じていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「グラーフ伯爵家からは、あなたとの婚姻にかかわらず、今後もよい関係を築きたいとのお話をいただいております」
リディア様の身体が固まった。
「……私との婚姻に、かかわらず?」
「ああ。グラーフ伯爵は、あなたとの婚姻によって私どもの判断を縛るつもりはないとおっしゃった」
リディア様が息を呑む。
グラーフ伯爵家との縁が、ご自分の婚姻を守る理由の一つだと思っていらしたのだろう。
少なくとも、その反応は、私にはそう見えた。
「ご自分が本当に何を間違えたのか。妹君へ何を求め、エドウィンに何をさせようとしたのか。いったん離れた場所でお考えください」
リディア様が、顔を上げた。
「婚約を……解消なさるおつもりですか?」
「まだ決めておりません」
「では、エドウィン様は、このことをご存じなのですか?」
「これから話します」
「エドウィン様とお話をさせてください」
「今は認められません」
夫人は、きっぱりと答えた。
それがよいだろうと、私も思った。
エドウィン様は、誰よりも母君の考えを信頼していらっしゃる。
今お会いしたところで、リディア様の望む言葉をくださるとは思えない。それどころか、ご両親から事情を聞いた直後なら、かえって残酷な結果になるかもしれなかった。
「マリタ」
夫人に呼ばれ、私は一歩前へ出た。
「リディア嬢のお荷物をまとめてください。明日の朝、リュークハルト家へお送りします」
「承知いたしました」
一礼すると、リディア様が私を見た。
悲しげに下がった眉も、潤んだ瞳も、これまで何度も見たものと変わらない。
こうして婚姻そのものが危うくなっても、見ている者は思わず同情したくなる。
それが意識してのものなのか、生まれつきなのか、私には最後まで分からなかった。
「失礼いたします」
私はもう一度頭を下げ、応接室を出た。
◆
リディア様を送り出した翌日。
私は子爵夫人の私室で、紅茶を淹れていた。カップへ紅茶を注ぎ、夫人の前へ置く。
夫人は一口飲み、満足そうに息を吐いた。
「やはり、あなたの淹れる紅茶が一番おいしいわ」
「ありがとうございます」
夫人がカップを受け皿へ戻した。
「あなたの、周囲の言葉に流されないところも気に入っているのよ」
夫人が、にこりと微笑んだ。
今度は、目元まできちんと笑っている。
「これからも、私のそばでよく見ていてちょうだい」
「かしこまりました」
私は深く頭を下げた。
リディア様のお世話をする役目は、これで終わった。
今日から、また夫人付きの侍女へ戻ることになるようだ。




