第6話
婚礼を数日後に控えた午後。
完成した婚礼衣装が、グラーフ邸へ届けられた。
「では、こちらへお立ちください」
仕立て師に促され、私は部屋の中央へ進む。少し離れたところでは、義母とリリアが待っていた。
あの日、一緒に生地と意匠を選んでから、何度か仮縫いはしていたけれど、すべてが完成した姿を見るのは今日が初めてだった。
「……なんだか、緊張します」
「まあ。今さら?」
義母が楽しそうに笑う。
「だって……あんなに素敵なドレスを、私が着るなんて……」
「だからこそ、婚礼衣装を着るのが楽しみなのよ」
その横で、仕立て師の助手も、布包みを抱えながら何度も頷いていた。
「私も楽しみです。最後の仕上げをしている間、ずっと見ていましたから」
「では、始めましょうか」
仕立て師が手を叩く。
私はリリアと助手に手伝ってもらいながら、婚礼衣装へ袖を通した。
乳白色の生地が身体を包んでいく。その上へ、細かな草花模様のレースが重ねられた。
袖を通し、背中を留めてもらい、腰まわりを整えてもらう。最後に大きく広がった裾を、仕立て師が一枚ずつ丁寧に整えていった。
「少しだけ、お待ちくださいね」
私は動かないようにしながら、そっと息を吐いた。
仕立て師が裾を整え、助手が最後にレースの重なりを確認する。
そして。
「……よし」
仕立て師が一歩下がった。
「できました」
その声を聞いて、義母がこちらを見る。
「まあ……!」
思わず、そちらへ顔を向ける。
義母は両手を胸元で合わせたまま、目を大きくしていた。助手も、ぽかんと口を開けている。
「……綺麗……」
「そ、そうですか?」
「は、はい! 仮縫いのときも素敵でしたけれど、全部仕上がると全然違います!」
仕立て師は何も言わず、少し離れたところで腕を組み、完成したドレスをじっと見つめていた。
やがて、長い息を吐く。
「……やりきりました」
「え?」
「思い残すことはございません」
「まあ、そんな大げさな」
義母が笑う。
「でも、本当に素晴らしいわ。こんな婚礼衣装、今まで見たことがないもの」
「ありがとうございます。このレースを裾まできれいに合わせるのが、なかなか大変でございまして……」
「そ、そうだったのですね。ありがとうございます」
私が頭を下げると、仕立て師は満足そうに微笑んだ。
「さて……今度はこちらね」
義母がリリアへ目を向ける。
リリアが、箱をいくつか持ってきた。
「エリナさん、開けてみて」
言われるまま、一つ目の箱を開く。
「……あ」
息が止まった。
中に収められていたのは、髪飾りだった。繊細な細工の中に、見覚えのある飾りが使われている。
「これは……お母様の……?」
「ええ」
義母が微笑んだ。
婚礼の準備を始めた頃、母が残したわずかな装飾品を、義母へ預けていた。
「そのまま使うことも考えたのだけれどね」
義母が箱の中を覗き込む。
「せっかくなら、あなたの婚礼衣装に合う形にした方がいいと思って、少し手を入れてもらったの」
もう一つの箱を開く。そこには、髪飾りと揃いになるよう仕立てられた耳飾りが入っていた。
「……」
しばらく、言葉が出なかった。
「勝手なことをしてしまったかしら?」
私は慌てて首を横へ振る。
「いいえ……すごく、嬉しいです。ありがとうございます、お義母様」
「ならよかったわ」
義母が、満足そうに頷いた。
「では、合わせてみましょう」
リリアが私の髪を持ち上げる。
仕立て師も近づき、首元から肩へかけて何度か視線を動かした。
「首元までレースがございますので、首飾りはない方がよろしいですね」
「やっぱりそうよね。髪飾りを少し高い位置につけたらいいかしら」
「はい。耳飾りを合わせる方が、ドレスを邪魔いたしません」
「では、そうしましょう。リリア、髪をお願いできる?」
「もちろんでございます」
仮にまとめてもらった髪へ、髪飾りが留められる。続けて、耳飾りもつけてもらった。
「最後はこちらね」
リリアが、別の箱からヴェールを取り出す。
薄く、やわらかなヴェールには、縁にだけ細かな刺繍が施されていた。
「こちらへ」
リリアが髪飾りへヴェールを留める。ふわりと、薄い布が肩から背中へ落ちた。
「さあ、見てごらんなさい」
私は、ゆっくりと鏡へ顔を向けた。
「……」
一瞬、そこに映っているのが、自分だと分からなかった。
物語の挿絵に描かれていた、花嫁姿のヒロインみたいだった。
「……ふぁ……」
変な声が出た。
義母が吹き出す。
「……私……花嫁さんみたい……」
「あら。当然でしょう?」
笑いながら言われ、ようやく自分でもおかしなことを言ったと気づいた。
鏡へ近づき、もう一度自分を見る。少し動けば、乳白色の生地が光を受け、やわらかく表情を変える。
「すごい……」
思わず、鏡の中の自分を見つめた。
「こんな素敵なドレスを着て……婚礼ができるなんて……」
「そうよ。もうすぐね」
義母も鏡越しに私を見つめる。
「ああ、楽しみだわ。皆、きっと驚くでしょうね」
「伯爵様も、あまりのお美しさに驚かれるでしょうね」
リリアが楽しそうに言った。
「驚きはするでしょうけれど、あの子はきっと――」
義母が答えかけた、そのとき。
扉の向こうから声がした。
「母上」
アーネストだった。
義母が扉を見る。私も、そちらへ顔を向けた。
「母上。いるのか」
「おりますけれど、何かしら?」
「少し確認したいことがある」
「今でなくてはいけないこと?」
「……婚礼についてだ」
「まあ。具体的には?」
「……」
沈黙した。
「アーネスト?」
義母が促す。
「……招待客について、少し」
「それなら、先日確認したでしょう?」
「……」
義母は、ちらりと私を見る。
それから、とても楽しそうな顔になった。
「今は入ってきては駄目よ」
「……なぜだ」
「エリナさんが、婚礼衣装を着ているの」
「……」
今までで一番長い沈黙だった。
「あの……アーネスト様、何か急ぎのご用事なのでは……?」
「大丈夫よ」
義母は即答した。
「でも――」
扉の向こうから、低い声がした。
「……そうか」
「ええ。そういうことだから、用事はあとで聞くわ」
「分かった」
足音が聞こえる。けれど、数歩進んだところで止まった。
「母上」
「まだ何か?」
「……いや」
再び足音が聞こえ、今度こそ遠ざかっていった。
私は扉を見たまま首を傾げる。
「結局、何のご用事だったのでしょう?」
「さあ?」
その横で、リリアが口元を押さえている。助手まで俯いて、肩を震わせていた。
「……?」
なぜ皆、笑っているのだろう。
「まあ、いいわ」
義母が、もう一度私を鏡の方へ向かせた。ヴェールを整え、満足そうに私の姿を見る。
「ますます、アーネストに見せるのが楽しみになったわね」
私は鏡の中の自分を見つめた。
「……はい」
今度は、少しだけ照れながら頷いた。




