第5話
鉱山へ来てから、三か月が過ぎた。
私は今日も、火攻めを終えた坑道の前に立っていた。
「……待て」
中へ入ろうとしていた鉱夫たちを呼び止める。
「右側の支柱を増やせ。それから、あの亀裂ももう一度確認した方がいい」
「またか?」
「昨日は問題なかったぞ」
「昨日と今日が同じだという保証はない」
鉱夫たちは顔を見合わせた。
「分かったよ。あんたが言うなら、止めておく」
以前なら、不満そうな顔をされた。だが今では、私が止めれば、鉱夫たちは素直に従うようになっていた。
少し前にも、私が作業を止めた坑道で、夜のうちに岩が崩れたことがある。それ以来、監督も私の判断を重く見るようになった。
仕事ぶりを認められている。それ自体は、悪いことではない。
だが――。
坑道の奥で、小石が転がる音がした。
全身が強張る。思わず天井を見上げ、灯りを握る手へ力を込めた。
ただの小石だ。
そう分かっても、心臓の鼓動はすぐには収まらなかった。
いつ岩が落ちてくるか分からない場所へ入り、命を懸けて安全を確かめる。
私は、本来このような仕事をする人間ではない。領地を治め、人を動かす側の人間だったのだ。
何度か、人目を避けてエリナへ手紙を出そうとした。だが、リュークハルト家やグラーフ伯爵家宛ての手紙は受け取ってもらえなかった。
一度など、臨時の手当で買った品を娘への贈り物として送り、その中へ手紙を忍ばせようとしたこともある。それすら、見つかって止められた。
別に、借金を代わりに返せと頼むつもりではない。ただ、私が今どのような場所で、どのような仕事をさせられているのか、それを知らせたいだけなのだ。
エリナだって、父親が毎日命の危険がある坑道へ入っていると知れば、さすがに放ってはおかないだろう。
問題は、その事実を伝える手段がないことだった。
ブラン伯爵は、いったいどこまで私を縛るつもりなのだ。
「ローレンス殿!」
坑道を出ると、明るい声をかけられた。
ブラン伯爵家の嫡男が、監督と並んで立っている。
「聞きましたよ。ずいぶん評判がいいそうじゃないですか」
「何の話だ……」
「慎重で、見落としが少ない。鉱夫たちも、あなたが確認したあとなら安心して入れると言っているそうです」
彼は楽しそうに笑った。
「まさか、これほど向いているとは思いませんでした」
「ちょうどよかった。少し、話したいことがある」
私は彼へ近づき、声を落とした。
「もう、この仕事を辞めたいのだ」
「どうしてです? 皆、あなたを高く評価していますよ」
「こんな危険な仕事は、私がすべきものではない!」
思わず声が大きくなる。
「私は長年、領地経営に関わってきた人間だ。せめて、そちらに関わる仕事へ移してくれ」
彼は少しだけ首を傾げた。
「ですが、領地を担保にしてまで作った借金について、ほとんど返済の準備をしていなかったのでしょう?」
息が止まった。
「……なぜ、それを」
「父上が、母上の保証に関わる書類をすべて確認しましたから」
彼はあっさりと答えた。
「長い猶予があったのに十分な対策をせず、最後には、当主でもないのに領地を差し出そうとしたと聞いています」
「返済のために、エリナにも働かせていた!」
「その事業を始めるよう、ローレンス殿が命じたのですか?」
「……いや。あれはエリナが自分で始めたものだ」
「でしたら、それはエリナ嬢の実績では?」
「違う!」
腹の奥が熱くなる。
「それを家のために続けさせたのは私だ。あの子が結果を出せたのも、私が事業を続けることを認めてやったからだ!」
「なるほど」
彼は妙に納得したように頷いた。
「あなたの考え方は、よく分かりました」
「そうだろう。人を使い、結果を出させるのも、上に立つ者の――」
「あなたは、他人が出した結果を、自分の実績にされる方なのですね」
「……何?」
「少なくとも、私はあなたに領地経営を任せたいとは思いません」
「なぜそうなる……私は、それぞれ得意な仕事を任せていただけだ。適材適所というものだろう」
「ええ、仰る通り。適材適所は大切です。この仕事では、あなたは本当に優秀だそうですよ」
彼は、私の肩を軽く叩く。
「せっかく天職を見つけたのです。頑張ってください」
「待て!」
立ち去ろうとする彼を呼び止める。
「せめて、エリナに伝えてくれ! 私が、このような危険な仕事をさせられていると!」
「それは無理ですね」
「なぜだ! 借金を代わりに返せと言っているのではない。ただ、伝えてくれれば――」
「あなた方からの連絡は取り次がないよう頼まれていますから」
「やはり、グラーフ家が噛んでいたか……」
思わず歯を食いしばる。
「なぜ、グラーフ伯爵にそんなことを決める権限がある!」
「今はお忙しいですからね。余計な心配事を増やすのもよくないからでしょう」
「何が忙しいというのだ! グラーフ家で何不自由なく暮らしているだけだろう!」
「婚礼の準備がありますから――あ」
「……婚礼?」
彼が口を閉じた。
「エリナが、式を挙げるのか?」
「……」
「いつだ……いつ挙げるんだ! なぜ私には何の連絡もない!」
彼は困ったように笑っただけだった。
「まさか、お前たちが知らせを止めているのではないだろうな!」
「では、引き続き仕事を頑張ってください」
「待て!」
彼は振り返らず、片手だけを上げた。監督とともに、そのまま歩き去っていく。
「待て! エリナに会わせてくれ!」
追いかけようとしたところで、鉱夫に肩をつかまれた。
「ローレンス、何をしている。次の確認を頼む」
「待ってくれ……娘が婚礼を挙げるらしいのだ。話を聞かなければ……」
「そりゃ、めでたいな」
「行かなければならない。手を離してくれ!」
「行きたければ、借金を返し終えてからにしろ。さあ、仕事だ」
肩を押され、再び坑道の入口へ向かわされる。
「待ってくれ……娘のもとへ行かせてくれ……!」
暗い穴の奥から、小石が転がる音が聞こえた。
足が止まりそうになる。それでも後ろから促され、私は暗い坑道へ足を踏み入れた。
「……私は、こんな仕事をする人間ではないのに……」
その呟きに答える者はなく、坑道の奥から響く槌の音にかき消された。




