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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳@集英社WEB小説大賞金賞
二十三章

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第4話

茶房の開店を前に、今日はグラーフ家に客として来ていただくことになっていた。


実際にお客様を迎えたとき、使用人たちが問題なく動けるか確かめるためだ。


「いらっしゃいませ」


玄関へ入ると、以前からリュークハルト家に仕えている侍女が、深く腰を折った。緊張しているように見える。


私は思わず声をかけそうになり、慌てて扇子で口元を隠した。


隣を見ると、義母が微笑んでいる。どうやら、私が何か言いそうになったことに気づいたらしい。


案内されたのは、庭に面した客席だった。窓からは、手入れを終えた花壇がよく見える。


淡い若草色の壁に、布をかけた丸卓。その上には、リュークハルト家で使われていた白い茶器が並べられていた。


「庭もなかなかのものだな」


義父が、椅子へ腰を下ろしながら窓の外へ目を向ける。


「リュークハルト家の庭師たちも、よく仕上げたものだ」


「はい。皆、とても張り切ってくれました」


義母は、室内をゆっくりと見回した。


「こちらも、思っていたよりずっと素敵になったわね。白い茶器にして正解だったわ」


「そうですね。思っていた以上に、部屋になじんでくれて」


「ええ。あまり食器まで華やかにすると、かえって落ち着かなくなっていたかもしれないわ」


向かいでは、アーネストが茶器を眺めている。


「アーネスト様は、いかがですか?」


尋ねると、彼は少しだけ室内を見回した。


「悪くない」


「ふふ……なら、よかったです」


ほどなくして、果実茶と菓子が運ばれてきた。


干し林檎を使った焼き菓子に、小さく切った干し無花果。果実茶からは、ほのかに甘い香りが立ち上っている。


侍女は少し手を震わせていたものの、茶をこぼすこともなく、決められた順番どおりに給仕を終えた。


「よくできているわ」


義母が、小さな声で言う。


「まだ少しぎこちないですけれど……」


それでも、以前リリアに指摘された頃とは、ずいぶん違っていた。立ち方も、茶器の扱い方も、客へ声をかける間合いも、以前この屋敷で働いていた頃より、ずっと洗練されている。


義父が、果実茶を一口飲んだ。


「うまいな」


「ありがとうございます」


私もカップへ口をつける。果実の甘い香りが、ふわりと鼻へ抜けた。


「焼き菓子にも果実を使っていますけれど、香りが重なりすぎてはいませんか?」


「この程度なら問題ないんじゃないか?」


義父が焼き菓子を一口食べる。


「紅茶も用意するんだろう?」


「はい。普通の紅茶も、何種類か置く予定です」


「なら、客が好きな方を選べばいい」


「そうね」


義母も、焼き菓子へ手を伸ばした。


「お菓子に合わせてお茶を選べるようにすれば、何度来ても違う組み合わせを楽しめるでしょうし」


「それなら、通ってくださる方にも楽しんでいただけそうですね」


そんな話をしながら菓子をいただいたあと、今度は入口近くに設けた売り場を見ることになった。


棚には、小袋に詰めた干し林檎や干し無花果が並んでいる。その隣には、小瓶に入った林檎や木苺のジャム。持ち帰り用の焼き菓子や、果実茶の茶葉も置かれていた。


「ここで売る品は、できるだけ茶房でもお出しすることにしたんです。実際に召し上がって、気に入っていただいたものを、そのまま持ち帰っていただけたらと思って」


義父が、干し林檎の袋を手に取った。


「これなら、帰りに土産として買っていく者もいるだろうな」


義母も、ジャムの瓶を手に取る。


「ただ、贈り物にするなら、もう少し箱や包みを工夫してもよさそうね」


「なるほど……でしたら、箱に入れるなら、瓶の蓋が見えすぎないようにして……」


顎へ手を添え、考え始めたところで。


「エリナ」


アーネストの声がして、顔を上げる。


「今日は客ではなかったのか」


「……あ」


義父が声を上げて笑った。


「す、すみません」


慌てて瓶を棚へ戻す。


けれど、胸の奥は温かかった。


数か月前まで、この屋敷で一人寂しくなって、泣いたこともあった。自分から出ていった場所でもある。それなのに今は、ここへ来ることが楽しみになっている。


そう思いながら店内を見回していたとき、ふと二階へ続く階段が目に入った。


「……私、少し二階へ行ってきます」


「何かあるのか?」


アーネストが尋ねる。


「自分の部屋を、少し見ておきたくて」


「そうか」


アーネストはそれ以上何も聞かず、棚へ視線を戻した。


私は一人、階段を上った。


◆


扉を開ける。


「……」


そこだけは、ほとんど変わっていなかった。


寝台と衣装棚、小さな卓。そして、窓の近くに置かれた机。家具だけは、以前と同じように残してある。ただ、中身はほとんどない。


衣装も、本も、身の回りの品も、今はグラーフ邸にある。


私は窓へ近づいた。


外に広がる景色は、ここで暮らしていた頃とはまるで違っている。花壇には季節の花が植えられ、庭の一角には、外でもお茶を飲めるように小さな卓と椅子まで置かれていた。


屋敷の中も、庭も、ここで働く人たちも、すっかり変わった。なのに、この部屋だけが、取り残されたように昔のままだった。


新しくしてしまってもよかった。この部屋も、客室か何かに使うことはできた。


それでも私は、ここだけは残した。


「……これで、よかったのよね」


誰にともなく呟く。


今の暮らしは、以前とは比べものにならないほど恵まれている。


アーネストも、義父も、義母も、リリアをはじめグラーフ家で働く皆も、私を大切にしてくれている。困ったときには助けてもらえるし、嬉しいことがあれば、一緒に喜んでもらえる。


だからこそ、忘れてはいけない。


私は、窓際の机へ近づいた。指先で、天板をそっと撫でる。


この机は、もともと母が使っていたものだった。母が亡くなったあと、私の部屋へ運ばれてきた。昔から何度も使ってきたから、小さな傷の場所まで覚えている。


「お母様……」


誰にも話していないことがある。


アーネストにも。


この机から、母の手紙が見つかっていた。


グラーフ邸へ荷物を移すため、机の中を整理していたときだった。


初めから私に読ませるつもりだったのか。それとも、ただしまっていただけなのか。それは分からない。


簡単には見つからない場所へ、ひっそりと隠されていた。


そこには、母の気持ちが綴られていた。


私へ家を託すことになってしまったこと。父のことも、兄や姉のことも、領地のことも、最後まで整理しきれないまま、結局その先を私へ託すことになってしまったこと。


そして、何度も謝る言葉が書かれていた。


私は、母を恨んではいない。


むしろ、あの手紙を読んだとき、胸が苦しくなった。


お母様は、ずっと一人で悩んでいたのだろうか。


家族も領地も守りたい。誰か一人だけを切り捨てることもできない。その間で、ずっと迷い続けていたのかもしれない。


もっと誰かに頼ることはできなかったのだろうか。私に、何かできなかったのだろうか。


そう考えることもある。


でも、もう確かめることはできない。


私は机の端へ手を置いた。


「……お母様。私、いろんな人に助けてもらったの」


一人で何もかも抱え込まなくてもいいのだと、少しずつ分かるようになった。


人に頼ることは、悪いことではない。助けてもらうことも、誰かに弱いところを見せることも。


「だから私、一人で全部を抱え込まないことにするね」


大切な人には頼りたい。そして、大切な人から頼ってもらえる人でいたい。


どちらか一方だけが我慢するのではなく、どちらか一方だけが支えるのでもなく。そんな関係を、これから築いていきたい。


階下から、かすかに声が聞こえた。


「エリナ」


アーネストだった。


「父上が、どれがお勧めなのか聞いている」


思わず笑みがこぼれる。


「分かりました。今、行きます」


もう一度だけ、机を撫でる。


それから、私は扉の方へ向かった。


階下からは、茶器の触れ合う音と、人々の話し声が聞こえている。


私は、その音のする方へ足を進めた。

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― 新着の感想 ―
お母様の手紙読んでたいですね
実際、当主である母親が存命中にエリナを後継者に指名してレオンを説得していたら、エリナはここまで苦労しなかったよな
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