第3話
あれから、三か月が過ぎた。
最後にエドウィン様から手紙が届いたのは、いつだっただろう。
「オルブライト子爵家から、何か届いていない?」
廊下を通りかかった侍女へ尋ねる。
「いいえ。本日は何も届いておりません」
「……そう」
ここへ来たばかりの頃は、エドウィン様から返事が届いていた。毎日のように交わしていたわけではない。それでも、私が手紙を送れば、しばらくして必ず返事が来た。
最初は、私の身体を気遣う言葉が書かれていた。次に届いた手紙は、それよりも短かった。そして最後に届いた手紙には、家政の勉強を続けるようにとだけ書かれていた。
それから、もう一月近く何も届いていない。
きっと、オルブライト子爵ご夫妻が止めているのだ。私の手紙を、エドウィン様へ渡していないのかもしれない。
そうでなければ、エドウィン様が私を放っておくはずがない。
小さく息を吐き、女中頭のいる部屋へ向かう。
私だって、十分に努力している。
食料庫の在庫を調べられるようになった。衣類や銀器の管理も覚えた。支出額を前の月と比較することもできる。最近では、女中頭から注意される回数も減っていた。
もう、何も知らなかった頃の私ではない。
女中頭の部屋の扉へ手をかけたとき、ふと自分の手が目に入った。
最初の頃に赤く腫れていた箇所は、もう治っている。代わりに、指先の皮膚が少し硬くなっていた。ペンを持つ指にも、薄い硬い部分ができている。
以前、エドウィン様は私の指を、白くてしなやかで美しいと褒めてくださったのに。
私は指を隠すように、手を握った。
もう十分だ。
これ以上、使用人と同じ仕事を続ける必要はない。
「一通りのことは覚えました。そろそろ実習を終えてもよいのではありませんか」
女中頭へそう訴えたが、返ってきたのは、今後も続けるようにという言葉だった。
「実習を終える時期をお決めになるのは、リディア様ではございません」
「ですが、私はもう――」
「旦那様から、終了のご指示はいただいておりません」
それ以上、取り合ってもらえなかった。
部屋を出ると、ちょうど廊下の向こうから、ブラン伯爵家の嫡男が歩いてくるのが見えた。
父の従兄弟にあたる人だった。
領内の鉱山や農園を視察したあと、そのまま王都へ向かっていたため、屋敷へ戻るのは数か月ぶりらしい。濃紺の上着には、光の加減で模様が浮かぶ新しい織物が使われている。王都で流行しているものだろう。
親しく話したことはほとんどない。
けれど、同じ年頃の貴族であれば、今の私の扱いが不当だと分かってくれるかもしれない。
私は歩調を速めた。
「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
彼の前で立ち止まり、笑みを浮かべる。慌てているようには見えないよう、胸の前で両手を重ねた。
「何?」
「大叔父様へ、お話しいただきたいことがあるのです」
「父上に? 何をかな」
「大叔母様のもとで学ばせていただいていることには、感謝しております。けれど……今のような仕事を、いつまでも続ける必要があるのでしょうか」
彼は何も答えなかった。
「もちろん、家政を学ぶ必要があることは理解しております」
私は慎ましげに目を伏せる。
「ですが婚姻後、私は子爵家の夫人となります。社交や来客への応対など、ほかに学ぶべきこともあると思うのです」
「そう」
「ですから、あなたから大叔父様へ、もう十分ではないかとお話しいただけないでしょうか」
微笑みながら、小さく首を傾げる。
彼はしばらく私を見たあと、あっさりと答えた。
「いいよ」
顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「仕事をやめさせるよう、父上に話してもいい」
「ありがとうございます」
「それで、いつこの屋敷を出ていくの?」
「……え?」
笑みを浮かべたまま、彼を見る。
「仕事をしない者を、ここへ置いておく理由はないだろう」
「私は……この屋敷を出たいと申し上げているのではありません」
「でも、働きたくないんだろう?」
「そうではなくて、私にはもっと向いている役目があるのではないかと――」
「あのさ」
言葉を遮られた。
「君は、自分がオルブライト家にとって、いつまでも待つだけの価値があると思っているの?」
「……どういう意味ですか?」
「顔立ちがよくて、愛想がよくて、家格も釣り合う令嬢なら、ほかにもいる」
「何を……おっしゃりたいのですか」
「家政も、ある程度ならほかの令嬢にもできる。それ以外に、君には何があるの?」
指先へ、鈍い痛みが戻ったような気がした。
「エドウィン様は、私を愛してくださっています」
「それは、君を妻にしなければならない理由にはならないよ」
「そんなことは……」
「まあ、私はオルブライト子爵夫妻ではないから、実際にどう考えているかは知らないけれどね」
彼は女中頭の部屋へ視線を向けた。
「仕事を続けるか、屋敷を出るか。好きな方を選べばいい」
この屋敷を出ても、行く場所などない。父と兄のいる鉱山へ行くなど、考えたくもなかった。
それに、いつエドウィン様から連絡が来るかも分からない。私がここを出てしまえば、手紙が届いても受け取れなくなるかもしれない。
「……実習へ戻ります」
「なら、そうすればいい」
彼は私の横を通り過ぎた。
「私なりに……学んでいるつもりです」
思わず、その背中へ声をかける。
彼が振り返った。
「なら、そのうち結果が出るんじゃない?」
それだけ答え、今度こそ立ち去っていく。
私は一人、廊下へ取り残された。
強く握った手の中で、硬くなった指先が手のひらへ食い込んでいた。
その月も、エドウィン様からの手紙は届かなかった。




