第8話
以前の私は、婚礼の料理なんて、皆が食べられるものなら何でもよいと思っていた。
でも、グラーフ家へ来てから、その考えは変わった。同じ肉でも、焼き方やソースによって、まったく味が違う。季節の野菜も、料理の仕方ひとつで驚くほど美味しくなる。
食事の時間そのものを楽しみにすることも、以前よりずっと増えた。
「……料理って、大切なのね」
思わず呟くと、向かいに座っていた義母が目を瞬いたあと、笑った。
「ようやく気づいたのね」
「こちらで美味しい料理をいただいたおかげです」
「あなた、いつも本当に美味しそうに食べるもの。料理長たちも喜んでいるわよ」
「そうなのですか?」
考えてみれば、初めて心から美味しいと思える料理をいただいたのも、このグラーフ邸だった。
今日は、婚礼の日に出す料理を決めるため、義母と料理長に相談することになっている。料理長は、すでにいくつかの献立を考えてくれていた。卓の上には、それを書き記した紙が何枚も並べられている。
「まず、こちらが一つ目の案でございます」
料理長が、一枚の紙を私の前へ置いた。
前菜に始まり、スープ、魚料理、肉料理。さらに野菜を使った料理や、最後に出す菓子まで書かれている。
私は上から順に目で追っていった。
「……こんなに出すのですか?」
普段の食事より、ずいぶん品数が多い。
「婚礼の宴ですもの」
義母が当然のように答える。
「とはいえ、一皿ごとの量は、普段のお食事より控えめにいたします」
料理長が説明を加えた。
「なるほど……」
それなら、すべて食べても動けなくなることはなさそうだ。
私はもう一度、献立へ目を落とした。
「こちらのお魚は、以前いただいたことがあります」
「はい。奥様がお気に召していたと伺いましたので、候補に入れさせていただきました」
「覚えていてくださったのですね」
その下には、別の魚を使った料理も書かれていた。
「こちらは?」
「今の時期によく捕れる魚でございます。淡白な味ですので、少し濃いめのソースを合わせる予定でおります」
「では、その次にお肉をいただいても、重くなりすぎない?」
「はい。そのように考えております」
説明を聞きながら、一つずつ見ていく。
自分だけで考えていたら、何を基準に選べばよいのかも分からなかっただろう。でも、料理長が理由を説明してくれると、少しずつ違いが分かってくる。
そのとき。
「大ぶりの海老もあるぞ」
突然、横から声がした。
顔を上げると、いつの間にか義父が献立を覗き込んでいた。
「あなた……ご予定があったのでは?」
「さっき終わった。エリナさんも前に美味しそうに食べていただろう」
義父は空いている椅子へ腰を下ろすと、当然のように献立を手に取った。
「あなたの婚礼ではありませんのよ」
「客としての意見だ。祝いの席なのだから、豪華な方がいいだろう」
思わず笑いそうになり、口元を押さえる。料理長は慣れているのか、何事もなかったように待っていた。
「エリナさんは、魚と海老ならどちらがいい?」
「ええと……」
私は献立へ目を落とし、少し考える。
「両方を少しずつ、というのは難しいでしょうか?」
「可能でございます」
料理長がすぐに答えた。
「魚料理を少し軽めにし、大ぶりの海老を添える形でしたら、その後の肉料理にも差し支えないかと存じます」
「では、それがいいです」
「ほら見ろ。海老も必要だっただろう」
「あなたが食べたいだけでしょう」
義母が呆れたように返した。
その後も、二人と料理長の話を聞きながら、一つずつ料理を決めていった。
「――では、料理につきましては、ひとまずこちらでよろしいでしょうか」
「はい。お願いします」
「承知いたしました。細かな調整につきましては、改めてご相談させていただきます」
料理長が一礼し、献立をまとめて部屋を出ていった。
「思っていたより、決めることが多いのですね」
私が息を吐くと、義母が笑った。
「まだ終わりではないわよ。実際に出す料理の試食もしなくては」
「あ……それは、ちょっと楽しみです」
「そうだろう」
そのとき、私はふと部屋の中を見回した。
アーネストはいない。今日は朝から用事があり、しばらく戻らないと聞いている。
今なら――。
「あの……お二人に、お渡ししたいものがあるんです」
義父が目を瞬いた。義母も、不思議そうに私を見る。
私は控えていたリリアへ目を向けた。リリアが頷き、用意していた細長い箱を持ってきてくれる。
それを受け取り、二人の前へ置いた。
「これまで、家のことも、婚礼のことも……本当にたくさん助けていただきました」
二人の顔を見る。
「ですから、何かお二人に贈りたいと思ったんです」
「まあ……」
義母の顔が明るくなる。
「開けてもよろしい?」
「はい」
義母が箱の蓋を開いた。
「これは……」
義母が、そっと胸飾りを手に取る。義父も、その隣に収められていたクラバット用の飾りを持ち上げた。
二人はそれぞれ手元の品を眺めたあと、ほとんど同時に相手のものへ目を向けた。
「あら」
「……同じ石なのか?」
「はい。同じ原石から切り出されたものだそうです」
私は少しだけ笑った。
「お二人が並んだときに、少しだけお揃いだと分かるものがいいなと思って」
二人が顔を見合わせる。
こうして並んでいる姿を見ると、やっぱりこの品を選んでよかったと思う。
「もちろん、無理に使っていただかなくても――」
「使うわ」
義母がすぐに答えた。
「とても素敵ですもの。ありがとう、エリナさん」
胸飾りを見つめながら、嬉しそうに微笑んでいる。
義父も、自分の飾りをしげしげと眺めた。
「私にも似合いそうだな」
「あなた、自分で言うのですか?」
「似合うものは仕方ないだろう」
義母が笑う。
その様子を見ているうちに、胸の奥がじんわりと温かくなった。
よかった。贈ってよかった。
「大切に使わせてもらうよ」
「……はい」
嬉しくなって、私も笑った。
そのとき、扉が開いた。
「何をしている」
聞き慣れた声に、肩が跳ねる。
振り返ると、アーネストが立っていた。
「え? お、お帰りなさいませ、アーネスト様」
早い。もう少し遅くなると思っていたのに。
「ああ」
アーネストはこちらへ歩いてくる。そして途中で、義母の手元にある胸飾りへ視線を止めた。
次に、義父が手にしているクラバットの飾りを見る。
「……それは?」
「いいだろう?」
義父が、どこか得意げに飾りを見せた。
義母も嬉しそうに胸飾りへ触れる。
「エリナさんからいただいたのよ」
「……そうか」
アーネストが、こちらを見た。
「……」
どうしよう。でも、せっかくなら驚いてほしい。
「……何だ」
「えっ」
「何か言いたそうだが」
「な、何でもありません」
「そうか?」
じっと見られ、私は慌てて義母の胸飾りへ視線を移した。
アーネストは、それ以上何も聞かなかった。ただ、しばらくしてから義父の手元へ、もう一度だけ視線を向けていた。




