第3話
鉱山へ送られてから、十日ほどが経った。
「なぜ俺が、使用人どもと一緒に働かなければならないんだ……」
鉱石を詰めた籠を背負いながら、声を潜めて呟く。
周囲にいるのは、ブラン伯爵家の下働きや、領内から集められた鉱夫ばかりだった。
ついこの間まで、俺はリュークハルト家の後継者だったのだ。本来なら、こいつらへ指示を出す側の人間だった。
それが今では、汗と土にまみれ、同じ服を着て、同じ坑道を行き来している。
耐えろ。今だけだ。
家督を取り戻せば、すべて元どおりになる。勝手に改築された屋敷も、すぐに元へ戻させる。
「何を止まっている!」
怒鳴り声に、現実へ引き戻された。
振り返ると、監督が険しい顔でこちらを睨んでいる。
「後ろがつかえているだろう! さっさと運べ!」
「今、行こうとしていた」
「口を動かす前に足を動かせ!」
周囲から、押し殺した笑い声が聞こえた。
「……くそっ」
歯を食いしばり、再び歩き出す。籠の紐が肩へ食い込み、背中には汗が流れていた。
しばらくして、坑道の外がわずかに騒がしくなった。
何事かと思って顔を上げると、身なりのよい若い男が、鉱山の管理人とともに歩いてくる。
ブラン伯爵の息子――父の従兄弟にあたる男だった。
領内の仕事を見て回っているらしい。
こちらに気づくと、奴は明るい顔で片手を上げた。
「レオン、頑張っているな!」
「……」
「慣れるまでは大変だろうが、頑張れよ」
そう言って、笑顔のまま通り過ぎていく。
あいつは汚れ一つない服を着て、管理人から説明を受けている。
同じ貴族の血を引いているというのに、なぜ俺だけが鉱石を運んでいるのだ。
「領地さえ取り戻せたら……!」
「何をしている! 次を運べ!」
再び監督の声が飛んできた。
◆
待ち望んでいた給金日が来た。
これまでの働きで、どれほど貯まっただろう。
一度の給金で代理人を雇えるとは思っていない。それでも、何度か受け取れば、申し立てを始めるための金くらいにはなるはずだ。
名前を呼ばれ、帳面を置いた机の前へ進む。
係の男から渡されたのは、小さな革袋だった。
手に載せた瞬間、眉を寄せる。
――軽い。
袋を開き、中を確かめた。
「……これだけか?」
「そうだ」
「何かの間違いだろう。俺は毎日休まず働いたんだぞ」
係の男が、帳面へ目を落とす。
「食費、宿舎代、作業着代を引いている。それから、残りの一部はローレンス殿の借金返済へ回されている」
「……は?」
思わず顔を上げた。
「なぜ俺の給金から払うんだ! 俺には関係ないだろう!」
声を荒らげると、周囲の者たちがこちらを見る。
係の男は、顔色一つ変えなかった。
「鉱山へ来る前に、ブラン伯爵から説明を受けなかったのか。生活に必要な分を除き、給金は返済へ回すと」
「借金を作ったのは父上だ! 俺には返済義務などない!」
「俺に言われても知らん。旦那様の指示だ」
「……大叔父上は、今どこにいる」
「屋敷へ戻られているはずだが」
俺は革袋を握りしめた。
「話をしてくる」
このままでは、いつまで経っても金が貯まらない。こんな馬鹿げた話を認められるものか。
◆
大叔父上の前へ通されるなり、俺は革袋を卓の上へ置いた。
「大叔父上。どういうことですか」
大叔父上は書類から顔を上げた。
「何がだ」
「俺の給金です。なぜ父上の借金返済へ回されているんです」
「ああ。そのことか」
あまりにも平然とした返事に、苛立ちが増した。
「俺は父上の保証人でも何でもない。なぜ俺が返さなければならないんですか」
「お前の父親が言っていたからだ。家族なのだから、困っている者を助けるのは当然だ、と」
言葉に詰まる。
「自分の借金も、家族で力を合わせて返せばよいそうだ。ならば、お前にも協力してもらおうと思ってな」
「ふざけないでください!」
思わず卓へ手をついた。
「あんな男の借金など、俺には関係ありません!」
「父親だろう」
「だから何だというんです! 俺は父上のせいで、すべてを失ったんですよ!」
声が部屋へ響いた。
「俺は犠牲者なんです! まだあの男に奪われなければならないんですか!? あんな男、もう家族でも何でもない!」
大叔父上が、しばらく俺を見た。
「……家族ではない、か。そうか」
それだけ言うと、再び書類へ視線を落とす。
「だが、私には関係ない」
「……何ですって?」
「私の妻が、お前の父親の借金を背負わされているのだぞ。お前たちが互いを家族と思っているかどうかなど、私の知ったことではない」
「……大叔父上のお気持ちも分かりますが――」
「私は夫として、その返済を求める立場にある」
大叔父上が顔を上げる。
「本人だけで足りないというのなら、家族で返すべきだという本人の言葉どおり、お前たちにも協力してもらうまでだ」
ずいぶんなこじつけだ。
そんな理屈で、なぜ俺の給金まで取られなければならない……!
「……なら、ここを出ます」
手を強く握る。
「こんな不当な扱い、受け入れられない」
「そうか」
大叔父上は、あっさりと書類へ視線を戻した。
「なら、好きにしろ」
あまりにも簡単に言われ、思わず目を瞬いた。
「それだけですか」
「ほかに何がある」
「俺がここを出ても、構わないと?」
「止める理由がない。お前は成人している。自分で生きると言うのなら、勝手にすればいい。ただし、今後こちらへ金を借りに来るな。クレアを頼ることも許さん」
腹の底が熱くなる。
「分かりました……こんなところ、こちらから願い下げです」
大叔父上はもう俺を見ていなかった。
俺がまだ何か言おうとしているのに、書類へ目を落としている。
「俺は、必ず家督を取り戻しますから」
それでも、大叔父上は顔を上げなかった。
俺は扉を開け、そのまま部屋を出た。
許せない。
父上も、大叔父上も。
俺の人生を勝手に決めやがって!
こうなったら、自分の力でリュークハルト家を取り戻すしかない。そうすれば、誰が正しかったのか分かるはずだ。
廊下を歩いていると、向こうから男が一人やってきた。
はとこだった。
今日も仕立てのよい上着を着て、いかにも機嫌よさそうな顔をしている。
「おや、レオン」
こちらに気づくと、笑顔で片手を上げた。
「父上に会いに来たの?」
「……ああ」
すれ違いかけて、足を止める。
こいつは昔から、どこか軽い。
領地の仕事はしているらしいが、いつ会っても妙に楽しそうで、真面目に物事を考えているようには見えなかった。
正直、あまり好きではない。
だが――自由にできる金くらい、持っているだろう。
「少しいいか」
「何?」
「金を貸してくれないか」
「え? 嫌だけど」
あまりにも早い返事に、耳を疑った。
「……まだ金額も言っていないぞ」
「金額の問題じゃないからね」
「必ず返す」
「そう言われてもなあ」
はとこは困った様子もなく笑っている。
「私は、勝ち目のない勝負に金を出さない主義なんだ」
「……勝ち目がないだと?」
「違うの? 貴族法院へ再審を申し立てるためなんじゃないの?」
「そうだが、なぜそれで勝ち目がないことになるんだ!」
「だって判決が出て、遺言が認められたんだろう?」
「遺言だけがすべてではないはずだ! 過去には遺言が認められなかった事例だってある! 俺は長年、後継者として領地の仕事をしてきた。その実績を主張すれば――」
「でもさ」
はとこが、笑ったまま首を傾げた。
「まともな代理人なら、そもそも引き受けないんじゃない?」
「……何?」
「審議は長引かなかったんだろう? 私なら受けないなあ」
「……金さえあれば、必ず見つけられる」
「そっか。そうかもね」
にこりと笑う。
「じゃあ、頑張れ。応援してるよ」
「……お前」
「悪いね、私は父上に用があるから」
軽く手を振り、そのまま大叔父上の部屋へ向かっていく。
俺はしばらく、その背中を睨んでいた。
……いいだろう。必ず見返してやる。
俺は革袋を握り直し、自分の荷物をまとめるために歩き出した。




