第2話
婚礼の日取りと場所が決まり、準備が始まっていた。
まだ決めなければならないことは多い。今日は、婚礼へ招く方々について、アーネストと相談していた。
グラーフ家から招くのは、親しく付き合いのある貴族や近隣の領主、領地経営に関わる方々。それに、アーネスト自身が付き合いを続けている友人や知人だ。
もっと大勢になるのかと思っていたけれど、アーネスト自身が招きたいという方は、思っていたよりずっと少なかった。
それでも。
「……」
手渡された名簿を見つめたまま、私はアーネストの膝の上でしばらく動けなかった。
「どうした」
「いえ……」
知っている名前が、いくつも並んでいる。もちろん、直接お会いしたことがあるという意味ではない。
侯爵家や伯爵家の当主、王宮で要職に就いている方。貴族の娘として覚えるよう教えられた名前や、グラーフ家へ来てから改めて教わった名前が、当たり前のように並んでいた。
「……この方々をお招きするのですか?」
「そのつもりだが」
私はもう一度名簿へ目を落とした。
これだけの方々が一堂に集まるのかと思うと、今から緊張してしまう。
「気にする必要はない」
「そう言われましても……」
「俺が付き合いのある者を呼ぶだけだ」
アーネストは、本当に何でもないことのように言った。
私は小さく息を吐き、ふと一つの名前に目が止まった。
クラウゼン子爵家。
その下には、ヴィオラの名前もある。
「……ヴィオラ様も、お招きするのですね」
「ああ。クラウゼン子爵家とは付き合いがあるからな」
お会いするのは、あの茶会以来になる。
私たちの婚礼に招かれて、彼女はどう思うのだろう。
「何だ」
「いえ……ヴィオラ様は、いらっしゃるでしょうか」
「来るかどうかは向こうが決めることだ」
「……そうですね」
そう答えながら、私はちらりとアーネストを見上げた。
ヴィオラは、家柄も申し分なく、美しい方だ。
……アーネストは、ヴィオラのことをどう思っていたのだろう。
「まだ何かあるのか」
「いえ、その……ヴィオラ様は、とても素敵な方ですよね」
「そうだな」
あっさり肯定されて、胸の奥がほんの少しだけざわついた。
確かに、その通りなのだけれど。
「では、どうして……」
「何がだ」
口にしかけて、私は止まった。
こんなことを尋ねるのは、おかしいだろうか。
「……何でもありません」
「エリナ」
名前を呼ばれ、仕方なく顔を上げる。
アーネストはしばらく私を見つめたあと、口を開いた。
「ヴィオラ嬢を妻にしたいと思ったことはない」
「えっ」
「聞きたいのは、それだろう」
「そ、それは……」
否定できずにいると、アーネストがわずかに目を細めた。
「彼女に何か問題があるという意味ではない。家柄も、令嬢としての振る舞いも申し分ないと思う」
「では、なぜ……」
「理由が必要なのか」
「そういうわけではありませんけれど……」
アーネストは少しだけ考え、それから私の腰へ回していた腕に力を込めた。
「君ではなかった。それだけだ」
一瞬、意味が分からなかった。
けれど、理解した途端、胸の奥がきゅっと甘く締めつけられる。
私はアーネストの胸元へ、そっと身を寄せた。腰へ回されていた腕が、少しだけ強くなる。
「……それで、君が呼びたい者は決まったか?」
「あ……はい」
慌てて帳面へ目を戻した。
「《小麦の鐘》のご夫妻と……カイルさん。それから、マルコさん……ええと、それから……」
「呼べばいい」
アーネストは、私の肩越しに手元を覗き込んだ。
「俺たちの婚礼だ。呼びたいだけ呼んだらいい」
「……はい」
私は頷き、さらに名前を書き足した。
少し前まで、知り合いと呼べる相手は、ほんのわずかしかいなかった。それなのに、いつの間にか、婚礼へ招きたいと思える人がこんなにも増えていた。
「全員を式へお招きするのは、難しいですよね」
「礼拝堂に入れる人数には限りがあるからな」
「そうですよね。うう、線引きが難しい……あ。あの、婚礼とは別に、領地の皆さんにもご報告したいのですけれど……」
「何か考えているのか」
「茶房が完成したら、そこで改めてお披露目の場を設けるのはどうでしょうか」
私は顔を上げた。
「領地の方や、これまで事業を支えてくださった皆さんをお招きして、茶房の開店のお披露目も兼ねて、ささやかな宴を開けたらと……」
アーネストは、少し考えるように目を細めた。
「いいと思う」
「本当ですか? ……でも、二度も宴を開くとなると、アーネスト様がお疲れになるのでは……」
「俺のことはいい」
「ですが、忙しくなりますよ?」
「……俺の心配をしているのか」
「え? もちろんです」
少し照れくさくなって、私は帳面へ視線を落とした。
「……大切な方ですもの」
そう口にした途端、腰へ回されていた腕に力がこもった。
「きゃ……」
不意に身体を引き寄せられ、私は目を瞬く。
婚姻してから、アーネストはときどき、こうして何の前触れもなく距離を縮めてくる。
私はアーネストの肩へ、そっと頭を預けた。
……幸せ。
アーネストの腕の中にいると、何度もそう思う。できることなら、ずっとこのままでいたいくらいだった。
ぼんやりそんなことを考えていると、腰へ回されていた腕の力がわずかに緩んだ。
アーネストが私の左手を取る。
「どうかなさいましたか?」
答えはない。
長い指が私の指の間へゆっくりと入り込み、そっと握られる。
指を絡めたいのだろうか。
そう思っていると、アーネストのもう一方の手が上着の内側へ伸びた。
取り出したのは、小さな箱だった。
「これは……?」
アーネストが箱を開く。
中には、白銀の細い指輪が収められていた。
表面には繊細な蔓草の模様が刻まれ、正面には小さな淡い緑色の石が埋め込まれている。光を受けるたび、若葉のような柔らかな輝きが揺れた。
「君の指輪だ」
「私の……」
アーネストは私の左手を支えたまま、指輪を手に取った。
「思ったより、時間がかかった」
私は指輪を見つめたまま、言葉を返せなかった。
「……好みではなかったか?」
不安そうな声に、私は慌てて首を横へ振る。
「いいえ。とても……とても素敵です」
アーネストは私の薬指へ視線を落とした。
指輪が、ゆっくりと指を通っていく。
「……ぴったり」
私は、指輪とアーネストを交互に見る。
「どうして、私の指の大きさを?」
「君が眠っている間に測った」
「えっ」
「起こせば、気づかれると思った」
胸がいっぱいで、今にも涙がこぼれそうだったのに、夜中に真剣な顔をして、私の指へ糸を巻いているアーネストの姿を想像してしまう。
「ふふっ……」
こらえきれずに笑うと、アーネストが眉を寄せた。
「なぜ笑う」
「すみません……でも、眠っている私の指を測っていたのかと思うと……」
「仕方がないだろう。驚かせたかった」
少し不満そうな声に、ますます笑みがこぼれた。
「はい……とても、驚きました」
私は、指輪のはまった手を胸元へ寄せる。
淡い緑色の石が、小さく光った。
「ありがとうございます。大切にします」
それだけでは足りない気がして、私はアーネストの胸へ抱きついた。
一瞬、アーネストの体が固まったが、すぐに両腕が私の背へ回された。
思っていたより強く抱き締められ、胸がまた大きく鳴る。
やがて、アーネストの手が私の頬へ触れた。
「エリナ」
「はい?」
顔を上げた途端、唇が重なった。
一度、離れる。
けれど、すぐにもう一度。
「ア、アーネスト様……?」
返事の代わりに、また唇を塞がれた。
気づけば、身体がゆっくりと傾いている。
背中が長椅子へ沈んだ。
見上げると、アーネストがすぐ近くにいる。
「……あの」
「嫌か?」
「い、嫌ではありませんけど……」
答えた途端、アーネストの目が細くなった。




