第8話
数週間前。
「婚礼衣装をお願いする仕立て屋なんだけれどね、ようやく予約が取れたのよ」
義母が、嬉しそうに言った。
「せっかくなら、あなたに一番似合うものを作ってもらいたいと思って。今は紹介客しか受けていないそうなのだけれど、伝手を頼って、なんとかお願いできたのよ」
以前から目をつけていたという、王都でも評判の仕立て屋らしい。
ただ、その店はずいぶん先まで予約が埋まっていた。
そしてようやく今日、仕立て師がグラーフ邸まで来てくれることになったのだった。
「お待たせいたしました。《フィル・ブラン》より参りました」
応接室へ入ってきた女性が、深く頭を下げた。
その後ろには、一人の助手が控えている。大きな布包みや箱は、荷運びのために雇われた男たちが運び込んでいた。
店の名を聞いたとき、どこかで耳にしたことがあると思っていた。
そして今になって思い出した。
以前、姉が話していた店だ。
王都で評判になっていて、一度ドレスを仕立ててみたいのだと、何度か父へ頼んでいた。
なかなか予約が取れないことまで、残念そうに話していた気がする。
「わざわざお越しくださって、ありがとうございます」
「こちらこそ、大切な婚礼衣装をお任せいただけること、光栄に存じます」
荷物が運び込まれると、助手が布を取り出し、卓の上へ並べていく。
「まずは、お顔映りのよいお色から選ばせていただきます」
仕立て師が、一枚目の布を広げた。
白だった。
けれど、次に広げられた布も、その次も白い。
雪のように澄んだ白に、わずかに青みを帯びた白、淡く黄みを含んだ白、やわらかな乳白色。
「こんなに違うのですね……」
思わず身を乗り出して見てしまう。
「白は、並べてみると違いがよく分かります。肌や髪のお色によっても、似合うものが変わりますので」
仕立て師は一枚ずつ、私の肩元へ布を当てていった。
「こちらは、少し色が強すぎますね」
「あら。綺麗だけれど、少し冷たく見えるかしら」
「こちらは少し黄みが強く、お顔が沈んで見えますね」
「そうねえ。他のお色は?」
次の布が肩へかけられる。
「あら、いいわね」
やわらかな乳白色だった。
「ええ。こちらが一番、お顔がやわらかく見えます」
鏡を見る。
確かに、先ほどまでの白よりも肌になじんで見えた。
「エリナさんは、どう?」
「はい。私も、これが好き――」
そう答えかけて、ふと卓の端に置かれたもう一枚の布が目に入った。
同じ乳白色だったが、先ほどのものより、少し光沢がある。
「こちらは?」
尋ねると、仕立て師がその布を広げた。
「同じ乳白色ですが、織り方が異なります。光の当たり方によって、少し表情が変わる生地でございます」
肩へ当ててもらう。
鏡の中で、布がやわらかく光った。
「……こちらが好きです」
「いいわね。では、それにしましょう」
「ええ。とてもよくお似合いです」
生地が決まると、次は意匠だった。
仕立て師が一冊の大きな見本帳を取り出し、卓の上で開く。さらに助手が、小さな箱をその隣へ置いた。
箱の中には、実際に刺繍を施した布片や、飾りの見本が収められている。
「まあ……」
義母が、楽しそうに身を乗り出した。
私も見本帳を覗き込む。
「すごい……」
見本帳には、ドレスそのものの形まで、私がこれまで見たことのないものがいくつも描かれていた。
腰から裾へ大きくふくらむ、まるで物語に出てくる姫君が着るようなもの。
反対に、腰から膝のあたりまでは身体の線に沿わせ、そこから裾だけを大きく広げたもの。
後ろの裾だけを長く引くものもあれば、薄い布を何枚も重ね、歩くたびに揺れるように仕立てたものもある。
どれも、これまで夜会で見てきたドレスとは、どこか違っていた。
なるほど、姉が仕立てたがっていたはずだ。
「こんな形のドレス、見たことがありません……」
「噂どおりね。こちらも素敵だわ」
義母は、楽しそうに一つずつ見比べている。
「ええ……どうしましょう……」
どれも素敵で、なかなか一つに決められない。
気づけば、私は眉間に皺を寄せたまま、真剣に見本帳を睨んでいた。
「こちら、本当に着られるのですか?」
思わず尋ねると、仕立て師が微笑んだ。
「もちろんでございます」
「物語の中でしか見られないものだと思っていました……」
隣を見ると、義母もいつの間にか黙り込み、見本帳を眺めていた。
しばらく頁をめくっていると、ふと一枚の絵に目が止まった。
「……これ」
それまでとは、少し雰囲気の違うドレスだった。
首元は高く、そこから胸元、肩にかけて、細かな草花模様のレースで覆われている。
同じレースを使った細身の袖が、手首まで続いていた。
腰まわりはすっきりとしているのに、そこから下は大きく広がっている。
「素敵……」
隣から何も聞こえないので顔を上げると、義母も同じ頁をじっと見つめていた。
「……」
「お義母様?」
「これ、いいわね」
「こちらは、最近お作りした新しい意匠でございます」
「あら……」
義母が、また見本帳へ顔を近づけた。
私も同じように、その頁をじっと見つめる。
「エリナさん。これ、気に入った?」
「……はい。とても」
もう一度ほかの頁へ戻ろうとは思わなかった。
「では、こちらの意匠でお願いできますか?」
「もちろんでございます」
仕立て師は、もう一度その頁へ目を落とした。
「こちらの意匠をもとに、レースの使い方や刺繍の配置など、ご希望に合わせて変更することもできます」
「例えば、どのようにですか?」
「そうですね……エリナ様でしたら、総レースのお仕立てもよくお似合いになるかと存じます」
仕立て師は、見本帳のドレスを指でなぞった。
「こちらの見本では、首元から胸元、それから袖にだけレースを使っておりますが、同じ意匠を身頃から裾まで広げる形でございます」
「あら……素敵ね。そちらの方がいいじゃない」
義母が、ぱっと顔を明るくした。
私も、もう一度見本帳の絵を見る。
首元や袖に使われている草花のレースが、ドレス全体へ広がった姿を想像する。
「……はい。総レースでお願いしたいです」
「かしこまりました」
仕立て師が微笑む。
私は、もう一度見本帳へ目を落とした。
これが、私のための一着になる。
そう思うと、胸が弾んだ。
落差えぐっと思われた方、感想お待ちしております☆彡




