第4話
屋敷の改装が始まって、数日が過ぎた。
私は玄関前に立ち、職人たちが資材を運び込む様子を眺めていた。
正直なところ、エリナお嬢様――いや、当主様が、私をこの屋敷へ残してくださるとは思っていなかった。
私は、奥様の遺言について知っていた。口止めされていたとはいえ、何も知らないお嬢様が、ご家族のために働き続ける姿を見ていた。
止めることも、真実を告げることもしなかった。
初めのうちは、ローレンス様へ苦言を申し上げたこともある。
奥様の遺志を無視したまま、レオン様を後継者として扱い続けることは、いずれ問題になるのではないかと。
けれど、返ってきたのは、
「お前もフリージアの側につくのか」
という言葉だった。
誰がこの家の主人なのか忘れたのか、とも言われ、私はそれ以上何も言えなかった。
レオン様にも、領内から届く報告だけでなく、時には元の記録や現場の状況まで確かめられてはいかがかと進言したことがある。
「必要なことは報告にまとめられている。すべてを俺自身が調べていたら、何のために人を使っているんだ」
そう言って、帳面を閉じられた。執事が後継者の仕事へ口を出すな、とも。
リディア様には、婚姻後のためにも家政を学ばれてはいかがかと申し上げた。
すると、困ったように微笑まれた。
「そういうことは、エリナが得意でしょう? 私は婚姻に向けて、社交や他家とのお付き合いを学ばなければならないの。皆が同じことをする必要はないと思うわ」
なおも勧めると、
「必要なら、お父様かレオンが言ってくださるでしょう。執事がそこまで心配しなくても大丈夫よ」
と、やんわり断られた。
あまりしつこくすれば、ローレンス様の耳へ入る。そう考え、私は口を閉ざした。
仕方がなかった。
そう言うことはできる。だが、何もできなかった事実まで消えるわけではない。
それにもかかわらず、当主様は私へ言ってくださった。この屋敷を守るために、力を貸してほしいと。
「それにしても……」
私は、改めて屋敷を見上げた。
まさか、この屋敷を茶房にするとは。
すでに家族の私室からは家具が運び出され、職人たちが壁や床の傷みを調べている。
……よく思いつかれたものだ。
もっとも、この計画を後押ししたグラーフ家の方々には、別の思惑もあるのかもしれない。
特に、グラーフ伯爵は、ローレンス様とレオン様を退去させた日、私たち使用人にも冷たい視線を向けていた。
お嬢様が長く苦しんでいた間、何をしていたのか。
そう問われているような気がした。
責められても仕方がない。私にできることは、この屋敷と、当主様の決定を守ることだけだった。
「……何だ、あれは」
門の方を見た私は、目を細めた。
皺の寄った上着を着て、汚れた襟元も乱れた髪もそのままに、小さな鞄を提げた男がこちらへ歩いてくる。
以前の面影がなければ、すぐには分からなかったかもしれない。
「レオン様」
私の声に気づき、レオン様が顔を上げた。
「セバス!」
足早に近づいてくる。
「ちょうどよかった。門を開けさせろ」
「お久しぶりでございます」
私は一礼した。
「何をしている。早く中へ入れろ」
「どのようなご用件でしょうか」
レオン様の眉がつり上がった。
「どのようなって……荷物を取りに来た」
「こちらは、すでにレオン様のお住まいではございません」
一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。それから、屋敷の前に積まれた材木や、出入りする職人たちへ目を向ける。
「これは何だ」
「改装工事でございます」
「改装?」
「この屋敷は、茶房として使用することになりました」
「……茶房、だと……?」
レオン様の声が裏返った。
「誰がそんなことを決めた!」
「当主様でございます」
「エリナが? 何を勝手なことを……!」
レオン様は屋敷へ向かって進もうとした。私は、その前へ立つ。
「退け!」
「工事中につき、当主様の許可なく人をお通ししないよう申しつけられております」
「当主だからといって、家族に相談もなく屋敷を好きにしてよいと思っているのか! 俺の部屋はどうした!?」
「現在、予約客向けの個室へ改装する準備を進めております」
「予約客……? 父上の書斎は!?」
「壁の一部を取り払い、商談室と事務室にする予定でございます」
レオン様が言葉を失う。
そのとき、門の外から馬車の音が聞こえた。
オルブライト子爵家の紋章が入った馬車だった。馬車は屋敷の前で止まり、扉が開く。
降りてきた人物を見て、私はわずかに目を見開いた。
「リディア様」
「セバス……?」
リディア様も、屋敷を見て立ち止まった。その後ろでは、従者たちがいくつもの衣装箱を降ろし始めている。
レオン様が振り返った。
「姉さん……どうしてここに?」
「レオン……?」
リディア様は、レオン様の身なりを見て、一瞬だけ顔をこわばらせた。
「あなたこそ、どうして……」
「俺は荷物を取りに戻ってきたんだ。なのに、エリナが勝手に屋敷を弄っているらしい」
「エリナが? セバス、これはどういうことなの?」
「茶房への改装工事でございます」
説明すると、リディア様の顔から笑みが消えていった。
「リディア様のお部屋からも、家具はすでに運び出しております。今後は予約客向けの個室として使用する予定でございます」
「ちょっと待って」
リディア様は、慌てて私へ近づいた。
「私は、しばらく実家で過ごすように言われて戻ってきたのよ。手紙が届いているでしょう?」
「当主様宛ての書面でしたら、現在滞在なさっているグラーフ邸へ届けられているものと思われます。こちらには、まだリディア様をお迎えするよう指示は届いておりません」
「そんなの困るわ。どこか、空いている部屋はないの?」
「申し訳ございません。安全を確認できない方をお通ししないよう、グラーフ伯爵から強く申しつけられております」
改装費用を負担し、工事の手配をしているグラーフ伯爵から、許可のない者は屋敷へ入れないよう厳しく言われていた。
もっとも、あの方が警戒しているのは、工事中の事故だけではないだろう。
「分かった。なら、せめて俺の私物を出してくれ。それから家具や銀器もだ。あれはリュークハルト家のものだろう!」
「私物でしたら、確認のうえお渡しいたします」
「なら、家具や銀器も――」
「それらはリュークハルト家の財産でございます」
「だったら、俺にも権利があるだろう!」
「いいえ。現在の当主様の管理下にございます。私の判断でお渡しすることはできません」
レオン様の顔が歪んだ。
「お前まで、エリナの味方をするのか!」
その言葉を聞き、昔の記憶がよみがえった。
――お前もフリージアの側につくのか。
私は胸へ手を当て、レオン様へ向き直った。
「私は、リュークハルト家の執事でございます。当主様のご決定に従い、この屋敷を守ることが、私の役目です」
「俺だって、リュークハルト家の人間だ!」
「はい。ですが、当主ではございません」
「……っ」
レオン様が言葉を詰まらせる。
私は門番へ合図を送り、同時に若い従僕を呼び寄せた。
「グラーフ邸へ使者を。リディア様がお戻りになったことと、レオン様も門前にいらしていることを、グラーフ伯爵様へお伝えしなさい」
「かしこまりました」
従僕が駆けていく。
その背中を見送りながら、私は屋敷を振り返った。
槌の音が響いている。
その音を聞きながら、遠い日の奥様の言葉を思い出した。
――子どもたちを、お願いね。
申し訳ございません、奥様。
私は、あなたの願いをかなえることができませんでした。あなたのお子様方を、正しい道へ導くこともできなかった。
私は、しがない執事でしかない。この年になって、そのことをつくづく思い知らされる。
それでも、私にできることが一つだけある。
当主様と、この屋敷のために尽くすこと。
それだけだ。




