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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳@受賞・書籍化進行中
二十一章

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第3話

あれから数日、俺は知人の屋敷を何軒も訪ねたが、どこも似たような反応だった。


「主人はただいま外出しておりまして」


「本日は先約がございますので」


「申し訳ありません。急なご訪問には対応いたしかねます」


最初の男とは違い、屋敷へ上がることすらできないところもあった。


「……おかしい」


以前なら、俺が名を告げれば、門前で追い返されるようなことなどなかった。


「まさか、グラーフ家が……?」


あの男が何か言っているのか。


そうでなければ、以前は普通に応対していた者たちが、揃って俺を避ける理由が分からない。


俺が助けを求めても相手にするなと、近隣の貴族へ話を通しているのかもしれない。


「どこまでやるつもりなんだ……」


こうして周囲から俺を孤立させ、諦めさせるつもりなのだろう。


だが、そうはいかない。


俺は家督を取り戻さなければならない。リュークハルト家の後継者として育てられてきた俺が、本来あるべき場所へ戻るのだ。


俺は通りを歩きながら、手元に残った金を思い浮かべた。


初めの数日は、貴族や裕福な商人が利用する宿を取っていた。部屋も広く、食事にも不満はなかったが、連泊すると宿代だけで毎日それなりの金が消えていく。


「こんなことに使っている場合じゃない」


貴族法院へ改めて申し立てるにも、何かと入り用になるだろう。寝るだけの場所へ金を使い続けるなど、馬鹿げている。


通りをしばらく歩いたところで、一軒の宿が目に入った。


一階が酒場になっているらしく、開け放たれた扉の向こうから人の話し声が聞こえてくる。看板も建物も簡素で、先ほどまで泊まっていた宿とは比べるまでもない。


「……ここにするか」


本来なら、こんな場所に泊まる身分ではない。


だが、今はそうも言っていられなかった。これは節約だ。家督を取り戻すために、余計な出費を抑えているだけなのだ。


そう考えながら扉をくぐる。


「いらっしゃい」


声をかけてきたのは、カウンターの向こうに立つ中年の男だった。


店内を見回す。


思っていたほどひどくはない。昼を過ぎたばかりだからか客も少なく、端の卓では商人らしい男が二人、食事をしている。奥には職人らしい格好の男もいたが、酔いつぶれて騒いでいるような者はいなかった。


「……まあ、この程度なら」


俺はカウンターへ向かった。


「部屋は空いているか?」


「一人部屋なら空いてますよ」


主人から告げられた額は、これまでの宿よりずっと安かった。


これなら、しばらく滞在してもそれほど痛くない。


「そこを頼む」


「食事はどうします?」


「必要な時に頼む」


「分かりました」


部屋へ荷物を置いたあと、俺は再び一階へ下りた。何軒も屋敷を回って歩いたせいで、さすがに疲れていた。


カウンターの端へ腰を下ろす。


「酒をくれ」


「何にします?」


「安いものでいい」


主人が一瞬こちらを見たが、何も言わず酒を注いだ。


杯を受け取り、一口飲む。


特別うまい酒ではない。だが、値段を考えれば悪くなかった。


「何かつまみますか?」


「ああ。適当に頼む」


しばらくすると、小さな皿が目の前へ置かれた。


薄く切られたチーズと、茶色がかった果物。


何気なく一枚つまみ、チーズと一緒に口へ入れる。甘酸っぱい味と塩気が重なったところで、手が止まった。


「……これは、干し林檎か?」


「ええ。最近、よく出るんですよ。チーズと一緒に食べると酒に合うってんでね」


「これは、どこから仕入れている?」


「リュークハルト領ですよ」


「やはりな。うちの領地からだったか」


主人の手が、わずかに止まった。


「……うちの領地?」


「ああ。俺はリュークハルト家の者だ」


「へえ……もしかして、エリナお嬢さんのご家族で?」


「兄だ」


「ああ、お兄さんでしたか。エリナお嬢さんにはお世話になっております」


「そうか」


俺はもう一枚、干し林檎をつまんだ。


「うまいだろう?」


「ええ。評判はいいですよ」


「当然だ。うちの領地の乾燥物は、ほかとは違うからな」


「そうなんですか」


「ああ。林檎だけじゃない。無花果なんかも作っている。最近は取引先も増えているはずだ」


「へえ……」


「エリナが始めた頃は、心配したものだ。まあ、家の事業として続けさせた甲斐はあった」


「ええ。お若いのに、しっかりしてますよね。この前も、チーズと一緒に出してみてはどうかって教えてくれたんですよ」


「そうか。まあ、あいつは昔から細々としたことを考えるのは得意だったからな」


主人は「へえ」とだけ答え、手元の杯を拭き始めた。


しかし、乾燥物が、まさかこんな宿にまで入っているとは思わなかった。


俺が把握していた以上に、手広くやっていたらしい。


皿に残っていた最後の一枚を口へ入れる。


「もう少し、これを出してくれ」


「干し林檎とチーズですね」


「ああ」


空になった皿を、主人の方へ押した。


「せっかく妹が世話になっている店なんだ。俺も少しくらい味を見ておかないとな」


「分かりました」


主人はそう言って、皿を下げて奥へ戻っていった。


俺は杯に残った酒を口へ運ぶ。


さて、これからどうするか。


知人を頼るのは、思っていた以上に難しそうだった。金を貸してもらえないとなれば、手元にある金だけで代理人を探さなければならない。


だが、今の額では心許ない。


「……金か」


何か、金に換えられるものはなかっただろうか。


俺が持ち出した荷物など、たかが知れている。服を売ったところで、大した額にはならないだろう。


そこまで考えたところで、ふと屋敷の中が頭に浮かんだ。


「……あるじゃないか」


家具や銀器に、絵画。母上が使っていた調度品も、いくつか残っていたはずだ。


売ったところで、母上が俺に残そうとした額には到底及ばない。それでも、ある程度まとまった金にはなるはずだ。


「そうだ……これは当然の権利だ」


これは盗むわけではない。


俺は、本来なら母上の遺言で金を受け取るはずだった。それが父上のせいで、もうほとんど残っていない。なら、その分を別の形で受け取ってもいいはずだ。


まして、その金は家督を取り戻すために使う。無駄遣いするわけでもないのだから、何もおかしくはない。


ただ――正面から話せば、エリナは認めないだろう。


それどころか、グラーフ伯爵まで口を出してくるに違いない。


「……俺の荷物が、まだ残っていたな」


着替えや本、それに細かな私物をいくつか置いたままだったはずだ。


それを取りに来たと言えばいい。


自分の荷物を引き取りに来た兄を、さすがに門前で追い返すことはできないだろう。


屋敷へ入ってから、売れそうなものを確認すればいい。


「よし、明日にでも行ってみるか」


ようやく道筋が見えた気がして、俺は残っていた酒を飲み干した。


ちょうどそこへ、主人が新しい皿を持って戻ってくる。


干し林檎とチーズが、先ほどと同じように盛られていた。


「お待たせしました」


「ああ」


皿を引き寄せ、俺は機嫌よく干し林檎を一枚つまんだ。


主人が、手元の帳面へ何かを書き込む。


「では、追加の一皿で――」


告げられた額に、俺は眉を寄せた。


「……俺からも代金を取るのか?」


「はい?」


「これはリュークハルト領の商品だろう。俺はエリナの兄だぞ」


主人は一度瞬きをした。


「……エリナ様だって、ここで食事をされた時は、きちんと代金を払ってくださいますよ」


「……は?」


「仕入れた品ですからね。誰が食べても、代金はいただきます」


主人は当然のように答えた。

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― 新着の感想 ―
「家の事業として続けさせた甲斐はあった」って…認知が歪みすぎてる:( ;´꒳`;) 裁判までやったのに貴族の中に噂が回ってないって思ってるのかな…
きゃー、兄さん… エリナのテリトリーで、無銭飲食なんてやめてくれー(泣)
 うわぁ…自ら転がり落ちてくな…。
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