第2話
数日後、エドウィン様が私の部屋を訪ねてくださった。
「リディア、花嫁修業はどうだ? 少しは慣れたかい?」
「ええ。夫人がとても丁寧に教えてくださるので、少しずつ分かるようになってきました」
「母上は厳しいところもあるが、教えるのは上手だろう?」
「はい。夫人のおかげで、少しずつできることも増えてまいりました」
エドウィン様はうれしそうに笑った。
「そうだ。リディア、これを」
差し出されたのは、小さな箱だった。
蓋を開くと、花をかたどった髪飾りが収められている。細い金細工の花弁に、小さな宝石が散りばめられていた。
「まあ……! エドウィン様、ありがとうございます」
思わず笑みがこぼれた。
エリナの件があってから、新しいものを贈られたのは初めてだった。
やはり、エドウィン様を選んでよかった。
髪飾りの意匠は、私の好みとは少し違っていた。それは、これから教えていけばいい。夫婦になれば、私が好きな色や意匠も、少しずつ分かってくださるようになるだろう。
「気に入ったか?」
「もちろんです。大切にいたしますわ」
エドウィン様が満足そうに頷く。
その姿を見ていると、ふと婚礼のことを思い出した。
「どうした?」
「いえ……」
「何か気になることがあるのか?」
私は少し迷ったあと、口を開いた。
「婚礼の規模を改めるお話ですが……」
「ああ。母上がそう言っていたね」
「あまり簡素な婚礼では、オルブライト家まで軽く見られてしまわないかと心配で……」
「そうなのかい?」
「私のことだけなら、我慢できます。でも、あなたや子爵様ご夫妻に恥をかかせることになったらと思うと……」
「リディア……もう、我が家のことまで考えてくれているのか」
エドウィン様の表情がやわらかくなった。
「私から、父上と母上に話してみよう」
「よろしいのですか?」
「ああ。リディアがそこまで心配しているのに、何もしないわけにはいかないだろう」
「ありがとうございます、エドウィン様」
胸の奥にあった重苦しさが、一気に晴れていく。
エドウィン様も、同じように考えてくださった。
これから夫婦になる相手が、私の気持ちを理解してくれる方で本当によかった。
エドウィン様がお帰りになったあと、私は鏡台の前で髪飾りを眺めた。
背後では、マリタが無言で茶器を片づけている。
「きれいでしょう?」
「はい。よくお似合いになるかと存じます」
言葉は丁寧だが、やはり表情はほとんど変わらない。
きっと彼女も、私付きになることを望んでいなかったのだ。
子爵夫人に命じられたから、仕方なく世話をしているのかもしれない。
それなら、無理に続けてもらう必要はない。
結婚後も身近に置く侍女なら、もう少し気持ちの通じる者の方がよいだろう。
残念だが、頃合いを見て、別の侍女へ替えていただけないか夫人へお願いしてみよう。
私はそう決め、贈られた髪飾りを箱へ戻した。
◆
翌日の午後。
私は、子爵ご夫妻から応接室へ呼び出された。
もしかすると、エドウィン様がうまく話してくださったのかもしれない。
婚礼の規模について、改めて私の希望を聞いてくださるのだろうか。
そんな期待を抱きながら応接室へ入った。
向かいの長椅子に並んで腰かけるお二人の顔を見た瞬間、胸の内で小さく息を吐く。
表情は穏やかなままだったが、その目元は少しも笑っていない。
どうやら、うまくはいかなかったらしい。
「リディア嬢は、妹君について、ずいぶん不満をお持ちのようですね」
最初に夫人が口にしたのは、婚礼ではなくエリナのことだった。
「不満だなんて……そのようなつもりではございません。ただ、父とレオンに対して、もう少し慈悲があってもよかったのではないかと……」
「あなたがこの婚姻を失わずに済んだのは、その妹君のおかげだということは、理解していらっしゃるの?」
「……え?」
「確かに、私どもはあなたの社交性や人当たりのよさを評価しておりました。エドウィンがあなたとの婚姻を望んだことも、小さくはありません」
夫人は一度言葉を切った。
「ですが、それだけで、ローレンス殿から伺っていた持参金も婚姻支度も、ほとんど用意できないという事実を覆せるものではありません」
私は目を見開いた。
「それでも私どもが婚姻を進める方向で考えたのは、エリナ嬢がリュークハルト家の当主となり、その将来性を評価したからです」
エリナが?
どうして、そこでエリナの名前が出てくるのだろう。
子爵様が額へ手を当て、深く息を吐いた。
「それにしても……あなたがご自分の家について、ここまで何もご存じなかったとは思わなかった」
「……仰るとおりです。それは、私の落ち度でございます」
私は素直に頭を下げた。
「母を亡くしたことがつらく、父とレオンに頼り切りになっておりました」
「家政についても、妹君がすべて引き受けていたそうですね」
「はい……あの子が、自分から進んでしてくれていましたので……」
「それならば、なぜ長い間あなたを支えてくれた妹君を、今になって悪く言うのですか?」
「違います!」
思わず顔を上げ、慌てて首を振った。
「私はエリナに感謝しています。決して、悪く言うつもりなど――」
「では、今になって妹君を責めるのはおやめなさい」
そういうつもりではない。
私は事実を話しただけなのに、どうしてエリナを悪く言ったことになるのだろう。
「それから。あなたは、私どもが決めた婚礼の規模を、エドウィンから覆させようとなさいましたね」
「エドウィン様は、私の話に同調してくださっただけです……!」
「私どもの決定では、当家の体面を守れないと?」
「そのようなつもりでは……」
「一生に一度の婚礼ですもの。華やかに祝われたいという気持ちは理解できます。けれど、エドウィンの気持ちを利用するような行動は、看過できません」
私は頼んだつもりなどなかった。
エドウィン様が、自ら話すとおっしゃっただけなのに。
子爵様はゆっくりと顔を上げた。
「グラーフ伯爵家からは、あなたとの婚姻にかかわらず、今後もよい関係を築きたいとのお話をいただいております」
身体が固まった。
「……私との婚姻に、かかわらず?」
「ああ。グラーフ伯爵は、あなたとの婚姻によって私どもの判断を縛るつもりはないとおっしゃった」
「アーネスト様が……」
なぜ、そこまでするの。
私はもう、エリナの邪魔などしていないのに。
「むしろ、家の将来を考えたうえで判断するのであれば、その結論を尊重すると」
「このままここで花嫁修業を続けても、あなたは婚姻を失いたくない一心で、私どもの望む答えを口にするでしょう」
夫人の言葉に、何も返せなかった。
「ご自分が本当に何を間違えたのか。妹君へ何を求め、エドウィンに何をさせようとしたのか。いったん離れた場所でお考えください」
私は顔を上げた。
「婚約を……解消なさるおつもりですか?」
「まだ決めておりません」
「では、エドウィン様は、このことをご存じなのですか?」
「これから話します」
「エドウィン様とお話をさせてください」
「今は認められません」
夫人は、きっぱりと答えた。
「マリタ」
夫人に呼ばれ、壁際に控えていたマリタが一歩前へ出た。
「リディア嬢のお荷物をまとめてください。明日の朝、リュークハルト家へお送りします」
「承知いたしました」
マリタが一礼し、応接室を出ていく。
私は動くことができず、膝の上で手を握りしめた。
あれほど真面目に花嫁修業へ取り組んだのに。
この家の体面を考え、よい妻になろうとしていたのに。
――ひどい。
それでも、その言葉を口にすることはなかった。
今ここで感情を露わにすれば、本当に婚姻を失う。まだ解消すると決まったわけではない。
エドウィン様と話す機会さえ得られれば、きっと分かってくださる。
私は唇を噛み、俯いた。




