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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
二十章

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第7話

セバスが退出しかけて、ふと思い出したように足を止めた。


「当主様。お忙しいことは承知しておりますが、一度、乾燥小屋の者たちにもお顔をお見せになってはいかがでしょう」


「あ、それなら今日の帰りに寄るつもりだったの。差し入れも持っていこうと思っていて」


セバスの表情が和らいだ。


「それは、皆も喜ぶことでしょう」


「セバスもありがとう。ずっと任せきりになっていたから、気になっていたの」


領地を離れているあいだも、乾燥小屋からは定期的に報告が届いていた。


今のところ、大きな問題は起きていない。


新しい販路を増やしているわけでもなく、決まった商会へ決まった量を出荷するだけなら、現場の皆だけでも十分に回せているようだった。


私がいなくても、それぞれが自分の仕事をきちんと続けてくれている。


そのことが、何よりありがたかった。


「いいえ。ですが、もう少しでイチジクの季節になります」


「そうなのよね。林檎より忙しくなるし、今のままというわけにはいかないわ」


原料として持ち込まれる果実の量も増える。そうなれば、作業する人を増やす必要も出てくるだろう。


「だから、グラーフ領から責任者を任せられそうな方を紹介していただいたの」


「さようでございましたか」


紹介されたのは、グラーフ領の集積所で、荷の出入りや在庫の記録を管理している男性だった。


普段から現場にも出ており、作業の流れもよく分かっているらしい。


アーネストによれば、今より一段上の仕事を任せても問題ない人物だと、集積所の責任者からも報告を受けているそうだ。


「それに、いつまでもセバスに乾燥小屋まで任せるわけにもいかないものね」


口にしながら、私は乾燥小屋で働く人たちの顔を思い浮かべた。


初めは、その中から責任者を選ぶことも考えた。ただ、乾燥小屋全体を見るとなれば、作業の指示だけでは足りない。


原料がどれだけ入り、どれだけ商品になったのか。何箱を出荷し、在庫がどれほど残っているのか。商会から届く書面にも目を通し、何かあれば私へ報告してもらう必要がある。


今働いている人たちの誰か一人へ、いきなりすべてを任せるより、まずは経験のある人に責任者をお願いした方がいいと思った。


「……でも、いつかは乾燥小屋で働いている人の中から、責任者を任せられる人が育つようにしたいわね」


セバスが頷く。


「よろしいお考えかと存じます」



セバスと別れたあと、私はアーネストを探しに行った。


屋敷では、使用人たちが早速、改装に向けて荷物をまとめ始めていた。片づけが終わったところから、順に工事へ入る予定になっている。


一階には姿が見当たらなかったので、階段を上がった。


二階の廊下を歩く。


以前から、この屋敷はそれほど賑やかではなかった。


それでも、父の執務室へ向かうときには、今日は何を言われるのだろうと重い足取りでここを歩いた。


兄と顔を合わせれば、仕事のことで小言を言われることもあった。


姉の部屋の前を通れば、夜会の前などは何人もの侍女が出入りし、衣装や装飾品を運んでいた。


それも、もうない。


父の執務室の扉は閉じられたまま。


兄の部屋から声が聞こえることもない。


姉の部屋の前を行き来する侍女の姿もなかった。


廊下の奥まで進むと、私の部屋の扉が少しだけ開いていた。中を覗くと、アーネストは、机の前に立っていた。


「お待たせしました」


そう言いかけて、私は足を止めた。


アーネストの視線は、机の上に落ちている。そこには、開いたままの帳面があった。


「あ……」


慌てて駆け寄る。


「み、見ないでください……!」


帳面を閉じようとして、焦ったせいで手元がもつれた。ようやく閉じると、私はそれを胸に抱えるようにして隠した。


「す、すみません。散らかっていて……」


中身は走り書きばかりだった。


思いついたことや、その日に確認すること。仕事の計算まで、空いているところへそのまま書き込んでいる。こんなものを見られるなんて、恥ずかしすぎる。


アーネストは何も答えなかった。ただ、私を見ている。


「……いつ書いた」


「え?」


「金貨三百」


息が止まった。


帳面を抱える手に、力が入る。


「いつ書いた」


もう一度問われ、私は視線を落とした。


「……あのときです。アーネスト様が、この屋敷に来てくださったあとです」


「……あの頃、俺を避けていたのは、それが理由か?」


私は小さく頷いた。


「俺は……君にそれを用意しろと言ったつもりはない」


「……そ、そうですよね。私が先走ってしまって……」


言葉がうまく続かない。


「アーネスト様は前から、気にしないとおっしゃってくださっていたのに……私が勝手に……」


「だが」


アーネストはそこで言葉を切った。何かを飲み込むように、短く息を吐く。


「君には、そう聞こえたんだな」


私は何も言えなかった。


次の瞬間、そっと抱き寄せられた。


「悪かった」


背中へ回された腕に、少し力がこもる。


「俺は、君なら自分の足で立てると、そう言いたかった」


「……」


「俺の言い方が悪かった。すまない」


私は、アーネストを見上げた。


眉間には深い皺が寄っている。


――私が思っているよりも、この人は不器用なのかもしれない。


そう思うと、少しだけ笑いそうになった。なのに、目の奥が熱くて、うまく笑えなかった。


私は、彼の胸へ額を寄せる。


しばらく、二人とも何も言わなかった。


アーネストの腕の中で、強張っていた肩から少しずつ力が抜けていく。


……この人を、好きになってよかった。

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― 新着の感想 ―
>>私が思っているよりも、この人は不器用なのかもしれない。  え、今(気付いたの)??(笑)
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