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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
十九章

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第8話

私は落ち着かない気持ちのまま、アーネストをちらりと見る。


アーネストは、いつもと変わらない顔で立っていた。


やはり、私とは違うのだ。


アーネストは私より年上で、何事にも慣れている。同じ寝室を使うことくらいで、こんなにも慌てているのは、きっと私だけなのだろう。


一人ではしゃいでいるようで、急に恥ずかしくなった。


視線を逸らしたとき、衣装棚に並ぶ一着のドレスが目に入った。


アーネストが、初めて私へ贈ってくれたドレスだった。


あの頃は、まさかこんな日が来るなんて、考えたこともなかった。


――例えば、俺と縁談を進める場合でも同じだ。


あのときの言葉を思い出していると、不意に背後から腕が伸びてきた。


「……アーネスト様?」


アーネストの腕が、私の身体を包み込む。背中が彼の胸へ触れ、心臓が大きく跳ねた。


「何を考えてる?」


耳元で尋ねられ、私は衣装棚に並ぶドレスを見つめた。


「アーネスト様と、出会った頃のことです……あのとき、アーネスト様がおっしゃったことを思い出していました」


――例えば、俺と縁談を進める場合でも同じだ。


あの言葉を聞いたとき、私はただ驚くばかりだった。


アーネストが、私にも選択肢があることを分からせるため、例として挙げただけなのだと思っていた。


私は腕の中で身体を返し、アーネストを見上げた。


「あのとき、本当に私との縁談を考えていらしたのですか?」


「ああ」


あまりにも迷いのない返事に、私は目を瞬いた。


「まったく考えていない相手を、例には出さない」


「でも……あの頃から、私を妻にしたいと決めていたわけではありませんよね?」


「そこまでは考えていなかった」


アーネストは少しだけ視線を落とした。


「だが、結婚相手として考えるなら、君は悪くないと思っていた」


「それは……私が仕事をしていたからですか?」


「それもある。それに、信用できた。話をしていて、考え方が大きく違うとも思わなかった。自分で考えて動けるところもな」


あまりにも彼らしい理由で、少しだけおかしくなる。


「ずいぶん、実務的な理由だったのですね」


「婚姻を考えるなら重要だろう」


「そうですけれど……」


でも、それなら。


いったい、いつからだったのだろう。


私を結婚相手として見てもよいと思っていただけのアーネストが、私を好きになってくれたのは。


聞いてみたい。


けれど、いざ口にしようとすると、急に恥ずかしくなった。


「……何だ」


「い、いえ。何でもありません」


俯くと、アーネストはしばらく黙って私を見つめていた。


それから、腰へ回していた腕で、私をさらに引き寄せる。


「気づいたときには、ほかの男へ渡すつもりがなくなっていた」


「……っ」


顔が一気に熱くなる。


聞けずにいたことを、そのまま答えられてしまった。


「今は、君以外を妻にする気はない」


胸の奥が、また大きく鳴った。


私は彼の腕の中で、そっと微笑む。


「それなら……よかったです」


「ああ」


短く答えたあと、今度はアーネストが私を見下ろした。


「君はどうなんだ?」


「え?」


「いつからだ?」


「ええっ!?」


今度は私が聞かれるとは思っていなかった。


「そ、そう言われても……私も、いつの間にかなので……」


答えるほど、声が小さくなっていく。


本当に、いつからなのか分からない。


初めの頃は、何を考えているのか分からなくて、話すたびに緊張していた。けれど、いつの間にか会うことが増え、話を聞いてもらえることが嬉しくなった。


会えない日が続けば寂しいと思うようになり、次はいつ会えるのだろうと考えるようになっていった。


でも、きっと――。


「……私がつらいとき、いつもそばにいてくださって……」


言葉にすると、胸の奥がいっぱいになる。


「アーネスト様がいてくださったから、私、頑張れたんです」


私は彼を見上げた。


「だから……好きになりました」


アーネストは、何も言わなかった。


ただ、私を抱く腕に、ゆっくりと力がこもった。



夕食を終えると、私はリリアに連れられて湯浴みへ向かった。


けれど――。


「……今日は、ずいぶん丁寧なのね」


いつもより時間をかけて身体を洗われ、髪も念入りにすすがれている。


「ああ……そうか」


思わず、小さく呟いた。


今日は、初めてアーネストと一緒に寝るのだ。


そう思った途端、頬が熱くなる。


湯浴みを終えると、身体を拭かれ、今度は薄く香油をなじませられた。腕から肩へ、そして首筋へ。ほのかに甘い香りが立ちのぼる。


「……いい香り」


「本日は、こちらがよろしいかと思いまして」


リリアの指が首筋に触れた。


「ひゃっ」


「奥様?」


「す、すみません。くすぐったくて……」


「もう少しだけ我慢してくださいませ」


「はい……」


今度は鏡台の前へ座らされる。


リリアが、私の髪を丁寧に梳いていった。


グラーフ前伯爵夫妻の屋敷へ来てから、毎日のようにリリアが手入れをしてくれている。以前は適当にまとめるだけだった髪も、今では自分でも驚くほど艶が出ていた。指通りも、ずいぶん違う。


そんなことを考えながら鏡を眺めていて、ふと気づく。


鏡の中のリリアは、妙に真剣な顔をしていた。いつもだって丁寧だけれど、今日はそれ以上だ。


ようやく髪を梳き終えると、今度は夜着が用意された。


「本日は、こちらを」


広げられた夜着を見て、私は目を瞬く。


いつも着ていたものより、少しだけ大人びていた。


淡い菫色の、わずかに光沢のある布地に、襟元と袖には繊細な刺繍が施されている。身体に沿う、すっきりとした仕立てだ。


可愛い。


でも――。


「いつもの夜着とは、少し違うような……」


「ご婚姻初日でございますから」


「……そうね」


アーネストの妻なのだ。


アーネストに並ぶなら、こういう少し大人びたものも必要なのだろう。


そんなことを考えながら、夜着へ袖を通す。


支度がすべて終わると、リリアは私を上から下まで確かめ、満足そうに頷いた。


「よろしいかと存じます」


「そんなに確認しなくても……」


「大切な日でございますから」


何がそんなに大切なのか。


そう思いながら立ち上がると、リリアがにこりと微笑んだ。


「では、参りましょうか」


「は、はい……」


廊下を歩く間、なぜか自分の足音ばかりが耳についた。


やがて、リリアが一つの扉の前で足を止める。


「こちらでございます」


扉が開かれた。


私は中へ入り――目を見開いた。


部屋そのものは、落ち着いた造りだった。


深い色合いの木製家具に、厚手の絨毯。壁の装飾も控えめで、伯爵の寝室という言葉から想像していたほど華美ではない。


けれど。


部屋の中央に置かれた寝台だけは、どうしても目に入った。


「……大きい」


思わず、声が漏れる。


私が実家で使っていた寝台とは、まるで違う。


「これ、本当に二人用なのですか……?」


「……はい。ご夫妻がお使いになる寝台でございます」


どう見ても、二人で眠ってもまだ余りそうなほど広い。


「奥様。どうぞ、あまり緊張なさいませんよう」


「……え?」


「では、私はこれで失礼いたします」


「リ、リリア?」


返事の代わりに、リリアはいつもより少しだけ楽しそうに一礼した。


そのまま扉の向こうへ消えていく。


ぱたり、と扉が閉じた。

_:(´ཀ`」∠):_

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― 新着の感想 ―
父親と兄にもっと制裁を!って思ってしまう鬼のような私がいる(笑) まあこれからはでっかい借金の返済でヒイヒイ言うはずだし、兄は無能のまま外に出されて自分で身を立てないといけないのでざまぁではありますね…
┃ ⩌⩊⩌) ┃ c /
いっぺんに8話、怒涛の更新でしたね。 お疲れ様です。 父兄との対立から裁判、家督の相続、無事に婚姻してのしょ、しょ、初夜?! もう展開の早さに付いていくのがやっとで、ニヨニヨしてる暇も無かったです〜。…
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