第7話
「では、まずはお部屋へご案内いたします」
リリアに続き、アーネストとともに屋敷へ入った。
すれ違う使用人たちが足を止め、私へ向かって「奥様」と頭を下げるたび、慣れない呼び方に肩へ力が入る。
階段を上がり、廊下の奥まで進んだところで、リリアが一つの扉の前に立った。
「こちらが、奥様の私室でございます」
扉が開かれる。
中へ足を踏み入れた私は、思わず立ち止まった。
――広い。
それに、とても可愛い。
白を基調とした室内には、淡い薔薇色の長椅子と、揃いの椅子が置かれていた。窓辺の卓には、白い花に淡い桃色の花を添えた花瓶が飾られている。
「素敵……」
思わず、声がこぼれた。
壁際には書棚と飾り棚が並び、奥には衣装室へ続く扉も見える。
「こちらは、前伯爵夫人がご用意くださいました」
リリアが説明する。
「奥様がおくつろぎになれるよう、家具に使う布や、花の色まで選ばれたそうです」
「お義母様が……」
部屋の中へ進みながら、改めて辺りを見回す。
「あっ……」
書棚に並ぶ本が目に入り、思わず近づいた。
何冊もの小説が並んでいる。
「どれも読んだことがないものばかり……」
一冊ずつ背表紙を眺めていると、読む楽しみまで用意していただいたようで、胸が温かくなった。
「こんなに素敵なお部屋を、用意してくださるなんて……」
長椅子へ近づき、窓辺へ歩き、また書棚へ戻る。
どこを見ても、私のために考えて選んでくださったことが伝わってきた。
ふと振り返ると、アーネストは扉の近くに立ったまま、こちらを見ていた。
部屋ではなく、私の顔を見ている。
「……気に入ったか」
どこか確かめるような尋ね方だった。
「はい。とても」
私が頷くと、アーネストの口元が少しだけ緩んだ。
「そうか……母上も喜ぶ」
「あとで、お礼を申し上げなければなりませんね」
「そうだな」
アーネストはそう答えると、ようやく部屋の中へ入ってきた。
「あちらが衣装室でございます」
リリアに促され、奥の扉へ目を向ける。
私は、てっきり私室の一部なのだと思っていた。
リリアが扉を開く。
中を覗いた私は、思わず目を見開いた。
両側の壁には、天井近くまで届く衣装棚が並んでいた。中央には装飾品や手袋を置くための小卓があり、奥には全身を映せる大きな姿見が置かれている。
お姉様が使っていた衣装部屋よりも、ずっと広い。
「こんなに広いお部屋を……私が使うのですか?」
「伯爵夫人の衣装室でございますから」
恐る恐る、中へ足を踏み入れる。
衣装棚には、すでに何着ものドレスが並べられていた。
アーネストから贈られたドレス。パン工房の夫人から譲っていただき、私の身体に合わせて手直しした衣装。以前から持っていた数少ないドレスも、布を足し、飾りを替え、今の私に合うよう仕立て直されている。元の面影を残しながらも、まるで別の衣装のように生まれ変わっていた。
それだけではない。
義母と選んだ、茶会で着るためのドレス。正式な晩餐会にも使える、深い青の衣装。婚姻後の挨拶回りのために仕立てたものや、夜会用のドレスも、すでにいくつか出来上がっている。
別の棚には季節ごとの外套が掛けられ、靴や帽子、手袋も、それぞれ決められた場所へ収められていた。
「これが……すべて、私の……」
これまでの私なら、一生かけても持つことのなかった数だ。
それなのに、広い衣装室には、まだいくつもの空いた棚が残っている。
「これだけあるのに、まだ余っているのですね……」
「これから必要に応じて、少しずつお揃えになればよろしいかと存じます」
「まだ増えるのですか?」
「伯爵夫人として出席する場も増える。必要になるだろう」
扉の近くに立っていたアーネストが答えた。
私はもう一度、並んだ衣装を見回した。
「こんなに用意していただいて……」
申し訳ない。
そう口にしかけて、言葉を止める。
伯爵夫人として人前に立つ以上、必要になるものなのだ。
私はアーネストへ向き直った。
「……でしたら、私も伯爵夫人として、きちんと務めを果たさなければなりませんね」
アーネストが、わずかに目を見開いた。
彼は、今までどおりでいいと言ってくれた。
けれど、アーネストがグラーフ家を背負うように、これからは私も、その隣に立つのだ。
気負いすぎる必要はない。
それでも、私にできることはしたい。
微笑むと、アーネストはしばらく私を見つめていた。
「……だが、無理はするな」
短い言葉だったけれど、その声はどこかやわらかかった。
ふと、アーネストの後ろに、もう一つ扉があることに気づいた。
「あちらは?」
私が尋ねると、アーネストが扉へ視線を向けた。
「俺たちの寝室だ」
「俺たちの……?」
言葉を繰り返した直後、その意味に気づく。
「……っ!」
一気に顔が熱くなった。
そうだった。
夫婦なのだから、同じ寝室を使うなんて、当たり前のことなのかもしれない。
そもそも、この私室には寝台がない。衣装室の向こうに寝室があるのなら、私は今夜から、そこで――。
「こ、今夜からですか?」
思わず尋ねると、アーネストがわずかに眉を寄せた。
「今夜からでなければ、いつからなんだ」
「そ、それは、そうですけれど……」
どうして、そんなに落ち着いていられるのだろう。
私はまだ、今日から同じ屋敷で暮らすということさえ、うまく実感できていないのに。
……眠れるのだろうか。
朝、目を覚ましたとき、すぐ隣にアーネストがいるということだろうか。
考えれば考えるほど、顔が熱くなっていく。
「奥様?」
「い、いえ……何でもありません」
慌てて答えると、リリアの視線が、私とアーネストの間をゆっくりと往復した。
その口元が、少しだけ緩んだように見える。
「では、私はこれで失礼いたします」
リリアは丁寧に一礼した。けれど、顔を上げたとき、その口元にはやはりわずかな笑みが浮かんでいた。
「何かございましたら、お呼びくださいませ」
そう言い残し、リリアは衣装室を出ていく。
扉が閉じられた。
「え……」
本当に、二人きりにされてしまった。




