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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
十九章

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第6話

婚姻認可の申請をしてから、二十日ほどが過ぎた。


その間、私は新しい当主として、慌ただしい日々を送っていた。近隣の貴族や取引先へ、正式にリュークハルト家を継いだことを知らせる書状を送り、領内の責任者から届いた報告にも目を通し、必要なものには返事を書いた。


今日も、机の上には領内から届いた報告書が積まれている。私は一枚ずつ、アーネストに見せながら説明した。


「これまでは、報告書に不備がないか確認してから、お兄様へ渡していました」


そう告げると、アーネストの眉間に深い皺が寄った。


「……君が、そこまでしていたのか」


「そうですね……何か問題があれば、お父様やお兄様から注意されていましたから」


以前、倉庫から届いた報告書を一枚見落とし、資材の発注が遅れたことがあった。兄も父も、その書類には目を通していたが、叱られたのは私だけだった。


それ以来、報告書を確認するときには、抜けや間違いがないか慎重に確かめるようになった。


アーネストはしばらく、机の上の報告書を見つめていた。その表情は、先ほどよりも険しくなっている。


「それなら、実務については今までと大きく変える必要はないな」


「私も、そう思います。ただ……」


私は、別に分けておいた書類へ目を向けた。


「会計と法務については、今のままでは不安があります。借金や担保の件もありましたし、一度きちんと整理した方がよいかと」


「そうだな」


アーネストは、すぐに頷いた。


「その二つについては、グラーフ家から人を出そう。領内の体制が落ち着くまでの間でいい」


「よろしいのですか?」


「必要なことだ」


それと並行して、義母から、婚姻後に必要となることも教わっていた。領内で開かれる行事や、他家から招待を受けた際の振る舞い。伯爵家の使用人や領地について、夫人としてどこまで把握しておくべきか。婚礼の式についても、少しずつ相談を進めている。


覚えなければならないことが多く、毎日があっという間に過ぎていった。


そんなある日、ハインツ先生が屋敷を訪ねてきた。私はアーネストとともに、グラーフ前伯爵夫妻の屋敷の応接室で、先生と向かい合っていた。


ハインツ先生は席へ着くと、鞄から一通の書類を取り出した。


「お待たせいたしました。お二人の婚姻が、正式に認可されましたよ」


机の上へ置かれた書類を見て、胸が大きく鳴る。


「本日付で、エリナ・フォン・リュークハルト男爵と、アーネスト・グラーフ伯爵は、正式な夫婦となりました」


正式な夫婦。


私が、彼と。


隣に座るアーネストを見ると、目が合った。その瞬間、胸の奥から喜びが一気に込み上げてきた。頬が緩むのを抑えられず、私は両手を胸元で重ねた。


「ハインツ先生。ありがとうございます」


「私は、必要な手続きをしただけですよ」


先生は、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「それよりも、これからが大切ですよ。グラーフ伯爵夫人」


「伯爵夫人……」


思わず繰り返した。改めて言われると、その言葉が急に重く感じられた。


「どうしました?」


「いえ、その……」


喜びに浮かれている場合ではない。これからは、私の振る舞い一つで、アーネストやグラーフ家の名まで見られることになるのだ。


「グラーフ家の名に恥じないよう、頑張らなければなりませんね」


私が真剣に告げると、ハインツ先生は少しだけ目を細めた。


「気負いすぎる必要はありませんよ。グラーフ伯爵も、ご家族の皆様も、あなたに別の誰かになってほしいわけではないでしょう」


そう言って、先生はアーネストへ視線を向けた。


「そうでしょう、伯爵」


「ああ」


アーネストは、迷うことなく頷いた。


「君は、そのままでいい」


「アーネスト様……」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


ハインツ先生は満足そうに頷くと、書類を鞄へ収めて立ち上がった。


「それでは、私の役目も無事に終わりましたので、失礼いたします」


扉へ向かいかけた先生が、ふと思い出したように振り返る。


「改めまして、ご婚姻おめでとうございます。婚礼への招待状を、楽しみにお待ちしておりますよ」


「はい。必ずお送りします」


先生を乗せた馬車が門を出ていくまで、私たちは並んで見送った。馬車が遠ざかると、アーネストが私の手を取った。


「帰ろう」


「はい……え?」


反射的に答えてから、首を傾げる。


「どちらへ?」


「本邸だ」


「え?」


「君の荷物なら、母上とリリアがすでに運ばせている」


何を言われたのか理解した瞬間、声が裏返った。


「ええっ!?」


アーネストと一緒に、本邸へ。それはつまり、今日から同じ屋敷で暮らすということだ。


「き、今日からですか?」


「もう夫婦なのだから、当然だろう」


つないだ手に、少しだけ力がこもっていた。



馬車がグラーフ家の本邸へ近づくにつれ、私は落ち着かなくなっていった。このところ、何度も足を運んでいた屋敷だ。けれど、今日は今までとは違う。


窓の外に見える門を眺めながら、私は膝の上で両手を握りしめた。


今日から、ここで暮らすのだ。


「緊張しているのか」


隣に座るアーネストに尋ねられ、私は小さく頷いた。


「少しだけ……」


「何度も来たことがあるだろう」


「そ、そうですけれど……」


訪れることと、ここを自分の家として暮らすことは、まるで違う。


馬車が屋敷の玄関前で止まった。扉が開き、先に降りたアーネストが私へ手を差し出す。


その手を取りながら外へ出た私は、目の前の光景に固まった。


玄関前には、屋敷の使用人たちが並んでいた。家令を先頭に、執事や侍女、従僕たちが整然と並んでいる。少し離れたところには、料理人らしい者たちの姿まであった。


私が馬車を降りると、全員が一斉に頭を下げた。


「お帰りなさいませ、旦那様」


続いて、家令が私へ顔を向ける。


「ようこそお帰りくださいました、奥様」


「お、おく……」


奥様。


間違いではない。それでも、あまりにも慣れない呼び方に、すぐには返事ができなかった。


「本日より、どうぞよろしくお願いいたします」


どうにかそれだけ告げると、使用人たちがもう一度、深く頭を下げた。


その中から、一人の侍女が進み出る。見慣れた顔に、私は目を瞬いた。


「リリア?」


リリアは背筋を伸ばし、両手を身体の前で重ねていた。


「本日より、奥様付きの侍女を務めさせていただきます。改めまして、よろしくお願いいたします」


「え?」


思わず、アーネストとリリアを交互に見る。


「でも、リリアはお義母様付きの侍女だったのでは……?」


リリアは、にこりと微笑んだ。


「前伯爵夫人のお取り計らいで、本日より本邸へ移ることになりました。奥様が新しい生活に慣れるまで、よく知る者がそばにいた方が安心だろうと」


それから、少しだけ笑みを深くする。


「もっとも、私はその後も、奥様付きとしてお仕えしたいとお願いしておりますが」


「リリア……」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


義母の屋敷を出れば、もう世話をしてもらうことはないのだと思っていた。新しい屋敷で、知らない使用人たちに囲まれて暮らすことを考えると、少し心細くもあった。


だから、見慣れた笑顔がここにあることが、たまらなくうれしかった。


「ありがとう……これからも、よろしくね」


「はい、奥様」


そう答えたリリアの笑顔は、いつもと変わらなかった。

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― 新着の感想 ―
エリナとアーネストの婚姻が認められて本当によかった。 後は結婚式とお披露目のパーティーですね。今までの苦労と努力が実って、天国のお母様が一番喜んでくださることでしょう。
 (」´;ω;`)」おめでとうぅぅ!
エリナ、アーネスト、おめでとうございます! 凄い数の連投、ありがとうございます。 新たな関係への導入部分、さてどうなるでしょう… 楽しみにしています(笑)
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