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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳@集英社WEB小説大賞金賞
二章

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第7話

出発当日。


玄関先には、すでに馬車が用意されていた。


姉は帽子の角度を直しながら、楽しげに言った。


「あちらの仕立て屋、素敵なお店があるのよ。

 前に行ったときは入れなかったの。

 今回は寄れたらいいわね」


兄も外套の襟を直しながら笑う。


「久々に羽を伸ばせそうだな。

 向こうの湖畔、朝が気持ちいいんだ」


父は軽く頷くだけだった。

歩くたび、外套の裾が弾むように揺れている。


私は、その様子を黙って見ていた。


やがて父がこちらを振り返った。


「留守の間、家のことは頼んだぞ」


そう言って、そのまま歩き出す。


兄は手袋をはめ直しながら口を開いた。


「水路の協議が終わったら、報告書を残しておいてくれ」


それから、事務的な口調で続ける。


「一人だからって、気を抜くなよ」


姉は一拍置いてから、私の方を見た。


「ごめんね。

 本当は一緒に行けたらよかったんだけど」


そう言ったあと、すぐに言葉を重ねる。


「でも、あなたが残ってくれるなら安心だわ」


私は少しだけ息を吸った。


「……クレア大叔母様に、よろしくお伝えください……」


かろうじて口角を上げ、手を振る。


すると父が外套の留め具に手をかけながら、ふと思い出したように言った。


「ああ、それと――私宛の客が来ても、不在だと伝えておいてくれ」


それだけ言って、先に馬車へ向かう。


兄と姉もそのあとに続き、そのまま馬車へ乗り込んだ。


扉が閉まり、御者が合図を出す。


馬車が動き出しても――誰も、こちらを振り返らなかった。


私は遠ざかっていく馬車を見送りながら、ゆっくりと息を吐いた。


「……準備しよ……」


小さく呟いて踵を返し、重たい足取りで、人の気配が薄くなった屋敷の中へ戻っていった。


◆


協議は、驚くほどスムーズに終わった。


「では、この内容で進めましょう」


隣領伯爵家の代官、マルセルが書類を閉じる。


「毎年、担当を交代する。責任の所在も、金の流れも明確になる。……合理的ですな」


私は一度息をついてから頷いた。


「そう仰っていただけて、ありがたいです……」


マルセルは椅子にもたれ、こちらを見る。


「……若い方ほど、勢いで押し切ろうとするものですが」


そこで、視線が合った。


「あなたは、そういうやり方を取らない」


どう返せばいいのか分からず、私は困ったように微笑んだ。


すると、マルセルはそのまま言葉を続けた。


「……だからでしょうな」


少し首を傾げて、穏やかに告げる。


「こちらも、話をきちんと詰めようと思える」


胸の奥にあったものが、少しだけ軽くなった。


「……ありがとうございます」


マルセルは短く頷いた。


「では、今後ともよろしくお願いします」


「……はい。こちらこそ」


握手を交わし、正式に協議は終わった。


◆


屋敷に戻ると、いつもより人の気配が少なく感じられた。


「……順調に進められて、よかった……」


誰に向けたでもない独り言が、廊下に消えていく。


自室へ戻り、扉を閉めた。


「私が残って、正解よね……うん……」


自分に言い聞かせるように呟いてから、小さく息を吐く。


「……準備しないと……」


枕元の呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして侍女が入ってきた。


用意された衣装に、私はされるがまま袖を通していく。


ドレスに着替えながら、ふと気づいた。


――落ち着いている。


前は、もっと緊張していた。


胸が詰まって息が浅くなり、何をするにもそわそわしていたはずなのに、今は何も感じない。


鏡の前に立つ。


映っている私は、いつもどおり身なりに問題はなく、ドレスにも着崩れひとつない。


それなのに。


「……」


何も、湧いてこない。


「……大丈夫、よね」


誰に確認するでもなく、小さく呟く。


侍女に礼を言い、私は部屋を出た。

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― 新着の感想 ―
 兄などの邪魔なく、参加できた例の談義……失敗もなく、緊張もなく、だけども以前ほどの高揚感もないあたり、慣れは悩ましいものかもしれませんね。  しかし、序盤にあった疲れの蓄積はあまり見られず、いい傾…
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