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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
十九章

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第1話

馬車が、ゆっくりとリュークハルト家の門を離れていく。


窓の外では、見慣れた屋敷が少しずつ遠ざかっていた。私は隣に座るアーネストの肩へ、頭を預けている。


馬車へ乗り込み、扉が閉じた途端、全身から力が抜けてしまったからだ。アーネストは何も言わず、私の手を握ってくれていた。


「ああ言ってしまったけれど……よかったのでしょうか」


「何がだ」


口にした途端、不安が現実味を帯びて、胸へ迫ってきた。


母の遺言が認められれば、私は正式な後継者となる。けれど、領地を継ぐということは、そこに結びついた負債も引き受けるということだ。


「アーネスト様に……グラーフ家に、ご迷惑をかけることになります」


少しの間を置いて、アーネストが言った。


「なら、俺が領地を手放せと言ったら、手放すのか」


「それは……」


できない。


母が守ろうとした領地を。私が何年も、領民たちと共に支えてきた土地を。兄へ渡すことなど、できるはずがない。


「……できません」


「なら、答えは出ている」


即答され、私は思わず瞬きをした。


「君が手放せないものなら、俺の都合など気にするな」


アーネストはそこで、ようやく私を見た。


「俺は、エリナの隣に立つと決めている」


私はアーネストを見つめた。


この人は、私を甘やかさない。けれど、決して手を離さない。


目頭が熱くなった。私は微笑み、握られた手へ指を絡める。


「アーネスト様……大好きです」


その瞬間、アーネストの動きがぴたりと止まった。


「……」


返事がない。恐る恐る顔を上げると、アーネストは珍しく目を見開いていた。耳が、少しだけ赤い。


「……アーネスト様?」


「…………」


もう一度呼びかけると、アーネストは小さく息を吐き、私の頭へそっと手を置いた。


「そういうことは、不意に言うな」


耳は、ますます赤くなっている。


「ふふ……」


「笑うな」


「だって」


アーネストは困ったように息を吐いた。それから、私の肩を抱き寄せる。


「……俺もだ」


その一言は、とても小さかったけれど、私にははっきりと聞こえた。


胸がいっぱいになって、私はアーネストへ寄り添う。夕暮れの道を、馬車がゆっくりと進んでいった。



数日後の午後、カイルが小客間を訪ねてきた。


定期便でリュークハルト領へ集荷に来たついでに、領地の様子を知らせに来てくれたのだ。


「荷は、予定どおり出ています」


カイルはそう言って、持ってきた控えをテーブルへ置いた。


「今週分の箱数です。いつもより少し少ないですけど、出荷そのものは止まってません」


「よかった……様子を見に行けなくて、心配していたんです」


「集荷に行ったときは、いつもどおり人が出入りしていましたよ」


その言葉に、胸の奥が少しだけ緩んだ。


もともと私が王都へ出ているあいだも仕事を続けられるよう、乾燥小屋は領民たちだけで回せるようにしていた。それでも、これほど長く領地を離れるのは初めてだった。


何か問題が起きているのではないか。考え始めると、不安は尽きなかった。


「セバスから、何か預かっていませんでしたか?」


「これを」


カイルが一通の封書を差し出した。


封を開くと、乾燥小屋の稼働状況と、仕入れた果実の量が簡潔にまとめられていた。


――大きな問題は起きておりません。


最後に記されたその一文を見て、ようやく息を吐く。


「ただ……リュークハルト家から、出荷を止めろと言われたみたいです」


手紙を持つ指が止まった。


「お父様が?」


「誰の指示かまでは聞いてません。現場の人たちは断ったそうです」


「領民たちが……自分たちで判断してくれたのですね」


「ええ。エリナ様から何も聞いていないからって」


カイルは肩をすくめた。


「こっちも、依頼を受けてるのはエリナ様です。ほかの人に言われたからって、勝手に止めるつもりはありません」


「ありがとうございます。今後も、セバスからの手紙を預かっていただけますか?」


「ええ。帰りに返事を持っていけばいいですか?」


「お願いします」


カイルは頷き、ようやく紅茶へ手を伸ばした。一口飲んでから、改めて小客間の中を見回す。


「しかし、最初に聞いたときは驚きましたよ。まさかエリナ様が、グラーフ家へ嫁ぐことになるとは」


私は苦笑した。


「私も驚いています」


「でも、考えてみれば納得ですけどね。むしろ妥当というか」


「妥当だなんて、どこがですか……」


「え? だって――」


そのとき、小客間の扉が開いた。


「失礼する」


アーネストが部屋へ入ってきた。


カイルは、焼き菓子を持ったまま動きを止めた。


「……どうぞ、続けてくれ」


「いえ」


カイルは焼き菓子を皿へ戻した。


「ちょうど話も終わったところです」


「そうか」


アーネストは私の隣へ腰を下ろした。その距離が、いつもより少し近い。


カイルは私とアーネストを交互に見た。なぜか頬が熱くなる。


「では、俺はこれで」


「も、もう帰るのですか?」


「定期便の確認がありますので」


先ほどまで、急ぐ様子などまったくなかったはずなのに。


カイルは手早く控えをまとめ、席を立つ。


「では、失礼します」


アーネストへも軽く頭を下げると、カイルは足早に小客間を出ていった。


私は閉まった扉を見つめたあと、隣のアーネストへ顔を向けた。彼は、カイルが置いていった控えへ目を落としている。


「領地で何かあったのか」


「出荷を止めるよう、誰かが指示を出したそうです」


アーネストの表情が険しくなる。


「ですが、現場の方々も、ベルナー輸送商会も断ってくれました。今のところ、仕事は続けられています」


アーネストは書類へ目を通し、頷いた。


「ひとまず、仕事に影響は出ていないということか。何かあれば、すぐ知らせろ」


「分かりました」


アーネストは控えをテーブルへ戻した。


「……他に、何を話していた?」


「今、お話ししましたが」


「俺が部屋に入る直前だ」


何の話だっただろう。少し考えて、ようやく思い出す。


「ええと……確か、私がグラーフ家へ嫁ぐことについて、妥当だと……」


「妥当?」


はっとして、私は慌てて言葉を重ねた。


「わ、私は妥当だなんて思っていません……! 今でも、不釣り合いだと思っています……!」


アーネストは一度視線を落とし、しばらく黙り込んだ。


「……アーネスト様?」


顔を覗き込むと、彼はひどく不機嫌そうな目で私を見ていた。


「カイル・ベルナーは、余計なところまでよく見ているな」


「え?」


意味が分からず、首を傾げる。


その瞬間、アーネストの手が私の頬へ触れた。


「アーネストさ――」


呼びかけるより先に、唇が重なった。


「っ……」


目を見開いたまま固まっていると、アーネストはゆっくりと唇を離した。その手は、まだ私の頬に触れたままだった。


「二度と、不釣り合いなどと言うな」


言い聞かせるように告げる。


「俺が、君を選んだ」


頬が熱い。


何も言えないまま、私はこくりと頷いた。


「分かればいい」


ようやく、アーネストの表情がわずかに緩んだ。

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― 新着の感想 ―
実はカイルさんが最大なライバルだったと思う!笑 男爵の娘なら、商家の跡取りはあり得る!
あのアーネスト様に警戒されるとは、さすがカイルさん。 お菓子戻すところが可愛い!
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