第3話
夕食の席に着いてから、私はずっと背筋を伸ばしていた。
目の前には、温かなスープと、香ばしく焼かれた肉料理が並んでいる。どれも、とても美味しそうだった。
ただ、グラーフ前伯爵夫妻と同じ食卓を囲んでいると思うと、どうしても緊張してしまう。
「エリナ嬢」
正面から声をかけられ、私はびくりと肩を揺らした。
グラーフ前伯爵が、私の皿を見ている。
「食べなさい」
「は、はい」
慌てて肉を一口切り、口へ運ぶ。
柔らかい。
噛むと肉汁が広がり、添えられたソースには、ほのかな酸味と甘みがあった。急いで飲み込もうとしたせいで、少し喉につかえそうになる。
「父上、急かすな」
隣に座るアーネストが言った。
「急かしてはいない。食べるよう言っただけだ」
グラーフ前伯爵は、納得がいかないという顔で私を見る。
「それにしても、細すぎるだろう」
「あなた、エリナさんには、エリナさんの食べるペースがあります」
「しかし、この細さでは――」
「あなた」
「……分かった」
グラーフ前伯爵は、少しだけ不満そうに口を閉じた。
私はどうすればよいか分からず、もう一口だけ肉を食べる。
美味しい。
本当に、とても美味しい。
けれど、食事をしているところを見守られているようで、少し落ち着かない。
そんな私の様子に気づいたのか、夫人が微笑んだ。
「無理に急がなくていいのよ。ゆっくり召し上がって」
「はい……ありがとうございます」
少しだけ肩の力を抜き、スープを口に運ぶ。
青豆のポタージュは、口に含むとまろやかな甘みが広がる。濃厚なのに重すぎず、青臭さもまったくない。
「……美味しい」
思わずそう呟くと、自分でも分かるほど頬が緩んだ。
「そうだろう。うちの料理人は、王都から口説き落としてきた。腕は確かだ」
「そうなのですね」
前伯爵は、食事にこだわりのある方なのだろうか。
「他に食べたいものがあれば、遠慮なく言いなさい。料理人に用意させる」
「えっ」
「肉でも魚でも、甘いものでもいい。食べられそうなものからで構わん」
「あなた、そんなに一度に言われても、エリナさんが困ってしまうでしょう」
夫人がたしなめると、前伯爵は少しだけ不満そうに眉を寄せた。
「だが、食べられるものは知っておいた方がいい」
「それは、少しずつでよろしいの」
「……分かった」
グラーフ前伯爵は、また少しだけ口を閉じた。
食事が半ばを過ぎた頃、グラーフ前伯爵がナイフとフォークを置いた。
「ところで、婚姻のこともあるが……聞くかぎり、まず事業の方を整えねばならんのではないか」
「ああ、すぐに動くつもりだ」
アーネストは、グラスを手にしたまま落ち着いた声で答えた。
「契約先と現場の責任者へ連絡を入れる。今後の報告は、こちらにも回すようにするつもりだ」
「そうだな。エリナ嬢が戻らなくても回るようにし、同時に、リュークハルト男爵たちが勝手に手を出せない形にしておいた方がいい」
「そのつもりだ」
私は思わず顔を上げた。
「それは……契約の内容や、出荷の予定を把握する役目を、他の方に任せるということですか?」
「そうだ」
グラーフ前伯爵が頷く。
胸の奥が、不安に揺れた。
大丈夫だろうか。誰かに任せると言われても、すぐには想像がつかない。
「エリナ嬢。あなたが病に倒れたら、その事業は終わるのか」
「……」
答えられなかった。
終わる、そう思ってしまった。
これまで、職人たちとの話し合いも、商会との交渉も、契約も、最後の判断も、すべて私がしてきたからだ。
グラーフ前伯爵は、私の答えを待たずに首を横へ振った。
「一人が倒れただけで何もかも止まるなら、それは組織の欠陥だ」
アーネストが続ける。
「だから、今から直せばいい」
「エリナ嬢は、領地管理もしていたのだろう」
グラーフ前伯爵が言った。
「毎日、すべての畑を見回っていたのか?」
「いいえ……」
そう答えた瞬間、胸の中で何かが少し止まった。
そうだ。
領地のことだって、私一人ですべてを見ていたわけではない。
報告書があり、現場で働く人たちがいて、それぞれの役目があった。私はそれを確認し、必要な判断をしていた。
「私……自分で全部見ることが、責任を持つことだと思っていました」
「始めたばかりなら、そうなることもある」
グラーフ前伯爵が言った。
「だが、いつまでも一人で抱えていては、事業は大きくならない」
私は、ゆっくりと頷いた。
「はい……」
グラーフ前伯爵が頷く。
「それで、式はいつだ」
アーネストの手が止まった。
「……何の話だ」
「結婚式に決まっているだろう」
思わず顔が熱くなった。
「そうね。正式な婚約まで時間がかかるとしても、衣装の準備は始められるわ」
「母上」
「婚礼衣装は、すぐには仕上がらないでしょう。ねぇ、エリナさんは、何色がお好き?」
「え、色ですか……?」
婚礼衣装にも、好きな色を使うものなのだろうか。
「ええ。白や生成りを基調にして、刺繍やリボンに色を入れても素敵よ。グラーフ領の花を刺繍するのもいいわね」
「母上、話を進めないでくれ」
「どうせあなたは、衣装のことなど分からないでしょう」
「そういう問題ではない」
グラーフ前伯爵も、真剣な顔で口を開く。
「式は領地で挙げるのか。それとも王都か」
「父上まで何を言っている」
「当主の結婚だ。招待客の数が違う。早めに決めなければ間に合わん」
「王都で婚約披露をして、式は領地でもいいわね」
「王都でも式を挙げればいい」
「増やさないでくれ」
アーネストが眉間を押さえた。
つい先ほどまで、乾燥小屋の責任者について話していたはずなのに。いつの間にか、結婚式をどこで挙げるかという話になっている。
夫人が、私へ向き直った。
「エリナさんは、どのような式になさりたい?」
私は目を瞬いた。
結婚式。
誓いを交わして、大勢の人に祝われるもの。
知っているのは、その程度だった。私は結婚式に参列したこともなかった。
「考えたことがなくて……」
小さな声になった。
「では、これから考えましょう」
「私が、考えてもいいのですか?」
「ええ、もちろんよ。衣装も、式を挙げる場所も、招く方々も、あなたがどうしたいかを一つずつ考えればいいのよ」
自分がどうしたいか。
そう考えると、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「はい」
小さく頷くと、夫人は嬉しそうに微笑んだ。
「まずは衣装の見本を取り寄せましょう」
「母上。今すぐ始める必要はない」
「でも、見るだけならいいでしょう?」
アーネストは何も答えなかった。
「楽しみね、エリナさん」
「は、はい……」
ちょっとおやすみしますm(_ _)m
4日後投稿目標しております。




