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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
十八章

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第1話

アーネストがんがれ。

リュークハルト邸の客間は、重苦しい空気に包まれていた。


アーネストは勧められた椅子に腰を下ろしていたが、その表情は動かない。


向かいには、リュークハルト男爵と、その息子が座っている。


男爵は何度か口を開きかけては閉じ、落ち着かなげに指を組み替えていた。息子の方は父よりも表情を抑えていたが、その目にははっきりと警戒があった。


「グラーフ伯爵。娘がご迷惑をおかけし――」


「迷惑ではない」


男爵の言葉を、アーネストは遮った。


男爵は口元を引きつらせながら、取り繕うように頭を下げる。


「それは……ご厚情、痛み入ります。しかし、娘が勝手に家を出たのであれば、まずは当家で事情を聞くべきかと」


「事情なら、昨夜聞いている」


アーネストは淡々と言った。


「本人の知らぬ縁談相手を同席させた。そうだな」


男爵の顔がこわばった。


代わりに、兄が口を開く。


「妹は感情的になっておりました。初めての縁談話に戸惑っていただけです」


「戸惑っただけだと?」


アーネストの声が低くなった。


「エリナ嬢は、供もなく領境を越えた。その意味を、あなた方は分かっていない」


「その件につきましては、妹を保護していただいたことに深く感謝しております」


「感謝の話をしているのではない」


アーネストは言った。


「本人に知らせぬまま相手を同席させた。それを、通常の手順だとお考えか」


「グラーフ伯爵……お言葉ですが、当家のような立場では、婚姻は本人の気持ちだけで決められるものではありません」


兄の声は落ち着いていた。


「妹の意思を無視するつもりはございません。ただ、家として相手を見定め、話を進めることはございます」


「本人の意思を置き去りにしてもか」


「ノルトハイム子爵家は、妹を評価してくださっています。家としても、妹にとっても、悪い話ではないはずです」


男爵が、そこへ乗るように頷いた。


「そうです。子爵はエリナを悪く扱うおつもりではありません。家への支援も含め、決して悪いお話ではないのです」


男爵はそう言って、縋るようにアーネストを見た。


アーネストはしばらく黙っていた。


「……エリナ嬢を家の都合で動かすなら、あなた方はそれ以上のものを負っているのか」


兄も男爵も、すぐには答えなかった。


「……私も、嫡男として家の将来を考えております」


「考えた結果、負わせたのは妹か」


兄の口元が強張る。


男爵が、慌てて言葉を継いだ。


「私は親として、家長として、家を守る責任を――」


「その責任を果たすために、何をした」


「何を、とは……」


「負債に対して、あなたは何をした」


アーネストは、肘掛けに置いていた指先を握った。


「エリナ嬢に、随分と我慢を強いていると思ったことはないのか」


「……私は……家のためにできる限りのことをしてまいりました。領地のことも、借金のことも、簡単に片づくものではございません……エリナには苦労をかけたかもしれませんが、それも家族だからこそで――」


男爵の言葉は、言い訳の形を取りながら、少しずつ別のものへ変わっていった。


聞いているうちに、アーネストは深く息を吐いた。こめかみに手を当て、しばらく目を伏せる。


非を認める気はない。


論点をずらし、自分たちも苦しかったのだと言い、最後にはエリナの受け取り方の問題にする。


目の前でこれなら、エリナに対してはもっと容易く繰り返してきたのだろう。


……エリナは、こうやって押さえつけられてきたのか。


アーネストは手を下ろした。


「昨夜、私はエリナ嬢へ求婚した」


男爵の表情が固まった。


兄も、わずかに目を見開く。


「エリナ嬢は、その申し出を受け入れる意思を示してくれた」


「エリナが……?」


男爵は呆然と呟いた。


それから、慌てたように頭を下げる。


「いえ、その……恐れ多いことでございます。ですが、あの子にはあまりにも不相応なお話で……どうか、昨日のことは――」


「不相応だと」


男爵の肩が小さく跳ねる。


アーネストは、ゆっくりと男爵を見た。


「私が妻に望んだ女性を、あなたはそう評価するのか」


兄の目が細くなる。


「家を通さずに、妹へ直接求婚なさったということですか。グラーフ伯爵ともあろう方が」


「だから今、家同士の話をしている」


アーネストは兄を見た。


「グラーフ伯爵家として、エリナ・フォン・リュークハルト嬢との婚姻を正式に申し入れる」


男爵は口を開いたまま、すぐには返事ができなかった。


兄は、アーネストから視線を逸らさなかった。



靴職人に足を測られている間、私はただ、ぽかんとしていた。


「どこが痛みますか?」


「え、ええと……つま先と、踵のあたりが……」


「承知いたしました」


靴職人は、包帯に触れないよう慎重に、足の幅や甲の高さを測っていく。


その横では、仕立て屋が持ってきた服や布を、グラーフ伯爵夫人と侍女たちが次々と広げていた。


「こちらはどうかしら」


「少し色が強いかもしれません。エリナ様には、もう少し柔らかいお色が合うかと」


「では、こちらの淡い青は?」


「あら、いいわね。昨日の若葉色も似合っていたけれど、青も悪くないわ」


「リボンを若葉色にいたしましょうか」


「それも素敵ね」


私の前で、どんどん話が進んでいく。


「こ、これは……」


「明日以降に着るものよ。今あるものを少し直せば、すぐに着られるわ」


その間にも、侍女の一人が小ぶりな帽子を持ってきた。


「奥様、こちらはいかがでしょう」


それは、浅めのつばに細いリボンが巻かれた、上品な帽子だった。片側には小さな布花が添えられている。


以前読んだ小説の挿絵に、こんな帽子をかぶった令嬢がいた気がする。


「あら、素敵ね。顔まわりが明るく見えるわ」


「飾りのリボンを変えれば、先ほどのお衣装にも合いそうです」


「そうね。エリナさん、少し合わせてみましょうか」


「ぼ、帽子まで……?」


「外に出るなら、帽子も手袋も必要よ」


帽子も、手袋も、私が自分のために選んだことはほとんどない。


必要な時は、家にあるものを借りるか、姉が使わなくなったものを直してもらうくらいだった。


伯爵家では、こうして最初から揃えるものなのだろうか。


そう思うと、少しだけ肩がすくんだ。


仕立て屋はさらに、夜着を数枚、侍女へ渡した。


「こちらなど、いかがでしょう。まだ仕上げ前のものもございますが、寸法の近いものを選んでいただければ、細かな直しだけでお使いいただけます」


「まあ、助かるわ」


グラーフ伯爵夫人が、そのうちの一枚を広げる。


首元と袖口に、白い糸で小さな花の刺繍が入っている、淡い薄桃色の夜着だった。


「……わあ……」


思わず、ため息のような声が漏れた。


夫人がこちらを見て、目を細める。


「気に入った?」


「い、いえ、その……とても、可愛らしいと思って……」


以前、王都で店先を眺めた時に、可愛いと思った夜着に少し似ていた。


触れてみると、布は柔らかく、指先を滑らせるとさらりとしている。


姉のお下がりも、上質なものではあったが、何度も洗われ、何度も直された布は、どこか馴染んでいた。


「では、それにしましょう」


侍女たちも微笑みながら頷いた。


「肌着も、寸法を見て揃えましょう」


仕立て屋がそう言った。


私は瞬きをした。


「肌着に……寸法を測るのですか?」


グラーフ伯爵夫人が、ゆっくりとこちらを見る。


侍女たちも顔を見合わせた。


「え……?」


その沈黙で、私は少し不安になる。


夫人が、扇を持つ手を止めた。


「今まで夜着は、どうしていたの?」


「ええと……姉のものを、丈だけ合わせてもらって……」


言いながら、慌てて付け足す。


「も、もちろん、そのままではなく、私に合うように直していただいたものです……」


声が、だんだん小さくなった。


グラーフ伯爵夫人は、少しの間だけ黙っていた。それ以上は何も尋ねず、ただ、ふっと表情を和らげる。


「では、肌着は柔らかいリネンを中心に、寸法の近いものを直して。改めて仕立てるものは、無理のない範囲で採寸しましょう」


「かしこまりました」


仕立て屋と侍女たちが、すぐに動き出す。


私はまだぼんやりしたまま、その様子を見ていた。


そうよね。伯爵家では、きっとお下がりを直して使うようなことはしないのだ。


恥ずかしくなって、私は膝の上で手を握った。


それでも、用意された薄桃色の夜着を見ると、胸の奥がほんの少しだけ弾んだ。

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― 新着の感想 ―
いくら貧乏でもそれは通りませんよね 今まで見えていた以上に家族はクズでしたね そして前にも書きましたが お母様もなかなかにひどい エリナのために肌着すら新調したことなかったのね
姉は散々贅沢しているのに妹は肌着までおさがりって…二の句も告げませんね。 「嫡男として家の将来を考えて」の結果が 年若い妹を子供が2人もいる年上の子爵に後妻として嫁がせる算段かい しかもその「若い後妻…
エリナ以外にまともな事業を起こせていないのに、苦渋の決断で末娘を売り飛ばしたみたいな顔をする無能屑親子は良いところがないなあ。 ただ、子爵家より伯爵家へ縁づけるとしれば喜ぶと思えば抵抗するとは不思議。…
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