第8話
目を覚ました時、部屋の中には温かな光が差し込んでいた。
一瞬、どこにいるのか分からなかった。
見慣れない天蓋。淡い生成りの布が、寝台を囲んでいる。窓辺には厚手の淡い青の窓掛けがかかり、床には柔らかな絨毯が敷かれていた。
寝具は驚くほど柔らかく、肌に触れる布も、普段使っていたものよりずっと軽い。
「……え?」
慌てて体を起こそうとして、足に少し痛みが走った。そこでようやく、昨日のことを思い出す。
「……っ」
顔が一気に熱くなった。
グラーフ伯爵が、私に求婚してくださった。そして私は、はいと言った。あなたと結婚したいです、と。
そこまで思い出した瞬間、掛け布の中で小さく身を縮める。
「……夢じゃないんだ……」
あの時は、頭がふわふわしていた。胸がいっぱいで、足の痛みも忘れてしまうくらいだった。
そうだ。あの後、しばらく見つめ合ってしまって。距離が近くなって。その指先が、私の頬に触れたところで、グラーフ伯爵夫人が戻ってこられたのだ。
そう。見つめ合って。
「……っ!」
声にならない声が喉の奥で跳ねた。私は掛け布を握りしめ、思わず身をよじる。
その時、扉が叩かれた。
「エリナ様。お目覚めでしょうか」
「は、はい……!」
返事をすると、侍女が入ってきた。
「よくお休みになれたようで安心いたしました」
「あの……今は、何時でしょうか」
「昼少し前でございます」
「昼……!」
思わず声が裏返った。
「すみません、こんな時間まで……」
「奥様より、起こさず休ませるようにと申しつかっております」
侍女はそう言って、柔らかく微笑んだ。
「お支度をお手伝いいたしますね」
「あ……お願いします……」
起き上がろうとすると、すぐに支えられた。髪を整えられ、顔を拭くための温かな布を渡される。
用意されていた淡いクリーム色の室内着に袖を通すと、肌触りがよく、締めつけるところがなかった。袖口には細い刺繍が入っていて、控えめさが可愛らしかった。
足に負担がかからないようにと、室内履きまで用意されている。
本当に、何から何までしていただいている。
そう思った時、扉の外から穏やかな声がした。
「入ってもよろしいかしら」
グラーフ伯爵夫人だった。
私は慌てて姿勢を正す。
夫人は部屋に入ると、私の様子を見て、表情を和らげた。
「よく眠れたようね」
「はい……こんなに眠れたのは久しぶりで……とてもすっきりしました」
「それはよかったわ。昨日は初めての茶会もあったのですもの。疲れて当然ね。ところで痛みは?」
「おかげさまで、ずいぶん楽になりました」
「そう。でも、今日も休まないとね」
「あの……グラーフ伯爵は……」
「アーネストは、リュークハルト家へ向かいましたよ」
「えっ」
思わず声が出た。
「ど、どうして……」
「あの子が昨日、自分で決めたことの責任を取りに行っただけよ。あなたは気にしなくていいわ」
「そ、そんな……」
父も兄も、失礼なことを言うかもしれない。そう思うと、いたたまれなかった。
「それよりも、あなたにはあなたの仕事があります」
「仕事? ……あっ!」
そうだ。家を飛び出してしまったものの、領地は大丈夫だろうか。日々のことは、現場の者たちが回してくれるはずだ。店とのやり取りも、すぐに止まるものではない。
けれど、新しい判断や細かな調整は、私がいなければ誰がするのだろう。
それに、もし父や兄が勝手に話を進めたら。乾燥小屋は。領地の人たちは。
考えた瞬間、不安が顔に出てしまったのかもしれない。グラーフ伯爵夫人は、私を見て微笑んだ。
「エリナさんにも、していただくことがあるの」
「は、はい。私にできることなら……」
「そんなに身構えなくていいのよ。まず、当面あなたはリュークハルト家へ戻れないでしょう?」
夫人は長椅子の隣へ腰を下ろした。
「それなのに、手持ちのものが何もないわ」
そう言われて、私はようやく自分の状況を思い出した。本当に、身ひとつで来てしまったのだ。
「ですから、今日は必要なものを揃えないと」
夫人は指を折るようにして数え始めた。
「着替えに夜着でしょう。外出用の靴に手袋、化粧道具。ああ、髪飾りもいるわね」
血の気が引いた。今、手元にお金はない。家にある私のものをかき集めたところで、足りるだろうか。
伯爵家で用意されるものが、どれほど高価なのか。考えるだけで、目の前が暗くなる。
「あ、あの……私、今は手持ちが……」
「エリナさん。あなたのお財布から出す話ではありません」
「え……?」
「あなたは、わたくしの客としてここにいるのです。客に不自由をさせるわけにはいかないでしょう?」
「そ、それは……さすがに、そこまでしていただくわけには……」
「足を痛めた令嬢に、合わない靴を履かせる方がよほど失礼だわ」
何も言い返せなかった。
「お分かり? 必要なものを揃えるのが、今のあなたの仕事なのよ」
「それは、仕事と言えるのでしょうか……」
一から揃えるなんて、私にとっては贅沢すぎることだ。そんな思いが顔に出ていたのか、夫人は楽しそうに目を細めた。
「あら。意外と大変なのよ」
その時、扉の外から侍女の声がした。
「奥様。仕立て屋と靴職人が到着いたしました」
「ありがとう。こちらへ通してちょうだい」
「かしこまりました」
私は思わず夫人を見た。
「も、もう、いらしているのですか」
「朝一番で呼びましたもの」
扉が再び叩かれ、侍女に案内されて、仕立て屋と靴職人が入ってきた。私は慌てて背筋を伸ばす。
グラーフ伯爵夫人は、仕立て屋たちへ声をかけた。
「まずは足に負担のない室内履きと、明日着られる服を。採寸は無理のない範囲でお願いね。この方は足を痛めているの」
「かしこまりました」
仕立て屋が深く頭を下げる。靴職人も、私の足元を見てすぐに表情を引き締めた。
「歩かずに済むよう、こちらで測らせていただきます」
「え、あの……」
何か言おうとしたけれど、伯爵夫人がにこりと微笑んだ。
「さて、選んでいきましょうか」
ちょっ……と、間を空けるかもです……申し訳ございません( ° ཫ ° )・∵. グハッ!!




