第7話
連投……( ゜д゜)・:∴ゴフッ!!
どれくらい、そうしていたのだろう。
胸の奥で絡まっていたものが、少しずつほどけていく。
苦しくて、息をするだけで痛かった場所に、ゆっくりと温かなものが満ちていった。
アーネストの腕は、ずっと私を支えてくれていた。
安心する。
少しずつ息が落ち着いてくると、今度は別のことに気づいてしまう。
私は今、グラーフ伯爵に抱きしめられている。
しかも、自分から上着を掴んでいる。
「……っ」
急に頬が熱くなった。手を離そうとしたのに、指先が思うように動かない。
離さなければいけない。そう思うのに、まだ離したくない。
もう少しだけ。
あと少しだけ、このままでいたい。
そんなことを思ってしまった自分に、さらに顔が熱くなる。
「エリナ」
耳元で名前を呼ばれ、肩が小さく跳ねた。
「落ち着いたか」
「はい……」
そう答えると、アーネストの腕に、わずかに力がこもった。
それだけで、また胸が詰まりそうになる。
その時、扉の外からノックの音がした。
私はびくりと体を強張らせた。
アーネストの腕が、すぐに緩む。完全に離れる前に、私が倒れないよう、そっと肩を支えてくれた。
「入ってもよろしいかしら」
グラーフ伯爵夫人の声だった。
私は慌てて、アーネストの上着から手を離した。
「は、はい……!」
返事が少し裏返る。
アーネストが、小さく息を吐いた気がした。
扉が開き、グラーフ伯爵夫人が姿を見せる。
夫人は私とアーネストを見て、一瞬だけ目を細めた。
何も言わず、いつもの穏やかな顔でこちらへ歩み寄る。
「医師がいらっしゃったわ。足を診ていただきましょう」
「……ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「それは後で聞きます。今は、謝るより先に手当てを受けなさい」
その言葉に、また胸の奥が熱くなった。
アーネストは、私のすぐ隣に立った。
「診察が終わるまで、外にいる。何かあれば、すぐ呼べ」
そう言って、彼は扉の方へ向かう。
伯爵夫人が、アーネストを見て小さく息を吐いた。
「心配なのは分かるけれど、扉の前で番をしていなくてもよろしいのよ」
「……ああ」
アーネストはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。
医師の診察では、大きな怪我はないと言われた。
ただ、踵は擦れて赤くなっており、足裏にもかなり負担がかかっているらしい。
今日はもう歩かず、できるだけ安静にするように、と告げられた。
医師が下がると、ほどなくしてアーネストが戻ってきた。入ってくるなり、彼の視線は私の足元へ向かう。
「どうだった」
夫人はその様子を見て、少しだけ含むように笑った。
「大きなお怪我ではないそうよ。ただし、今日は歩かせない方がよいとのことです」
「当然だ」
アーネストの眉間には、深い皺が寄っていた。
夫人はその顔を見て、少しだけ困ったように笑うと、私の隣へ腰を下ろした。
「エリナさん。何があったのか、話せる範囲でよろしいから聞かせてちょうだい」
「……はい」
私は膝の上で手を握りしめた。
茶会を終えて屋敷へ戻った後のことを、ぽつりぽつりと話した。
私の知らないところで、縁談の話が進められていたこと。
持参金はいらない、嫁いだ後も乾燥果物の事業に関われる、家のためにも姉の縁談のためにも悪くない話だと言われたこと。
話しながら、自分の声が少しずつ小さくなっていくのが分かった。
アーネストも伯爵夫人も、途中で遮らなかった。
私が話し終えると、部屋の中に沈黙が落ちた。
夫人は深く息を吐いた。
「ノルトハイム子爵……あの方、まだ若い後妻をお探しなのね」
「ご存じなのですか?」
「名前くらいは。社交の場で、そういう話は耳に入るものよ」
アーネストの眉間の皺が、さらに深くなる。
「帰ってきたばかりのエリナを、休ませもせず客間へ呼んだのか」
「アーネスト」
「……ああ」
「リュークハルト男爵も、ずいぶん急ぐのね」
「ですから私は……」
言葉が喉でつかえる。
「もう……家にいたら、また振り回されると思って……出てきてしまって……」
そこまで言うと、また視界がにじみそうになった。
慌てて俯く。
「申し訳ございません。だからといって、このように押しかけてよい理由には……」
「エリナ」
アーネストの声が、私の言葉を止めた。
「もう帰らなくていい」
「え……」
「そうね。その足で帰すわけにはいかないわ。リュークハルト家へは、わたくしから連絡しておきます」
「ですが……」
「今夜は、わたくしの客として泊まりなさい。よろしいわね」
アーネストが口を開きかけたところで、夫人が先に言った。
「あなたの客として泊めるわけにはいかないでしょう」
「……母上」
「心配なのは分かります。けれど、ここであなたが急げば、エリナさんの立場を悪くするだけです」
アーネストは何か言い返そうとして、結局口を閉じた。
「なら、リュークハルト家への文は――」
「わたくしが書きます。あなたが書くと、喧嘩になりそうだもの」
アーネストは否定しなかった。
「それから、アーネスト。エリナさんを休ませてあげなさい。話は、それからです」
「……承知している」
「本当に? そんな顔には見えないわね」
そう言って、伯爵夫人は立ち上がった。
「すぐに部屋を用意させるわ。少しだけ、ここで待っていなさい」
夫人はそう言い残し、部屋を出ていった。
扉が閉まると、客間には私とアーネストだけが残された。
先ほどまで人の出入りがあったせいか、急に部屋の中が静かになる。
「すまなかった」
「え……?」
「嫌な思いをさせた」
「グラーフ伯爵のせいではありません」
そう言うと、アーネストは首を振った。
「俺は、君に選んでほしかった」
「私に……何を、ですか」
「君自身に、俺を選んでほしかった」
私は目を瞬かせた。
「君は、誰かの都合に合わせることに慣れすぎている。俺が先に手を伸ばせば、君は断りにくくなる」
アーネストは、少しだけ息を吐いた。
「助けられたから。世話になったから。借りがあるから。そんな理由で頷かせたくはなかった」
「グラーフ伯爵……」
この方は、待っていてくれたのだ。
私が一人で立てるまで。
私が、自分で選べるようになるまで。
そうなる保証なんて、どこにもなかったはずなのに。
それでも、私のことを信じてくれた。
――私が、彼を選ばないかもしれないことまで分かったうえで。
アーネストは、私の前で膝をついた。
「エリナ。今から言うことも、縛るためのものではない。選ぶのは君だ」
時間が止まったようだった。
アーネストは、まっすぐに私を見ていた。
「俺と、結婚してほしい」
頭の中が真っ白になった。
ずっと夢見ていた。
ここ最近、何度も想像してしまった。
実際にこうして膝をつかれ、まっすぐに告げられると、胸がいっぱいになって、何も考えられなくなる。
「返事は急がなくていい。だが、俺の気持ちは変わらない」
「い、いえ!」
慌てて声が出た。
アーネストが、少し目を見開く。
「ち、違うんです。嫌だという意味ではなくて……」
うまく言葉が出てこない。
胸が苦しい。
ただ、それはさっきまでの苦しさとは違っていた。
「胸が……どきどきしていて……一瞬、何も考えられなくて……でも、すごく、嬉しくて……」
言いながら、顔が熱くなっていく。
「でも、私……家出娘ですよ……?」
「知っている」
アーネストの表情が、和らいだ。
「知っていて、言っている」
アーネストが、そっと私の手を取る。
「今の言葉を、返事として受け取っていいのか」
涙が出そうになるのを堪えて、私は小さく微笑んだ。
「はい」
それでも、堪えきれなかった涙がこぼれた。
「私は、あなたと結婚したいです」
アーネストへたまには暖かなコメントお待ちしております(笑)




