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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
十七章

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第3話

「本日は、本当にありがとうございました」


私が頭を下げると、店主も礼を返した。


「こちらこそ、よい茶会でございました」


「いえ……皆様に助けていただいてばかりで」


「それでも、最後までお席を務められたのはエリナ様でございます」


そう言われて、胸の奥が少しだけ熱くなった。


トマは卓の上に残った皿を見ながら、短く言った。


「菓子は、悪くなかったようですな」


「はい。皆様、美味しそうに召し上がってくださいました」


「まあ、当たり前ですけど」


「トマ」


店主がたしなめる。


そのお決まりじみたやり取りに、思わず笑ってしまった。


「今日いただいたご意見は、改めてまとめてまいります。その時に、またご相談させてください」


「かしこまりました」


店主が頷く。


私はもう一度、部屋を見回した。


ここで、私の初めての茶会が終わったのだ。


「では、失礼します」


そう言って部屋を出た時、階段の方から衣擦れの音がした。


音のする方へ視線を向けると、淡い菫色の裾が見えた。


「ヴィオラ様……?」


ヴィオラは、階段を上がりきったところで足を止める。


「手袋を忘れてしまったようですの」


店主が一歩進み出た。


「すぐに確認してまいります」


「お願いいたしますわ」


ヴィオラはそう答え、私の方へ向き直った。


廊下には、私とヴィオラだけが残る。


「……わたくし、エリナ様に申し上げたいことがございます」


先ほどまでの穏やかな微笑みは、そこにはなかった。


私は思わず、身構える。


「グラーフ家の厚意は、あまり当然のものとして受け取らない方がよろしいと思いますわ」


「当然のものとは……思っておりません」


「あなたが思っていなくとも、そう受け取られることがございますわ」


ヴィオラは扇を開き、口元を隠した。


「銀葉亭で、ご自分の名の茶会を開く。伯爵夫人にもお目をかけられている。そして、グラーフ伯爵のお名前も近くにある」


「……」


「エリナ様。ご自分が、どのように見られているか、お分かりですか?」


胸の奥が冷える。


どう返すのが、正解なのだろう。


分かっています、と言ったところで、きっとこの方には受け入れてもらえない。


曖昧に答えれば、そこを突かれる。


ふと、彼の姿が頭をよぎった。


そうだ。きっと彼なら――


私は、息を吸った。


「それは……ヴィオラ様にご関係があるのでしょうか?」


扇の向こうで、ヴィオラの目がわずかに細くなった。


「……まあ」


ヴィオラは、ゆっくりと扇を下ろした。


「ずいぶん、はっきりお尋ねになりますのね」


「失礼なことを申し上げたのなら、お詫びいたします」


私は声が震えないように気をつけながら続けた。


「ですが、これは銀葉亭と私の領地が、互いに必要だと判断して進めているお話です」


「では、グラーフ伯爵個人に、特別なお気持ちがあるわけではないと受け取ってよろしいのかしら」


息が詰まった。


否定すれば、嘘になる。認めれば、この方に差し出す言葉になる。


……どちらも、違う。


「それは、ヴィオラ様にお答えするべきことではございません」


「否定はなさらないのですね」


「グラーフ伯爵のお立場にも関わることを……私一人の言葉で、ここで軽々しく扱うべきではないと思います」


ヴィオラは、しばらく私を見ていた。


扇を持つ指先が、扇骨をかすかに鳴らす。


「……そう。ずいぶん慎重でいらっしゃるのね。その慎重さを、これからもお忘れにならないことですわ」


「……ご忠告、ありがとうございます」


「忠告だなんて。わたくしはただ、社交の場では見え方も大切だと申し上げただけです」


ヴィオラは扇を閉じた。


「伯爵様のお立場を思われるなら、なおさら」


その言葉に、胸が痛んだ。


ちょうどその時、店主が白い手袋を手に戻ってきた。


「こちらでございましょうか」


「ええ。そうですわ。ありがとうございます。お手数をおかけいたしました」


「とんでもございません」


ヴィオラは手袋を受け取ると、優雅に礼をした。


そして、私の方へ向き直る。


「次のお席では、さらにエリナ様らしさが見られるとよろしいですわね」


それだけ言って、ヴィオラは階段へ向かった。


淡い菫色の裾が、ゆっくりと階段の下へ消えていく。


私はその背が見えなくなるまで、動けなかった。



馬車の中で、私は帳面を膝の上に置いたまま、ぼんやりと窓の外を見る。


まとめなければならないことは、いくつもある。


本当なら、このままグラーフ伯爵夫人へご報告に伺った方がよいのかもしれない。彼にも、結果をお伝えした方がよいのかもしれない。


けれど、伯爵夫人は、茶会が終わったらすぐでなくてよいと言ってくださっていた。落ち着いてからで構わない、と。


それに、彼とも、今日お約束をしていたわけではない。


よかった。


本当に、よかった。


今の状態で誰かに会ったら、きっと何を話してよいか分からなくなる。


今日はもう、何もせずに休みたい。部屋に戻って、髪をほどいて、着替えて、できればそのまま眠ってしまいたい。


そう思っているうちに、馬車は屋敷へ着いた。


玄関で出迎えた執事に礼を言い、私はそのまま自室へ向かおうとした。


その時、執事が少しだけ言いづらそうに私を呼び止めた。


「エリナ様……旦那様がお呼びでございます」


「父が……。少し休んでからでは、だめでしょうか」


「客間へお越しくださいとのことです」


「客間? 誰か来られているの?」


執事は、目を伏せた。


「はい……お客様が、いらっしゃっております。旦那様は、すぐにと」


報告のために戻れと言ったのは、父だったはずだ。

それなのに、客間に客がいる。


声には出さず、重いため息をついた。


「……分かりました」


客間の前で執事が足を止め、私を振り返る。


「エリナ様……」


「はい?」


「……いえ。どうか、あなた様の行く道をお間違えになりませんよう」


また、道。


中からは、楽しげな話し声が聞こえた。


父と兄の声。


それから、聞き覚えのない男の声。


執事が扉を叩いた。


「エリナ様をお連れいたしました」


中から、父の声がした。


「入りなさい」

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