第2話
私は固まった。
確かに、菓子を作ったのはトマだ。
この席を用意してくださったのも、茶を選んでくださったのも、銀葉亭の店主や給仕の方々だった。
干し林檎だって、領地の者たちが手をかけて作ってくれている。私は、そのすべてを借りて、この席を開いている。
そう思うと、すぐに言葉が出てこなかった。
卓の上に、沈黙が落ちる。
その時、エルネスタが茶器を置いた。
「それは、エリナ様がどのようにこの菓子へ辿り着かれたか、ということでございましょうか」
ヴィオラはエルネスタへ視線を向けた。
「ええ、そうですわね。つまり、エリナ様がどのように“ご自分の席”になさったのか、ということですわ」
背中に、冷たい汗がにじむ。
周りの方々の視線が、私に向けられているのが分かった。
誰も口を挟まない。私の答えを待っている。
私は膝の上で重ねた手に、力を込めた。
「……私は、領地の乾燥果物を菓子に使っていただくにあたり、どの素材をどのように見ていただくか、銀葉亭の方々と相談してまいりました」
「まあ。そのように関わっていらっしゃるのですね」
ヴィオラは、かすかに微笑んだ。
「ずいぶん恵まれたお立場ですこと。グラーフ領の銀葉亭で、そこまでお力添えいただけるなんて」
近くの席で、誰かが小さく茶器を持ち直す音がした。
「はい……ありがたいことだと思っております」
「ええ、本当に。良いご縁に恵まれたのですね」
丁寧な言葉の奥にあるものを、感じないわけにはいかなかった。
「仰る通り、銀葉亭にはとてもよくしていただいております」
私はヴィオラを見つめ返した。
「ですから、この機会を無駄にしたくないと思います。ヴィオラ様には、この菓子についてのご意見を伺ってもよろしいでしょうか?」
ヴィオラは、表情を崩さなかった。茶器に添えていた指先が、一度だけ止まる。
「……ええ。もちろんですわ」
マルティナが二口目の菓子に、木苺のジャムを少し添えた。
「あの……この木苺のジャムは、とてもよいと思います」
「焼き菓子と合わせても、違和感はありませんか?」
「ええ。それに、最初は菓子だけでいただいて、次にジャムを少し添えると、印象が変わりますわ」
別の夫人も、菓子の端に木苺のジャムを少しのせながら頷いた。
「本当ですね。同じ菓子なのに、二度楽しめるようで」
「酸味が入ると、干し林檎の甘さが重くなりませんもの」
「それなら……季節によって添えるものを変えてもよいのではなくて?」
ヴィオラが茶器を手にしたまま言った。
「木苺は印象が強いですもの。もう少しやわらかい味にしたい時は、軽いクリームを添えても合いそうですわ」
確かに、茶席用としてなら、重すぎないものを少し添えることもできるかもしれない。
「クリームを添えるなら、甘さを控えめにした方がよさそうですね」
私がそう言うと、エルネスタが頷いた。
「ええ。その方が、干し林檎の香りが分かりやすいと思いますわ」
「どれも試すのが楽しみです……でも、食べすぎないように気をつけませんと」
私がそう言うと、卓の空気がやわらいだ気がした。
ヴィオラはそれ以上は何も言わず、菓子をもう一口だけ切り分けていた。
◆
菓子の感想がひと通り落ち着いたところで、私は店主へ視線を送った。
給仕たちが動き、白い小箱を一人ずつの前へ置いていく。
「こちらは、本日お出しした菓子を、持ち帰り用に整えたものです」
私は小箱へ手を添えながら説明する。
「ご自宅でも召し上がっていただけるよう、小箱に入れております。飾りは、季節に合わせて変えられないかと考えておりますので、見え方についてもご意見をいただけましたら嬉しいです」
マルティナが、箱をそっと覗き込んだ。
「まあ……可愛らしいですわ」
「こういう飾りは、あまり見ませんね」
別の夫人が、紐の結び目を見ながら言った。
「大げさすぎないのがよいですわね」
「この若葉色も、今の季節らしくて素敵ですわ」
「銀葉亭の箱は落ち着いていますから、これくらいの飾りなら邪魔になりませんわね」
ヴィオラはそれをしばらく眺めていた。そして、結び目の横に添えられた布飾りへ指先を触れる。
「銀葉亭らしさを損なわない程度で、よろしいと思いますわ」
それを聞いて、私はほっとした。
その後、中の菓子も見ていただいたが、反応はおおむね好評だった。
それから少しして、茶会はお開きとなった。私は一人ずつ、席を立たれる方を見送る。
最初に近づいてきたのは、マルティナだった。
「本日はお越しいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございました」
「お菓子、とても美味しかったです。ジャムの組み合わせも、またいただいてみたいですわ」
「そう言っていただけて嬉しいです。マルティナ様のご意見、とても参考になりました」
「少しでもお役に立てたなら、よかったです」
マルティナはそう言って小さく礼をすると、店主に案内されて階段の方へ向かった。
次の夫人も、侍女に持たせた小箱の飾りを見ながら頷いた。
「エリナ様、よいお席でしたわ」
「不慣れなところも多かったかと思いますが、そう言っていただけてほっといたしました」
「初めてでこれだけされるなら、十分ですわ」
思わず、頬が緩んだ。
ヴィオラの番になると、私はもう一度、背筋を伸ばした。
「興味深いお席でしたわ。お菓子も、箱も、よく考えられていたと思います」
「茶席の経験がおありの方のご意見は、とても参考になりました」
「そう」
ヴィオラは小さく微笑んだ。
「ただ、銀葉亭で扱うなら、季節ごとの見せ方はもう少し考えてもよろしいかもしれませんわね」
「はい。改めて考えてみます」
ヴィオラは扇子をひるがえし、静かに階段の方へ向かった。
私はその背を見送りながら、胸の奥に残った重さを押し込める。
最後に残ったのは、エルネスタだった。
彼女は小箱を侍女に預けると、私のそばへ歩み寄った。
「本日は、お疲れさまでした」
「いえ、こちらこそです。……それに、先ほどは助かりました」
「ヴィオラ様は、相変わらず手厳しい方ですわね」
エルネスタは声を落とし、困ったように微笑んだ。
「ですが、先ほどの問いに答えられたのは、お上手でしたわね」
「……そうでしょうか」
「ええ。以前、ハーゼルベルク子爵夫人のお茶会の時にも思いましたけれど、エリナ様は不意に向けられた言葉を、そのまま受け止めることがお上手ですわね」
「そんな……いつも精いっぱいで、どうにか言葉にしているだけです」
「ふふ。そういうところは、少しお顔に出ますのね」
「……やっぱり、出ていますか」
思わず二人で、小さく笑った。
彼女はふと、周囲に人がいないことを確かめた。それから、私にだけ聞こえる声で囁く。
「それにしても……今日のお席で、グラーフ家が無関係だと思う方はいないでしょうね」
胸が、どきりとした。
「……そう見えますか」
「グラーフ領のお店ですもの。そう見る方はいると思いますわ」
「……はい」
「だからこそ、少し安心いたしました」
「安心……何にですか?」
「実はわたくし、ルーカス様とは、近いうちに改めてお会いすることになっておりますの」
私は目を瞬いた。
「まだ、何かが決まったわけではありませんわ。けれど、以前よりは少し、前向きなお話になっております」
「そうなのですね……」
自分の知らないところで、別の道が進んでいるのだと分かって、心が少しだけ置いていかれたような気がした。
エルネスタは優雅に一礼した。
「お菓子、気に入りましたわ。家でも大切にいただきます」
「また機会がございましたら、ぜひ召し上がってください」
私は頭を下げ、エルネスタの背を見送った。階段を下りていく足音が遠ざかる。
部屋に残ったのは、白い布をかけた卓と、空になった茶器と、少しの木苺の香りだけだった。
終わった。
そう思った瞬間、肩から力が抜けた。




