第8話
茶会の前日、私は乾物倉庫の隣にある荷置き場へ向かった。
これから出回る夏の果物について、カイルと話しておきたかったのだ。
春先の冷たさはもう薄れ、風の中には少しだけ日差しの強さが混じり始めている。市場に並ぶ果物も、少しずつ変わっていく頃だ。
そう思うだけで、干し果物のことも、荷のことも、気になることが増えていく。
荷置き場へ着くと、ベルナー輸送商会の荷馬車が一台停まっていた。
カイルは荷台の端に腰かけ、積み箱の角を指で叩いている。
「遅かったですね」
「え? でも約束の時間には間に合っていますよ」
「顔がもう遅れてます」
「顔?」
「茶会のことで頭がいっぱいです、って顔です」
そう言われ、私は思わず頬に手を当てた。
カイルはにやりと笑い、荷台から降りる。
「明日でしたっけ。銀葉亭の茶会」
「はい……うう、緊張します……」
「本当にエリナ様が開くんですね」
「そんなに意外ですか?」
「意外ですよ」
即答だった。
「そのお年で、自分の名でご婦人方を招くんでしょう? 普通は、母親か家の奥方が前に立つものじゃないんですか」
「……私も、そう思います。でも、経験がないからとか、そういう理由で避けるのはやめようと思って……」
「……なるほど。いい意味で、令嬢の発想じゃありませんね」
カイルは、少し感心したように私を見る。
それは褒められたのだろうか。
「それに……」
そこで、私は口を閉ざした。
「それに?」
「な、なんでもありません」
いつか、結婚したら茶会は開くのだもの。花嫁修業の一環……なんて。
そう思った瞬間、頬が緩んだ。
「……今、何を考えました?」
はっとする。
「え? あ、茶会のことですよ」
「茶会のことを考えて、そんな顔になります?」
「ど、どんな顔ですか」
「言いません」
「そこまで言ったなら、言ってください」
「嫌です。怒られそうなので」
私、そんなに怒るように見えるだろうか。
カイルは荷台の上に置かれていた浅い木箱を引き寄せた。
「それより、夏の果物の話でしょう」
「あ……はい」
私は慌てて帳面を開いた。
「これから出回る果物で、乾燥に回せそうなものを少し増やせないかと思っているのですが、安定して入るものはありますか?」
「安定して入るのは、杏とすももですね。早いものなら葡萄もあります」
「桃はどうでしょうか?」
「香りはいいです。ただ、水分が多いので乾かすと歩留まりが悪い。形も崩れやすいです」
「では、まずは杏とすももを少し……」
「ええ。木苺ほど強い酸味はありませんが、色は残りやすい。菓子に使うなら面白いと思います」
私は言われたことを、帳面に書き込んでいった。
カイルの声を聞きながらも、私の頭の奥では、別の声が何度も繰り返されていた。
――茶会が終わったら、時間を取る。
茶会への緊張なのか。
明日の席への不安なのか。
それとも、その後に待っているかもしれない話への期待なのか。
胸の高鳴りの理由が、自分でもよく分からなかった。
◆
その日の夕食は、いつもより静かだった。
明日の茶会のことを考えていたせいか、味が分からない。
招待客を迎えた時の挨拶、席へ案内する順番、菓子の説明をするタイミング、そして、どこで感想を伺えばよいのか。
頭の中で何度も流れをなぞっていると、父が食事の途中で、ふと思い出したように口を開いた。
「明日は、茶会だったな。招いた方々は、皆、出席されるのか」
「はい。十名にお声がけして、八名がいらっしゃいます」
「そうか。初めての席としては、悪くない人数だ」
私は少し驚きながら、父を見た。
「落ち着いて務めなさい」
「……はい」
この間もだ。父が自分から尋ねてくるのは珍しい。
グラーフ家が関わっているからだろうか。
考えかけたところで、兄が水杯を置いた。
「明日、話を広げすぎるなよ」
「話を? どのようにですか」
「品の説明を求められるだろう。そこで、まだ決まっていない取引や、次の約束まで勝手に進めるなと言っている」
「……そのつもりです」
兄の目が、わずかに細くなった。
「お前の名で出した席でも、お前はリュークハルト家の娘だ。失敗すれば、家の失敗として見られる」
「分かっています」
「ならいい」
「それにしても、ヴィオラ様までお呼びするなんてね」
姉が果実を小さく切り分けながら、何気ない調子で言った。
「色々な方のご意見を伺いたくて……」
答えながら、背中にじわりと汗がにじむ。
「あの方、素直にお菓子の感想だけをくださるかしら」
「……どういう意味ですか?」
「お菓子より先に、茶会そのものを見る方よ」
姉は視線を皿へ落としたまま続ける。
「茶席の進め方や菓子の出し方、あなたの言葉遣い。そういうものを先に見るでしょうね」
「……」
「気になったところがあれば、きっとそこを突くわ」
兄が、そこで眉を寄せた。
「そんなに厳しい相手なのか」
「厳しいというより、見落とさない方ね」
「呼ぶ相手を選び間違えたのではないか」
「グラーフ伯爵夫人に、勧められたのです」
私がそう答えると、姉の手が一瞬だけ止まった。
「伯爵夫人が……そう」
姉は少し考えるように目を伏せ、それから果実を口に運んだ。
「なら、なおさら変に取り繕わない方がいいわ。見栄を張ったところほど、見られるもの」
「……気をつけます」
父が、そこで口を開いた。
「エリナ。明日の茶会が終わったら、寄り道はせず戻りなさい」
顔を上げる。
「初めて自分の名で開く席だ。終わった後の報告まで含めて、務めだと思いなさい」
胸の奥で、別の声がよみがえった。
――茶会が終わったら、時間を取る。
さすがに、茶会の直後という意味ではないだろう。
会う約束は、まだしていない。銀葉亭では片付けもあるし、招いた方々を見送らなければならない。
改めてお話しするなら、きっと後日だ。
「……はい。まっすぐ戻ります」
父は短く頷き、それ以上は何も言わなかった。
◆
茶会当日、私は予定より早く銀葉亭へ着いた。
今日、身につけているのは、パン工房の夫人から譲っていただいたワンピースを仕立て直したものだ。
淡い若葉色の布は、銀葉亭の白い壁や落ち着いた調度の中では、明るく見えた。
丈と身幅を詰めてもらったおかげで、以前よりずっと体に合っている。
髪も、いつもより丁寧にまとめてもらった。飾りは、小さな白い花を模したものを一つ。
菓子を見ていただく席だから、装いは控えめにしたかった。でも、貧相には見えないように。
二階の小部屋へ案内されると、卓の上には白い布がかけられ、小さな花器に淡い色の花が飾られていた。
椅子は席順の通りに並べられ、銀の縁取りが入った白磁の茶器と、小さな菓子皿も人数分揃えられている。
茶器の白さと銀の細い線が、卓の上をきりりと整えて見せていた。
「こちらで、間違いございませんでしょうか」
店主が、私の手元の席順に目を向ける。
私は紙を広げ、卓の配置と一つずつ見比べた。
「……はい。席順は、このままでお願いします」
「かしこまりました」
「お付きの方々は、こちらのお部屋でお待ちいただくのでしたね」
「はい。隣の控え室をご用意しております。茶もお出しいたしますが、菓子は別のものをご用意しております」
「ありがとうございます」
私は帳面に小さく印をつける。
そこへ、トマが盆を手にして入ってきた。
「菓子は予定通りです」
盆の上には、茶席用の小さな焼き菓子が並んでいる。
「あれ? 少し小さくなりましたか?」
「ええ。話の途中で食べるなら、このくらいの方がいいでしょう。大きいと、食べるのに気を取られます」
「なるほど……味は変えていませんか?」
「はい。ただ、後味が残りすぎないように、焼き加減を少しだけ軽くしました」
「お茶と合わせるためですか?」
「そうです。で、こちらが持ち帰り用です」
白い小箱には銀灰色の紐がかけられ、その結び目の横に、小さな若葉色の布飾りが添えられていた。
「飾りをつけてもらってよかった……」
思わず呟くと、店主が穏やかに頷いた。
「ええ。よくなりました」
「ありがとうございます。とても、素敵です」
「銀葉亭らしさは残したまま、贈り物らしい華やかさが出ています」
そう言われて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
店主は卓へ視線を移した。
「本日は、茶席用の菓子を先にお出しします。最初の茶が行き渡り、少し場が落ち着いたところで、菓子の説明をなさるのがよろしいでしょう」
「はい」
「その後、頃合いを見て持ち帰り用の小箱をご覧いただきます。感想を伺うのは、箱をご覧いただいた後でよろしいかと」
「分かりました。ご意見を伺う時は、店主と給仕の方は……」
「必要でしたら、わたくしは一度下がります。給仕も壁際に控えさせますので、皆様がお話ししやすいようにいたしましょう」
「お願いします」
「ただ、菓子について専門的なご質問があれば、トマを呼ぶこともできます」
トマが、少し不服そうにこちらを見る。
「呼ばれれば来ます」
「その時は、お願いします」
「菓子のことなら、答えられますので」
その言い方に、少しだけ笑った。
その時、店の表の方で、馬車の止まる音がした。
胸が跳ねる。
「最初のお客様のようでございます」
私は背筋を伸ばした。
「お迎えします」
一気投稿に向けてちょっと準備します……( ° ཫ ° )・∵. グハッ!!




