第6話
家にある便箋をいくつか出してもらったものの、招待状に使えそうなものはなかった。
父や兄が使う事務用の紙は、少し格式ばりすぎていた。
かといって、普段の手紙に使う薄い便箋では、招待状としては少し心もとない。
私はグラーフ伯爵夫人に相談し、グラーフ領の領都にある紙商を一軒教えていただいた。
「エリナ嬢ご自身の名で出すなら、家紋は入れない方がいいわ」
伯爵夫人はそう言って、淡い生成りの紙を勧めてくださった。
翌日、私はその紙商へ向かった。
店には、便箋や封筒だけでなく、贈答用の包み紙や飾り紐、封蝋まで並んでいた。
本当は招待状の紙だけを買うつもりだったのに、菓子を包む箱や紐まで目に入ってしまう。
「持ち帰り用の菓子には、どんな包みが合うかしら……」
そんなことを考えながら、私は便箋と、それに合う封筒を選んだ。
屋敷へ戻ると、廊下で父と行き会った。
父は私の外出着と紙商の包みを見て、足を止める。
「出かけていたのか」
「はい。買い出しに」
「紙なら屋敷にもあるだろう」
「招待状に使う紙です」
「招待状? 屋敷で茶会を開くつもりか?」
「いえ、グラーフ領の茶房をお借りして、新しい菓子の試食をお願いする席です」
「……あの話は進んでいるのだな」
「はい」
父はすぐには答えなかった。
「……それは、リュークハルト家の名で出すのか」
「いいえ。私の名で出します。私がお付き合いしてきた方々をお招きしますので」
父は私の抱える包みを一度見て、それから私へ視線を戻した。
「グラーフ伯爵家は承知しているのか」
「はい。グラーフ伯爵夫人にもご相談しました」
「……そうか」
父の声が、少し低くなった気がした。
「では、私は招待状の準備を進めます」
「ああ」
父の横を通り過ぎようとした時だった。
「エリナ」
呼び止められ、私は振り返る。
「グラーフ伯爵に、何か言われているのか?」
「えっ……!」
思わず声が裏返った。
もしかして、お姉様が何か言ったのだろうか。
私は慌てて視線を落とした。
「い、いえ……特に、何かを言われたわけでは……」
答える声が、自分でも分かるほど頼りない。
「そうか」
父は短く答えた。
それだけで終わるかと思ったが、父はすぐには視線を外さなかった。
「自分の名で招くのなら、自分の名に責任を持ちなさい」
「……はい」
「それから、グラーフ領で開くことの重みも忘れるな。必要なものがあれば、セバスに頼むように」
意外な言葉に、私は思わず父を見た。
「初めてのことだ。準備は怠るな」
「はい。ありがとうございます」
父は小さく頷いた。
「行きなさい」
私はもう一度頭を下げ、紙商の包みを抱え直した。
◆
自室に戻った私は、扉を閉めた途端、その場で息を吐いた。
「……ばれて、いないよね……?」
小さく呟いた声が、やけに部屋の中で響いた。
浮かれすぎているのかもしれない。
伯爵夫人の前でも、婚姻支度のことを口にしてしまった。
まだ、求婚されたわけでもないのに。
求婚。
その言葉を思い浮かべた瞬間、顔が一気に熱くなる。
「……駄目。今はお茶会に集中しないと」
伯爵夫人にも、そう言われたばかりだ。
私は頬を押さえ、深く息を吸った。
買ってきた便箋を机の上に並べる。
「少し、奮発しちゃった」
紙には、若葉色の細い縁取りが入っている。角には、小さな白い花の透かし模様がひとつ。
「うん。お店の雰囲気にも合っているし、いいよね」
私はグラーフ伯爵夫人に直していただいた文面を見ながら、一通ずつ招待状を書いていった。
何通か書き終えたところで、最後に残った名前を見つめる。
ヴィオラ・クラウゼン。
その名を書こうとした時だけ、少し手が止まった。
グラーフ伯爵夫人は、どうしてヴィオラ様の名前を挙げられたのだろう。
たしかに、ヴィオラ様の視点はきっと参考になるけれど、ほかにも意見をくださる方はいるはずだ。
「……そういえば」
私は、ペンを持ったまま固まった。
ヴィオラ様も、グラーフ伯爵をお慕いしているのではなかっただろうか。
背中に、たらりと汗が伝う。
この茶会で、私が銀葉亭の菓子に関わっていることが分かる。
グラーフ伯爵夫人に相談してお呼びしたことも、ヴィオラ様なら気づくだろう。
グラーフ伯爵との距離だって、今までより近く見えてしまうかもしれない。
彼女は、それをどう思うのか。
本当に、お招きしてよかったのだろうか。
伯爵夫人は、どうして――。
「……駄目だ」
私は首を横に振った。
夫人のお考えまでは分からない。
もう、決めたことだ。
私は深く息を吸い、ヴィオラ・クラウゼンの名を最後まで書ききった。
書き終えた招待状は、執事に確認してもらった。
「文面に問題はございません」
そう言われて、少し肩の力が抜ける。
封をした招待状を侍女に託すと、部屋の中が急に静かになった。
「……出してしまった」
小さく呟く。
もう、あとは返事を待つしかない。
私は机に残った便箋の端を、そっと指でなぞった。
その時、ふと紙商の店先を思い出した。
「……あの包み、可愛かったな」
銀葉亭の持ち帰り用の菓子は、干し林檎と干し木苺を使った焼き菓子になる予定だ。
銀葉亭の包みは、白い厚紙の箱に銀灰色の細い紐をかけた、落ち着いたものだった。
上品で、銀葉亭らしい。
だけど――。
「もう少し、特別感を出せないかな」
たとえば、箱を開ける前から、果物を使った菓子だと分かるように。
干し果物の菓子が、少しだけ特別に見えるように。
手土産として渡したくなるような形にできたら。
「……そうだ」
私は椅子から立ち上がり、棚の下にしまっていた裁縫箱を取り出した。
蓋を開けると、針山と糸巻きの横に、小さく畳んだ布切れがいくつも入っている。
以前、仕立て屋で分けてもらった端切れだ。
「これなら合うかも……」
私は若葉色の布を一枚取り出し、細く切った。
それを小さく折り、白い糸で端を留めていく。
花の形を作るのは難しい。
紐に結べるくらいの小さな布飾りなら、どうにかなりそうだった。
銀葉亭の白い箱に、銀灰色の紐。そこに、色を添える。
季節ごとに布の色を変えれば、箱を開ける前から、少しだけ楽しくなるかもしれない。
「……うん」
私は針を動かしながら、小さく頷いた。
「これ、使えないかしら」
出来上がった小さな布飾りを、便箋の端に置いてみる。
若葉色の縁取りと、白い花の透かし模様。その隣に置くと、馴染んで見えた。
「……銀葉亭の箱にも、合うかもしれない」
胸の奥が、少しだけ弾む。
招待状を書くだけのつもりだったのに、また別のことを始めてしまった。
けれど、こういう時間は嫌いではない。
私はもう一枚、今度は淡い黄色の端切れを手に取った。




