第5話
「あ、あの……」
「なあに?」
夫人は、急かすことなく待っている。
「伯爵家へ嫁ぐ令嬢は、どのくらいの支度を整えるものなのでしょうか?」
夫人が、ぱちりと目を瞬かせた。
……し、しまった!
「あっ、いえ。伯爵家に限ったことではなくて……!」
慌てて言い直す。
「その、子爵家でも、男爵家でも……嫁ぐ時には、どのくらいのものを用意するのかと思いまして……!」
「……そう」
夫人はゆっくりと頷いた。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。
「一般的な婚姻支度について知りたい、ということね?」
「は、はい。そうです」
「伯爵家へ嫁ぐ場合を、特に?」
「ち、違います!」
夫人の笑みが、少しだけ深くなった。
「分かったわ。一般的な話としてお答えしましょう」
夫人は、指を折りながら話し始めた。
「まず、持参金とは別に、嫁ぎ先で身につける衣装が必要になるわね。昼用のドレスに、夜会用のドレス。靴や手袋、帽子や髪飾りも、それぞれに合わせて用意することになるわ」
私は慌てて帳面を開いた。
「それから、宝飾品や化粧道具。寝具や食器など、身の回りの品を持たせる家もあるわね」
「寝具や、食器まで……」
思っていたよりも、ずっと多い。
「どこまで用意するかは家によって違うわ。嫁ぎ先ですでに揃っているものもあるし、婚姻後に家の好みに合わせることもあるもの」
「そうなのですか……」
「ええ。婚姻は家同士で相談して進めるものよ。相手が何を求めているのか分からないうちから、何もかも揃えることはできないでしょう?」
「でも、何も持たずに嫁ぐわけにはまいりませんし……」
「もちろん、最低限の支度は必要よ」
「……どのくらいでしょうか?」
夫人は、すぐには答えなかった。私の顔をしばらく見つめ、それからそっと息をつく。
「あなたが心配になる気持ちは分かるわ。だけど、今から必要なものをすべて揃えようとしなくてもいいのよ」
「ですが、あまりにも……」
言葉がそこで途切れた。
夫人は、扇を閉じた。
「今のあなたが考えるべきことは、嫁入り支度より先にあるのではなくて?」
「先に……」
そうだった。
まだ何も決まっていない婚姻のことより、先にやるべきことがある。
「まずは、目の前のお茶会を成功させましょう」
「……はい」
私は帳面を閉じた。
「本当に必要になった時に、相手の家と相談しながら考えればいいのよ。支度は、あなた一人で抱えるものではないわ」
「……はい」
「それより、当日のご挨拶は考えている?」
「ご挨拶……あ……はい。一応、このような形で考えています」
私は慌てて、帳面の頁をめくり、見ながら読み上げた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。本日は、銀葉亭で新しくお出しする菓子について、皆様のご意見を伺いたく、この席を設けました。まだ試作の段階ではございますが――」
夫人は続きを待っている。
「どうでしょうか……」
「悪くないわ。ええ。目的も伝わるし、長すぎもしない。ただ、少し硬いわね」
「やっぱり……執事にも言われました」
「そうね。茶席の始まりとしては、もう少し柔らかい方がいいわ」
夫人は、私の帳面を覗き込む。
「たとえば、最初に“本日は小さな茶席へお運びいただき”と添えると、少し空気が和らぐでしょう。それから、“試作品”という言葉は悪くないけれど、何度も使うと未完成品を出すように聞こえてしまうわ」
「あ……」
私は慌てて書き直す。
「では、“新しい菓子”の方がよろしいでしょうか」
「ええ。その方が聞こえがいいわね」
夫人は頷いた。
「それから、率直な意見を求めるなら、怖い顔をしないこと」
「こ、怖い顔をしていましたか?」
「少し、ね。あなたが緊張していると、招かれた方々も気を遣ってしまうの。楽に、とは言い切らないけど、もう少し肩の力を抜いたほうがいいわ」
「力を抜く、と……」
私は帳面の端に、書きつけた。
一つずつ聞いて、書き取っていくうちに、胸の奥で固まっていた不安が少しずつほどけていった。
◆
仕事を終えたアーネストは、その足で両親の暮らす屋敷へ向かった。
エリナが母へ茶会の相談に来ると聞いていた。
話がどうまとまったのか、確認しておく必要がある。
案内された居間へ入ると、母は窓辺の椅子に座っていた。
ただし、卓の上に広げられているのは、招待客の名簿ではない。
分厚い見本帳が何冊も重ねられている。
開かれた頁に並ぶのは、布地や靴、手袋、首飾りや髪飾りばかりだった。
母はそのうちの一冊を手に取り、楽しそうに頁をめくっている。
「……何をしている」
「見て分からない? 新しい仕立て屋の見本帳を眺めているの」
母は顔も上げずに答えた。
「最近、《フィル・ブラン》というお店が王都で評判なのですって。意匠が斬新で、若い方にも人気なのよ」
アーネストは卓の上へ視線を落とした。
淡い青に、若草色、柔らかな黄色。どう見ても、母が普段選ぶ色ではない。
「自分のものではないだろう」
「まあ、よく分かったわね」
「分からないと思ったのか」
「確かに、わたくしには少し若すぎるものね」
母は楽しそうに笑い、再び見本帳へ視線を戻した。
「エリナ嬢には、このあたりの色が似合うと思わない? でも、柄が少し大きすぎるかしら」
「まだ何も決まっていない」
「分かっているわよ。見ているだけ」
母は何食わぬ顔で頁をめくった。
次に現れたのは、宝石商の品を写した意匠図だった。
「この首飾りは少し華やかすぎるわね。あの子なら、もっと石の小さいものから始めた方がよさそう」
「母上」
「髪飾りも必要でしょう。夜会用だけではなく、昼の訪問にも使えるものが――」
「まだ求婚もしていない」
母の手が止まった。
ゆっくりと顔を上げる。
「エリナ嬢は、婚姻支度について何も知らなかったわ」
「そうだろうな」
「衣装も靴も、身の回りの品も、すべて一人で揃えなければならないと思っているようだったのよ」
「……」
「きちんとした靴も、ほとんど持っていないの。ねえ、早く伝えてあげなくていいの?」
「……今度、急いで揃える必要はないと言っておく」
「今度?」
母の目が、わずかに輝く。
「茶会のことで、また会う」
「ならいいわ」
母は満足そうに頷き、再び見本帳へ視線を落とした。
「では、わたくしも急がずに見ておくわね」
「買うなよ」
「見ているだけよ」
そう言いながら、母は淡い緑色の布地の頁へ、小さな印をつけた。
明日から投稿スピード通常にもどすかも……(꒪ཀ꒪*)グフッ
なるべくイライラ回は連投しますのでお許しをm(_ _)m




