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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十六章

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第5話

「あ、あの……」


「なあに?」


夫人は、急かすことなく待っている。


「伯爵家へ嫁ぐ令嬢は、どのくらいの支度を整えるものなのでしょうか?」


夫人が、ぱちりと目を瞬かせた。


……し、しまった!


「あっ、いえ。伯爵家に限ったことではなくて……!」


慌てて言い直す。


「その、子爵家でも、男爵家でも……嫁ぐ時には、どのくらいのものを用意するのかと思いまして……!」


「……そう」


夫人はゆっくりと頷いた。その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。


「一般的な婚姻支度について知りたい、ということね?」


「は、はい。そうです」


「伯爵家へ嫁ぐ場合を、特に?」


「ち、違います!」


夫人の笑みが、少しだけ深くなった。


「分かったわ。一般的な話としてお答えしましょう」


夫人は、指を折りながら話し始めた。


「まず、持参金とは別に、嫁ぎ先で身につける衣装が必要になるわね。昼用のドレスに、夜会用のドレス。靴や手袋、帽子や髪飾りも、それぞれに合わせて用意することになるわ」


私は慌てて帳面を開いた。


「それから、宝飾品や化粧道具。寝具や食器など、身の回りの品を持たせる家もあるわね」


「寝具や、食器まで……」


思っていたよりも、ずっと多い。


「どこまで用意するかは家によって違うわ。嫁ぎ先ですでに揃っているものもあるし、婚姻後に家の好みに合わせることもあるもの」


「そうなのですか……」


「ええ。婚姻は家同士で相談して進めるものよ。相手が何を求めているのか分からないうちから、何もかも揃えることはできないでしょう?」


「でも、何も持たずに嫁ぐわけにはまいりませんし……」


「もちろん、最低限の支度は必要よ」


「……どのくらいでしょうか?」


夫人は、すぐには答えなかった。私の顔をしばらく見つめ、それからそっと息をつく。


「あなたが心配になる気持ちは分かるわ。だけど、今から必要なものをすべて揃えようとしなくてもいいのよ」


「ですが、あまりにも……」


言葉がそこで途切れた。


夫人は、扇を閉じた。


「今のあなたが考えるべきことは、嫁入り支度より先にあるのではなくて?」


「先に……」


そうだった。


まだ何も決まっていない婚姻のことより、先にやるべきことがある。


「まずは、目の前のお茶会を成功させましょう」


「……はい」


私は帳面を閉じた。


「本当に必要になった時に、相手の家と相談しながら考えればいいのよ。支度は、あなた一人で抱えるものではないわ」


「……はい」


「それより、当日のご挨拶は考えている?」


「ご挨拶……あ……はい。一応、このような形で考えています」


私は慌てて、帳面の頁をめくり、見ながら読み上げた。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。本日は、銀葉亭で新しくお出しする菓子について、皆様のご意見を伺いたく、この席を設けました。まだ試作の段階ではございますが――」


夫人は続きを待っている。


「どうでしょうか……」


「悪くないわ。ええ。目的も伝わるし、長すぎもしない。ただ、少し硬いわね」


「やっぱり……執事にも言われました」


「そうね。茶席の始まりとしては、もう少し柔らかい方がいいわ」


夫人は、私の帳面を覗き込む。


「たとえば、最初に“本日は小さな茶席へお運びいただき”と添えると、少し空気が和らぐでしょう。それから、“試作品”という言葉は悪くないけれど、何度も使うと未完成品を出すように聞こえてしまうわ」


「あ……」


私は慌てて書き直す。


「では、“新しい菓子”の方がよろしいでしょうか」


「ええ。その方が聞こえがいいわね」


夫人は頷いた。


「それから、率直な意見を求めるなら、怖い顔をしないこと」


「こ、怖い顔をしていましたか?」


「少し、ね。あなたが緊張していると、招かれた方々も気を遣ってしまうの。楽に、とは言い切らないけど、もう少し肩の力を抜いたほうがいいわ」


「力を抜く、と……」


私は帳面の端に、書きつけた。


一つずつ聞いて、書き取っていくうちに、胸の奥で固まっていた不安が少しずつほどけていった。



仕事を終えたアーネストは、その足で両親の暮らす屋敷へ向かった。


エリナが母へ茶会の相談に来ると聞いていた。

話がどうまとまったのか、確認しておく必要がある。


案内された居間へ入ると、母は窓辺の椅子に座っていた。


ただし、卓の上に広げられているのは、招待客の名簿ではない。


分厚い見本帳が何冊も重ねられている。

開かれた頁に並ぶのは、布地や靴、手袋、首飾りや髪飾りばかりだった。


母はそのうちの一冊を手に取り、楽しそうに頁をめくっている。


「……何をしている」


「見て分からない? 新しい仕立て屋の見本帳を眺めているの」


母は顔も上げずに答えた。


「最近、《フィル・ブラン》というお店が王都で評判なのですって。意匠が斬新で、若い方にも人気なのよ」


アーネストは卓の上へ視線を落とした。


淡い青に、若草色、柔らかな黄色。どう見ても、母が普段選ぶ色ではない。


「自分のものではないだろう」


「まあ、よく分かったわね」


「分からないと思ったのか」


「確かに、わたくしには少し若すぎるものね」


母は楽しそうに笑い、再び見本帳へ視線を戻した。


「エリナ嬢には、このあたりの色が似合うと思わない? でも、柄が少し大きすぎるかしら」


「まだ何も決まっていない」


「分かっているわよ。見ているだけ」


母は何食わぬ顔で頁をめくった。


次に現れたのは、宝石商の品を写した意匠図だった。


「この首飾りは少し華やかすぎるわね。あの子なら、もっと石の小さいものから始めた方がよさそう」


「母上」


「髪飾りも必要でしょう。夜会用だけではなく、昼の訪問にも使えるものが――」


「まだ求婚もしていない」


母の手が止まった。


ゆっくりと顔を上げる。


「エリナ嬢は、婚姻支度について何も知らなかったわ」


「そうだろうな」


「衣装も靴も、身の回りの品も、すべて一人で揃えなければならないと思っているようだったのよ」


「……」


「きちんとした靴も、ほとんど持っていないの。ねえ、早く伝えてあげなくていいの?」


「……今度、急いで揃える必要はないと言っておく」


「今度?」


母の目が、わずかに輝く。


「茶会のことで、また会う」


「ならいいわ」


母は満足そうに頷き、再び見本帳へ視線を落とした。


「では、わたくしも急がずに見ておくわね」


「買うなよ」


「見ているだけよ」


そう言いながら、母は淡い緑色の布地の頁へ、小さな印をつけた。

明日から投稿スピード通常にもどすかも……(꒪ཀ꒪*)グフッ

なるべくイライラ回は連投しますのでお許しをm(_ _)m

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― 新着の感想 ―
連投ありがとうございました!幸せでした! 何度も読み返してニマニマしたり怒ったり、妄想したり。 アーネストに関しては不足過ぎて、もう脳内補完するより他にありません…でした(;'∀') 「買うなよ」…
全て1人で支度させようとしてるエリナの家族への評価も気になる。とっくに地の底まで落ちてるだろうけど。 嫁いだらうまく切り捨てて距離を取ってくれるといいな、、。
きっと買っちゃっいますね。 エリナの驚く顔が目に浮かびます。
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