第4話
翌朝、私は部屋に執事を呼んだ。
「グラーフ領の銀葉亭で、茶会を開くことになったの」
執事は、一瞬だけ目を瞬かせた。
「エリナ様が主催なさるのでございますか」
「ええ。と言っても小さなものよ。新しいお菓子を試していただく席なの。日取りはこれから銀葉亭と合わせるのだけれど……家では、何を用意すればいいのかしら?」
「承知いたしました。では、まずはお招きする方と、どなたのお名前で招待状を出されるかをお決めくださいませ」
「私の名前ではいけないの?」
「いけないわけではございません。ただ、エリナ様個人のお席とするのか、リュークハルト家の催しとするのかで、招待状の文面も変わります」
「……なるほど」
「お招きする方は、もうお決まりでしょうか」
「えっと……エルネスタ・ハーゲン様と、マルティナ・アイゼンフェルト様と……」
お二人とも、以前、ルーカス様のお母様が開かれた茶会でご一緒した方だ。
そのほかにも、領地の近くで開かれる茶会へ何度か招いてくださった夫人たちの名を挙げる。
親しすぎるわけではなく、干し林檎の菓子を召し上がっていただけば、気を遣いすぎず、率直な感想をくださる方々だと思った。
執事は少し考えてから頷いた。
「でしたら、エリナ様のお名前でお招きするのがよろしいかと存じます。新しい菓子へのご意見を伺う私的な席であることを添えれば、リュークハルト家の正式な催しと受け取られることもございません」
「私の名前で……」
口にすると、少しだけ緊張した。
つまり、私の名前を見て、出席するかどうかを決められるということだ。
「招待状の文面は、こちらで草案をお作りいたします」
「お願い。人数は、招待状のお返事をいただいてから銀葉亭へ伝えればいいのよね?」
「はい。その際、馬車やお付きの方の待機場所についても、先方へ確認しておきましょう」
「馬車や、お付きの方……」
すっかり抜けていた。
客を招くということは、その方が屋敷を出てから、また無事に戻るまでを考えなければならない。言われるまで気づかなかった。
これまで出席した夜会を思い返す。
馬車が到着すれば、すぐに従僕が来てくれた。
案内もあり、控えの者たちが待つ場所も用意されていた。
あれは、すべて誰かが前もって準備していたものだったのだ。
「……お客様を案内する方や、お茶を運ぶ方の人数も、銀葉亭に相談した方がよさそうね」
「さようでございます」
執事は頷いた。
「席順については、グラーフ伯爵夫人にも一度ご相談するつもりなの」
「それがよろしいかと存じます。招待客のお名前も含めてご相談なされば、エリナ様もご安心でしょう」
そこで執事は、ふと表情を緩めた。
「……フリージア様も、お喜びになられたでしょう」
「お母様が?」
「はい。エリナ様がご自分で茶会を開かれるようになったと知れば、きっと」
私は、手元の帳面へ視線を落とした。
「……そうかな」
「奥様は、晩年、エリナ様に教えられなかったことを気にしておいででした。本来ならご自分で教えたかったのでしょう」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
母がそんなふうに思っていたなんて、知らなかった。
ふと母の面影を思い出しかけて、私は小さく首を振った。
今は、そのことを思い出す時ではない。
私は招く方々の名前を、一人ずつ紙へ書きつけていった。
◆
「アーデルハイト・ノルデン様に、クラウディア・ベルンシュタイン様……」
グラーフ伯爵夫人は、一人ずつ名前を確かめるように、ゆっくりと紙へ目を通した。
「アーデルハイト様とクラウディア様は、領地の近くで開かれた茶会へ、何度か招いてくださいました。皆様、干し林檎も召し上がってくださっています」
「なるほど……よく考えたわね」
夫人は名簿を卓の上へ戻した。
「人数も多すぎないし、初めてあなたが開く席としては、ちょうどよいと思うわ」
「本当ですか?」
「ええ。旧家の方にも、新しく力をつけてきた家の方にも、偏りなく声をかけているでしょう。菓子の好みもそれぞれ違うでしょうから、試食の席にはちょうどいいわ」
胸の奥に入っていた力が、少しだけ抜けた。
「席順は、こちらでよろしいでしょうか」
私は別の紙を差し出した。
夫人はそれを受け取り、しばらく眺めたあと、二人の位置を入れ替えた。
「こちらの方がよいでしょうね。エルネスタ様とマルティナ様を隣にすると、お二人だけでお話が弾んでしまうかもしれないわ」
「では、お二人の間にアーデルハイト様を……」
「ええ。その方が、会話が席全体へ広がりやすいでしょう」
夫人は、紙の上を指先でなぞった。
「それから、あなたの近くには、初めて銀葉亭へいらっしゃる方を座らせるといいわ。お菓子について尋ねられた時、すぐに答えられるでしょう?」
「はい」
私は、夫人が直した席順を手元の紙へ書き写した。
「招待状の文面も見ていただけますか?」
「もちろんよ。どれどれ……そうね、試作品への意見をいただきたいという目的は、このままでいいわ」
夫人は草案を読み、二か所ほど表現を直した。
「ただ、あまり堅く書くと、仕事の集まりのように見えてしまうでしょう。小さな茶席であることも添えた方がよいわね」
「分かりました」
夫人はもう一度、招待客の名簿へ目を落とした。指先で紙の端をなぞる。
「……もうお一人、招いてみてはいかが?」
「もうお一人、ですか?」
「ええ」
夫人は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。
「ヴィオラ嬢を」
「……え?」
聞き間違えたのかと思った。
けれど、夫人は変わらず微笑んでいる。
「ヴィ……ヴィオラ様を、ですか?」
「ええ。あの方は、茶席の見栄えにも、お菓子にも詳しいでしょう。ほかの方とは違う意見をくださると思うわ」
それは、たしかにそうかもしれない。
ヴィオラ様は、以前も干し林檎の見せ方について、的確な助言をくださった。
けれど――。
「来てくださるでしょうか……」
「それは、招待状を受け取ったヴィオラ嬢がお決めになることよ」
夫人はあっさりと言った。
「ヴィオラ嬢なら、あなたのお菓子をきちんと見てくださると思うのだけれど」
「ですが……」
言葉が続かなかった。
直接、何かを言われたわけではない。
それでもヴィオラ様と話していると、いつも自分の足元まで見透かされているような気持ちになる。
しかも、今度の茶会では、私が招く側なのだ。
夫人は、黙り込んだ私を急かさなかった。
しばらくしてから、静かに口を開く。
「無理にお招きしなければならないわけではないわ」
私は顔を上げた。
「ただ、ヴィオラ嬢は、まだあなたのことをよく知らないのでしょう」
「あまり、お話しする機会はありませんでしたね……」
「ええ。これまであの方が見てきたのは、わたくしの茶席にいるあなたや、アーネストと一緒にいるあなたでしょう」
夫人は、私が作った席順へ視線を移した。
「けれど、今度はあなたが開く茶会よ。あなた自身を見ていただくには、よい機会ではないかしら」
私は、夫人を見つめた。
穏やかに微笑んでいて、その考えまでは読み取れない。
ただ、私が断ることを望んでいるのではない気がした。
「ヴィオラ嬢は厳しい方よ。けれど、ご自分の目で確かめたものまで、理由もなく否定なさる方ではないわ」
「私も……そう思います」
「わたくしは、あなたなら大丈夫だと思ったから、お名前を挙げたの」
胸の奥が揺れた。
怖くないわけではない。
招待状を出しても、断られるかもしれない。
来てくださったとしても、厳しいことを言われるかもしれない。
それでも――。
「……お招きします」
夫人が、ゆっくりと微笑んだ。
「そう」
私は、招待客の名簿の一番下へ、ヴィオラ・クラウゼン様の名前を書き加えた。
名簿に書かれたヴィオラ様の名前を見つめているうちに、別の不安が胸をよぎった。
服装から指摘されるかもしれない。
そう思った瞬間、昨夜、侍女から聞いた話が頭に浮かんだ。ドレスに、靴、手袋、髪飾り……
侍女が挙げたものを帳面へ書き取っているうちに、頁はあっという間に埋まってしまった。
ただ、侍女にも分からないことがあった。
伯爵家へ嫁ぐ令嬢が、実際にどれほどの支度を用意するものなのか。
私は、グラーフ伯爵夫人をそっと見た。
今なら、聞けるだろうか。
何と尋ねればいいのだろう。
私は膝の上で指を組み、ほどき、もう一度組み直した。
夫人が、不思議そうにこちらを見る。
「エリナさん?」
「あ、あの……」




