第5話
「王都商会からの入金です」
カイルは帳面を開いた。
「それと、《小麦の鐘》の分も一緒に預かってきました。内訳はこちらに」
そう言って、彼は金の入った袋を机に置いた。
どさり、と重い音がする。
「ありがとうございます」
私は帳面を受け取り、記された額を確認した。
乾燥部門を始めてから、売上は少しずつ上がっている。
王都商会に、パン工房。領地周辺の商会にも、少しずつ卸先は増えてきた。
四棟目の乾燥小屋も稼働を始めている。
季節が悪いなりに、林檎の供給も安定してきた。
それでも、まだ余裕があるとは言えない。
ましてや、誰かの持参金に回せるような額ではなかった。
私は小さく息を吐き、帳面を伏せた。
「カイルさん。よければ、召し上がっていただけませんか? 干し林檎と干し木苺を使った焼き菓子です」
そう言って、皿を差し出す。
「ああ、焼き菓子ですか。前にいただいたものとは違うんですか?」
カイルが一つ手に取った。
「はい。今回は木苺も入れてみました。それで、もし評判がよければ、菓子職人のいる茶房で、正式な品として出してもらえるかもしれないんです」
カイルは焼き菓子を見下ろし、それから一口かじった。
「……あ、これ、うまいですね」
「本当ですか?」
「はい。木苺の酸味が入る分、後味が軽いです。この組み合わせ、ちょうどいいですよ」
そう言って、カイルはもう一度、皿の上の焼き菓子を見る。
「茶房で出してもおかしくありませんね」
「そうでしょうか」
「ええ。いいと思います。乾物のまま売るより、利益は出るでしょう」
「そうなんですよね……ただ、菓子を出す茶房が……」
「どこなんですか? 王都ですか?」
「いえ……他領の茶房なんです」
「……へえ。手広くなってきましたね」
カイルはそう言って、焼き菓子を眺めた。
私は少し迷ってから、カイルを見る。
「あの……そうなると、他の方からはどう見られますか?」
「どう、とは?」
「その、他領との関係を、外から見て……やはり、リュークハルト家とその家が深い関係にあるように思われるでしょうか」
カイルは少し考えてから、声を落とした。
「まあ、そうでしょうね」
「そうですか……」
「でも、リュークハルト家というより、エリナ様ご自身の事業なんですよね。そこが少し厄介です」
「……どうしてですか? 前から卸している領地ですよ」
「乾物を卸すだけなら、ただの取引です。でも今回は、グラーフ家がエリナ様のために場所と職人と売り場を用意したように見えます」
私は息を呑んだ。
――嫌なら、ここまで話を進めない。
彼は、淡々と言っていたけど……。
嫌とか、そういう次元の話ではない。
本当にそれでいいと思っているのだろうか。
「ただ、それを向こうが分かってやっているなら……かなり本気ですよ」
「え……?」
「普通は、他家の娘の仕事場まで用意しません」
「それは……」
私は俯いた。
「その方のお母様のご提案なんです。私をとても気にかけてくださっていて……あ、でも、品も気に入っていただけているから……」
言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなっていく。
カイルは少し考えてから言った。
「その方のお母様がそこまでされるなら、少なくとも、ただの取引先としては見ていないんじゃないですか」
「……どう考えていらっしゃると思いますか?」
「そこまでは、こちらから断言できません」
「……ですよね」
「でも……お嬢さんに、そこへ通ってほしいんでしょうね」
その言葉に、胸の奥が跳ねた。
――通ってほしい。
頬が熱くなり、私は焼き菓子の皿へ視線を落とした。
◆
今日は、グラーフ領の茶房へ向かう日だった。
店主と菓子職人に会い、実際に乾物を使った菓子をどう扱えるか話し合うことになっている。
グラーフ伯爵家からは、馬車を出すと連絡があった。
私は鏡の前に立ち、髪に触れた。
いつもより少しだけ丁寧にまとめた髪。
桃色のワンピース。
襟元には、白い刺繍が細く入っている。
「……うん。変では、ないよね」
そう呟いてから、すぐに顔が熱くなった。
今日は、茶房の店主と職人に会うだけだ。
話し合いの場を設けてもらっただけ。
それなのに、こんな華やかな色を選んでしまった。
「着替えるべき……? ああ、でも、もう時間だわ……」
そもそも今日、あの方に会えるかどうかも分からないのに。
机の上には、乾燥物を包んだ包みが置いてある。
試作用にいくつか分けて持っていくものだ。
私はそれを手に取り、深く息を吸った。
仕事だ。
これは、仕事なのだ。
そう言い聞かせて、部屋を出る。
廊下を進んでいると、玄関へ向かう途中で父と行き合った。
父は足を止め、私の手元の包みへ目を落とす。
「グラーフ伯爵家の馬車で行くのか」
「はい」
「……近頃、お前はグラーフ家との行き来が増えているな」
「茶房の件がありますので」
「それは分かっている。だが、外から見れば、お前がグラーフ家へ寄りすぎているようにも見える」
ああ、また、その話だ。
「……存じております」
「グラーフ伯爵家との関係を粗末にしろと言っているのではない。だが、そこだけが道だと思うな」
「……ですが、これは先方がご提案くださった件です。こちらから断る理由もありません」
「分かっている」
父は一度、私の手元の包みを見た。
「グラーフ家に道を開いてもらうのは構わん。だが、その道を歩くお前まで、グラーフ家の者のように見られては困る。お前はリュークハルト家の娘だ。そのことを忘れずに行きなさい」
「承知いたしました……」
「……ところでエリナ」
「はい?」
「最近、夜会で何かあったのか?」
「夜会ですか? 特に変わりはありませんが――」
その時、外から馬車の止まる音が聞こえた。
グラーフ伯爵家の馬車だ。
胸の奥が、きゅっと縮む。
それなのに、どこかで小さく弾むものもあった。
「くれぐれも、粗相のないようにな」
私は包みを抱え直した。
「行ってまいります」
「うむ」
玄関へ向かう足取りは、さっきより少しだけ重い。
それでも、扉の向こうに馬車が待っていると思うと、胸の奥は完全には沈まなかった。




