第3話
応接室の前に到着すると、扉の向こうから父の声がした。
「エリナ、入りなさい」
私は一礼して、応接室へ入った。
入口に近い側に、父と兄、そして姉が座っている。向かいの奥まった席には、先方のご夫妻と青年がいた。
父は落ち着いた顔をしていたが、普段より口元が固い。
兄は穏やかに微笑んでいる。その目は少しも緩んでいなかった。
姉は落ち着いた微笑みを浮かべている。膝の上で重ねた指先だけが、わずかに強張っていた。
私は父の少し後ろまで進み、礼をする。
「お呼びと伺いました」
父は頷き、先方へ視線を向けた。
「改めて紹介しよう。こちらはオルブライト子爵ご夫妻と、ご令息のエドヴィン殿だ」
私はもう一度、丁寧に頭を下げた。
「改めまして、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。本日はよいご縁をいただき、ありがたく思っております」
オルブライト子爵は穏やかに言った。夫人も柔らかく微笑む。
青年――エドヴィン様も、丁寧に会釈した。
「エドヴィン・オルブライトです。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です」
そう答えながら、私は胸の内で小さく首を傾げていた。
なぜ、呼ばれたのだろう。
父に促され、私は空いていた椅子へ腰を下ろした。すぐに使用人が新しい茶を用意する。
しばらくは、当たり障りのない話が続いた。
最近の王都の様子。夜会で顔を合わせた方々のこと。姉は落ち着いて答え、エドヴィン様も時折、控えめに言葉を添えていた。
私は話に入るほどのこともなく、時折小さく相槌を打つだけだった。
「リディア様は、夜会でもよくお見かけしておりました」
オルブライト夫人が柔らかく微笑む。
「いつも落ち着いていらして、場の空気を明るくしてくださる方ですもの」
「恐れ入ります」
姉は控えめに頭を下げた。
オルブライト夫人が、ふと私へ視線を向ける。
「エリナ様は最近、夜会にもお顔を出されているそうですね」
「はい。姉に連れられて、少しずつですが」
「リディア様から、領地のお品のことも伺いましたわ。以前、干し無花果をいただいたことがあるのですけれど、とても風味がよくて」
「お口に合ったのでしたら幸いです」
姉が微笑んだ。
「元々は領地で作っていた品ですが、今はエリナが取りまとめております」
「ええ。最近は干し林檎も評判だと伺っています」
オルブライト子爵が、穏やかに続けた。
「エリナ嬢が取りまとめておられるとか」
「はい。私が主に取りまとめております」
「グラーフ伯爵夫人のお茶席にも出たと聞きましたが」
「はい……グラーフ伯爵夫人に干し林檎を気に入っていただき、ご厚意で、姉と一緒に茶席へ参加させていただきました」
そこで一度、姉の方へ視線を向ける。
「姉が先に社交の場で紹介してくれたこともあり、少しずつお声をいただくようになりました」
姉がわずかに目を瞬いたが、すぐにいつもの柔らかな微笑みに戻る。
「わたくしは、ほんのきっかけを作っただけですわ。実際に動かしているのはエリナです」
姉は私を見ず、穏やかな顔のまま続けた。
「よい品だと思ったからこそ、紹介したのです」
オルブライト子爵は、ゆっくりと頷いた。
「なるほど。姉妹でよい役割を持っておられるのですね」
「過分なお言葉でございます」
すると、エドヴィン様が口を開いた。
「姉上も私も、あの干し無花果を気に入っておりました。菓子に添えてもよいし、葡萄酒にも合いますから」
「そうですか。無花果は、林檎より少し癖がありますので、お口に合ったのでしたら嬉しいです」
「ええ。あの風味は、チーズにもよく合いますよね。干し林檎の方も、ぜひ一度いただいてみたいですね」
「本当ですか。では、次に姉へ預けさせていただきます」
オルブライト子爵は目を細めた。
「……エリナ嬢は、堅実な方ですね」
その言葉に、父の表情がわずかに動いた。兄も、こちらを見ている。
私はそれ以上、前へ出すぎないように口を閉じた。
オルブライト子爵は、しばらく考えるように目を伏せた。
「よく分かりました。では、もう一つだけ確認させていただきたい」
父の表情が硬くなる。
「干し林檎の事業は、今後もリュークハルト家の収益として続くものと考えてよろしいのですかな」
えっ……。
思わず、言葉が止まった。
私が答えられずにいると、オルブライト子爵は穏やかに言葉を足した。
「エリナ嬢に負担を求めるつもりではありません。ただ、リディア様とのお話を進めるにあたり、持参の支度については、先ほどご当主とも少しお話ししました」
私は息を呑む。
「今すぐ大きく揃えるのが難しいのであれば、今後の収益を見ながら、時期を分ける形も考えられます」
子爵は、続けた。
「そのために、この事業が一時の評判なのか、家として続けるものなのかを確認しておきたかったのです」
「事業は、家として続けていくつもりです」
その声に、思わず父を見た。
家として?
今さら、何を言っているのだろう。
父の言葉に、兄もすぐに頷いた。
「販路は少しずつ広がっています。小麦の鐘をはじめ、王都の工房にも納めています」
兄は落ち着いた声で続ける。
「まだ大きな額をすぐに動かせる段階ではありませんが、今後の収益として見込めるものではあります」
オルブライト子爵は、黙って聞いていた。
「無理に広げるより、先を見て段階的に、ということですな」
「その方が確実かと」
兄が答える。
……二人とも、家の事業として話している。
私の手が、膝の前で小さく握られた。
オルブライト子爵の視線が、再びこちらへ向く。
「実際に取りまとめておられるエリナ嬢のお考えも、伺ってよろしいかな」
父の視線が、わずかにこちらへ動いた。
父の表情は変わらない。その沈黙だけで、答えを間違えるなと言われている気がした。
兄も、私を見ていた。
姉は、私と目が合うと、すぐに微笑みを戻す。
その微笑みは崩れなかった。けれど、膝の上の指先は、先ほどより強く重なっていた。




