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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十四章

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第8話

グラーフ伯爵邸に着くと、いつものように使用人たちが丁寧に迎えてくれた。


「奥様とアーネスト様は、ティーサロンでお待ちです」


「ティーサロン……?」


「本日は、試作品をお茶席として整えております」


私は目を瞬かせた。


厨房で味を確かめるのだと思っていたので、今日は飾りの少ない春色のワンピースを選んでいた。


淡い若草色の生地をまっすぐ落とした、装飾の少ない仕立てだ。作業場へ出ても浮かないようにと思ったのだけれど、お茶席と聞くと急に心許なくなる。


……失礼ではない、と思いたい。


そう自分に言い聞かせながら、案内された部屋へ入った。


そこは、以前の茶会で通された客間よりも、ひと回り小さなティーサロンだった。


白い壁には細い金の飾り縁が巡らされ、窓辺には春の小花が飾られている。


中央の丸テーブルには、すでにいくつもの菓子皿が並べられていた。


干し木苺を刻み込んだ小さな焼き菓子に、干しさくらんぼを薄い生地へ散らした淡い紅色の菓子。木苺と干し林檎の瓶詰めを添えた小さなスコーンと、薄く焼いた菓子に淡い赤色のソースを落としたもの。


そして、どの皿にも一枚ずつ、薄紅色の薔薇の砂糖漬けが添えられていた。


「わぁ……」


思わず声が漏れる。


花びらは形を崩さず、表面にまとった細かな砂糖が朝露のように光を受けていた。


淡い色の菓子の中で、薔薇の濃い紅色が鮮やかに映えている。


「綺麗でしょう」


グラーフ伯爵夫人の声に、私ははっと顔を上げた。


夫人はテーブルの向こうで微笑んでいる。その隣には、アーネストも座っていた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


「いいのよ。最初に皿へ目が行くように並べたのだもの」


「……はい。本当に綺麗です」


「クラウゼン家の薔薇よ。昨日、ヴィオラ嬢が持ってきてくださったの」


「ヴィオラ様が……?」


改めて薔薇を見る。


料理に花を添えることは知っていた。


けれど、その花を砂糖漬けにして菓子に使うなんて、考えたこともなかった。


「すごい……」


小さく呟くと、アーネストが口を開いた。


「座れ、エリナ嬢」


「は、はい」


促されるまま席につく。


伯爵夫人は、楽しそうに皿を見渡した。


「今日はね、あなたの乾物と瓶詰めが、茶席でどう見えるかを確かめたかったの」


「茶席で……。ここまでご用意いただき、ありがとうございます」


「いいのよ。お客様の前に出した時にどう見えるか、茶と合わせた時に何が印象に残るかは、こうして並べてみなければ分からないでしょう?」


私は皿の上へ視線を落とした。


干し木苺は、小さく刻まれて菓子の中に赤い点を作っている。


干しさくらんぼは色が綺麗で、淡い生地の上に置かれると、思っていたよりも目を引いた。


しかし、隣に薔薇があると、やはり華やかさはまるで違う。


一瞬、胸の奥がきゅっと縮んだ。


「まずは、こちらからいただきましょうか」


夫人が示したのは、干し木苺を刻み込んだ小さな焼き菓子だった。


一口いただくと、焼き菓子の香ばしさの奥から木苺の酸味がふわりと立ち、その後ろから干し林檎の甘みが追いかけてくる。


「……木苺だけで食べた時より、ずっと味が丸いです」


「この組み合わせは合っているわね」


夫人が頷く。


「木苺の酸味を干し林檎が受け止めているわ。焼き込んでも、香りがきちんと残っている」


アーネストも菓子を一つ取り、口に運んだ。


「悪くない。木苺は数が少ないが、菓子に少量を混ぜるだけでも印象を残せる」


「確かに……赤い色が少し入るだけで、見え方が変わりますね」


夫人が楽しそうに笑う。


「数が少ないものは、少ないなりの使い方をすればいいのよ」


私は小さく頷いた。


次に、干しさくらんぼを使った薄い菓子をいただく。


見た目は、これが一番可愛らしい。


淡い生地に赤色が映え、皿の上では木苺よりも華やかに見える。けれど、口に入れると味は少し軽かった。


香りはあるものの、木苺ほど強くは残らない。


「……色は綺麗ですが、味は少し弱い気がします」


「そうね。味で主役にするより、この色を生かした方がよさそうだわ」


「春の茶席には合いそうですね」


「ええ。けれど、これだけで強い印象を残すのは難しいかもしれないわね」


アーネストは皿を見たまま言った。


「なら、さくらんぼはやめてもいい」


「……」


言われると思った。


「手間がかかるわりに、味で木苺に劣る。色を出したいだけなら、苺でも足りるだろう」


「……木苺と苺に絞った方が、領民も楽になると思います」


さくらんぼは、種を取り除くだけでも手間がかかる。


今なら、まだ領民も作業に慣れ切ってはいない。ここでやめれば、余計な労力を増やさずに済む。


「今ある分は、木苺や苺の菓子に少し混ぜて使ってみます」


「それでいい」


次に、木苺と干し林檎の瓶詰めを添えたスコーンをいただく。


こちらは焼き菓子よりも、木苺の香りがはっきり立った。干し林檎の甘みがあるので、酸味だけで終わらない。


「これは、茶席用ならもう少し軽くてもいいかもしれないわね」


伯爵夫人が言う。


「焼き菓子に入れるなら今くらいでもよいけれど、スコーンに添えるものとしては少し味が濃いわ」


「同じ瓶詰めでも、使い道で濃さを変えるのですか」


「もちろん。茶席用、焼き菓子用、贈答用。求められる味はそれぞれ違うわ」


また一つ、知らなかった扉が開いた気がした。


アーネストはそこで、皿の端に置かれた薔薇へ視線を向けた。


「薔薇はどう見る」


突然聞かれて、私は少し慌てた。


「とても……華やかです」


「それだけか」


「……最初に目が行きます。淡い焼き菓子の横にあると、皿全体が明るく見えます。お茶席に出されたら、きっと皆様も薔薇のことをお尋ねになると思います」


「そうだな」


アーネストは頷いた。


「一度に量を使う品ではないが、添えるだけで目を引く。香りも強い。だからこそ、使う場所は選ぶだろう」


私はもう一度、薔薇を見た。


「……私の品は、華やかではありませんね」


虫の音のように、ぽつりと声が落ちた。


伯爵夫人が私を見る。


アーネストも、茶杯を置いた。


「華やかさだけで、商いは続かない」


「……ですが、この薔薇は、受け取った方にとても喜ばれると思います」


「確かにな。だが、お前の品は使える場所が多い」


アーネストは、皿の上の小さな焼き菓子へ視線を落とした。


「菓子にも茶にも使える。ほかの味と合わせることもできる。それは強みだ」


ふと、パン工房で言われた言葉を思い出した。


――ね? 干し林檎は、もう暮らしの中に入り込めているでしょう。


そうだ。

だから、贈答品として選ばれ、パン工房でも使ってもらえているのだ。


胸の奥にあった小さな固まりが、ゆっくりとほどけていく。


「……ありがとうございます」


小さく頭を下げると、夫人は満足そうに微笑んだ。


「それにしても」


伯爵夫人は、皿の上の菓子をゆっくりと見渡した。


「あなたの乾物で、これほど違う味が作れるなんてね」


「そう言っていただけて恐縮です」


「……これ、茶菓子として育てた方が面白いわね」


「え?」


顔を上げると、夫人は何でもないことのように微笑んでいた。


「乾物そのものを売るだけでなく、これを使った茶菓子として、ひとつの商品にしてみてもよいのではなくて?」

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 スコーンなどの菓子や食器を引き立て、彩りよくする干し果実とバラ……どちらかの魅力を潰さず添えて並べる手腕も、その手腕に応えたエリナさんとヴィオラさんの品の魅力も凄いですね。  凄いんですが、これ、仮…
貴族というのは、いつも優雅にお茶したり舞踏会に行ったり、遊んでる人たちというイメージでした。もちろん領地経営はありますが。 このお話しでは、貴族とは地方の実業家で様々な工夫を続けている意外に地道な人…
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