第8話
グラーフ伯爵邸に着くと、いつものように使用人たちが丁寧に迎えてくれた。
「奥様とアーネスト様は、ティーサロンでお待ちです」
「ティーサロン……?」
「本日は、試作品をお茶席として整えております」
私は目を瞬かせた。
厨房で味を確かめるのだと思っていたので、今日は飾りの少ない春色のワンピースを選んでいた。
淡い若草色の生地をまっすぐ落とした、装飾の少ない仕立てだ。作業場へ出ても浮かないようにと思ったのだけれど、お茶席と聞くと急に心許なくなる。
……失礼ではない、と思いたい。
そう自分に言い聞かせながら、案内された部屋へ入った。
そこは、以前の茶会で通された客間よりも、ひと回り小さなティーサロンだった。
白い壁には細い金の飾り縁が巡らされ、窓辺には春の小花が飾られている。
中央の丸テーブルには、すでにいくつもの菓子皿が並べられていた。
干し木苺を刻み込んだ小さな焼き菓子に、干しさくらんぼを薄い生地へ散らした淡い紅色の菓子。木苺と干し林檎の瓶詰めを添えた小さなスコーンと、薄く焼いた菓子に淡い赤色のソースを落としたもの。
そして、どの皿にも一枚ずつ、薄紅色の薔薇の砂糖漬けが添えられていた。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
花びらは形を崩さず、表面にまとった細かな砂糖が朝露のように光を受けていた。
淡い色の菓子の中で、薔薇の濃い紅色が鮮やかに映えている。
「綺麗でしょう」
グラーフ伯爵夫人の声に、私ははっと顔を上げた。
夫人はテーブルの向こうで微笑んでいる。その隣には、アーネストも座っていた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「いいのよ。最初に皿へ目が行くように並べたのだもの」
「……はい。本当に綺麗です」
「クラウゼン家の薔薇よ。昨日、ヴィオラ嬢が持ってきてくださったの」
「ヴィオラ様が……?」
改めて薔薇を見る。
料理に花を添えることは知っていた。
けれど、その花を砂糖漬けにして菓子に使うなんて、考えたこともなかった。
「すごい……」
小さく呟くと、アーネストが口を開いた。
「座れ、エリナ嬢」
「は、はい」
促されるまま席につく。
伯爵夫人は、楽しそうに皿を見渡した。
「今日はね、あなたの乾物と瓶詰めが、茶席でどう見えるかを確かめたかったの」
「茶席で……。ここまでご用意いただき、ありがとうございます」
「いいのよ。お客様の前に出した時にどう見えるか、茶と合わせた時に何が印象に残るかは、こうして並べてみなければ分からないでしょう?」
私は皿の上へ視線を落とした。
干し木苺は、小さく刻まれて菓子の中に赤い点を作っている。
干しさくらんぼは色が綺麗で、淡い生地の上に置かれると、思っていたよりも目を引いた。
しかし、隣に薔薇があると、やはり華やかさはまるで違う。
一瞬、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「まずは、こちらからいただきましょうか」
夫人が示したのは、干し木苺を刻み込んだ小さな焼き菓子だった。
一口いただくと、焼き菓子の香ばしさの奥から木苺の酸味がふわりと立ち、その後ろから干し林檎の甘みが追いかけてくる。
「……木苺だけで食べた時より、ずっと味が丸いです」
「この組み合わせは合っているわね」
夫人が頷く。
「木苺の酸味を干し林檎が受け止めているわ。焼き込んでも、香りがきちんと残っている」
アーネストも菓子を一つ取り、口に運んだ。
「悪くない。木苺は数が少ないが、菓子に少量を混ぜるだけでも印象を残せる」
「確かに……赤い色が少し入るだけで、見え方が変わりますね」
夫人が楽しそうに笑う。
「数が少ないものは、少ないなりの使い方をすればいいのよ」
私は小さく頷いた。
次に、干しさくらんぼを使った薄い菓子をいただく。
見た目は、これが一番可愛らしい。
淡い生地に赤色が映え、皿の上では木苺よりも華やかに見える。けれど、口に入れると味は少し軽かった。
香りはあるものの、木苺ほど強くは残らない。
「……色は綺麗ですが、味は少し弱い気がします」
「そうね。味で主役にするより、この色を生かした方がよさそうだわ」
「春の茶席には合いそうですね」
「ええ。けれど、これだけで強い印象を残すのは難しいかもしれないわね」
アーネストは皿を見たまま言った。
「なら、さくらんぼはやめてもいい」
「……」
言われると思った。
「手間がかかるわりに、味で木苺に劣る。色を出したいだけなら、苺でも足りるだろう」
「……木苺と苺に絞った方が、領民も楽になると思います」
さくらんぼは、種を取り除くだけでも手間がかかる。
今なら、まだ領民も作業に慣れ切ってはいない。ここでやめれば、余計な労力を増やさずに済む。
「今ある分は、木苺や苺の菓子に少し混ぜて使ってみます」
「それでいい」
次に、木苺と干し林檎の瓶詰めを添えたスコーンをいただく。
こちらは焼き菓子よりも、木苺の香りがはっきり立った。干し林檎の甘みがあるので、酸味だけで終わらない。
「これは、茶席用ならもう少し軽くてもいいかもしれないわね」
伯爵夫人が言う。
「焼き菓子に入れるなら今くらいでもよいけれど、スコーンに添えるものとしては少し味が濃いわ」
「同じ瓶詰めでも、使い道で濃さを変えるのですか」
「もちろん。茶席用、焼き菓子用、贈答用。求められる味はそれぞれ違うわ」
また一つ、知らなかった扉が開いた気がした。
アーネストはそこで、皿の端に置かれた薔薇へ視線を向けた。
「薔薇はどう見る」
突然聞かれて、私は少し慌てた。
「とても……華やかです」
「それだけか」
「……最初に目が行きます。淡い焼き菓子の横にあると、皿全体が明るく見えます。お茶席に出されたら、きっと皆様も薔薇のことをお尋ねになると思います」
「そうだな」
アーネストは頷いた。
「一度に量を使う品ではないが、添えるだけで目を引く。香りも強い。だからこそ、使う場所は選ぶだろう」
私はもう一度、薔薇を見た。
「……私の品は、華やかではありませんね」
虫の音のように、ぽつりと声が落ちた。
伯爵夫人が私を見る。
アーネストも、茶杯を置いた。
「華やかさだけで、商いは続かない」
「……ですが、この薔薇は、受け取った方にとても喜ばれると思います」
「確かにな。だが、お前の品は使える場所が多い」
アーネストは、皿の上の小さな焼き菓子へ視線を落とした。
「菓子にも茶にも使える。ほかの味と合わせることもできる。それは強みだ」
ふと、パン工房で言われた言葉を思い出した。
――ね? 干し林檎は、もう暮らしの中に入り込めているでしょう。
そうだ。
だから、贈答品として選ばれ、パン工房でも使ってもらえているのだ。
胸の奥にあった小さな固まりが、ゆっくりとほどけていく。
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げると、夫人は満足そうに微笑んだ。
「それにしても」
伯爵夫人は、皿の上の菓子をゆっくりと見渡した。
「あなたの乾物で、これほど違う味が作れるなんてね」
「そう言っていただけて恐縮です」
「……これ、茶菓子として育てた方が面白いわね」
「え?」
顔を上げると、夫人は何でもないことのように微笑んでいた。
「乾物そのものを売るだけでなく、これを使った茶菓子として、ひとつの商品にしてみてもよいのではなくて?」




