第7話
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
応接間の椅子から立ち上がったヴィオラは、優雅に膝を折った。
淡い青のドレスは、胸元から腰にかけて細い銀糸で蔓草模様が刺され、袖口には同じ色の小さな真珠が縫い留められていた。
グラーフ伯爵夫人は、向かいの席を示して微笑む。
「こちらこそ。少し興味があったの」
「まだ大したものではございませんけれど……伯爵夫人に一度ご覧いただければと思いまして」
ヴィオラが目配せすると、連れてきた侍女が白い箱を差し出した。
蓋が開かれる。
中には、薄紅色の薔薇の砂糖漬けが並んでいた。
花びらは一枚ずつ形を残し、表面にまぶされた細かな砂糖が、春の光を受けてきらきらと光っている。
「我が家の温室で育てた薔薇を使っておりますの」
ヴィオラは柔らかく微笑んだ。
「まだ身内の茶席で楽しむ程度なのですけれど、最近は領地の品をお茶席に取り入れる方も増えておりますでしょう?」
「そうね」
伯爵夫人は一枚を手に取り、香りを確かめた。
「ああ、これは若い方の茶席には映えるわ」
「ありがとうございます」
ヴィオラの表情が、わずかに明るくなる。
「珍しいものは、それだけで話題になりますものね。ただ、珍しさだけでは長く残らないとも思いますの。伯爵夫人のお茶席なら、やはり見た目の華やかさも大切ではないかと」
「華やかさは大切よ。特に、最初に目を留めてもらうにはね」
ヴィオラは、ほっとしたように笑った。
しかし、伯爵夫人は砂糖漬けを皿へ戻し、続ける。
「ただ、これは一度きりの茶席に向く品ね」
ヴィオラの笑みが止まった。
「一度きり……ですか?」
「ええ。初めて見る方には喜ばれるでしょう。皿に添えれば目を引くし、会話のきっかけにもなるわ」
「はい。まさに、そのように使えればと」
「けれど、贈答や紹介に使うなら、もう少し見るところが増えるわね」
伯爵夫人は茶杯へ指を添えた。
「どのくらい日持ちするの?」
ヴィオラは言葉を止めた。
「砂糖漬けでしょう。湿気や香り移りで変わりやすいもの。包んで渡すなら、どれくらい保つのか知っておきたいわ」
「……身内の茶席で楽しむ分には問題ございませんでしたけれど、包んでお渡しすることまでは、まだ考えておりませんでした」
「では、数はどれくらい揃えられるのかしら」
「温室の薔薇ですので、多くはございません。ただ、季節が合えば、ある程度は……」
「香りは毎回揃う?」
「……職人に確認いたします」
「茶に添えた時、香りが強すぎることは?」
「そこまでは、まだ……」
「そう」
伯爵夫人は微笑んだままだった。
「可愛らしい品よ。けれど、可愛らしい品ほど、扱いを間違えるともったいないわ」
「勉強になります」
ヴィオラは素直に頭を下げた。
「……では、伯爵夫人なら、こうした品をどのようにお使いになりますか?」
「そうね……まずは主役にしないことかしら」
「主役にしない……添える品として、ということでしょうか」
「ええ。薔薇の香りは強いでしょう。皿の中心に置けば、茶も菓子も負けるわ」
「でしたら……淡い焼き菓子と一緒に出すとか?」
「そうね。印象には残るでしょう。けれど、添える品は主役より難しいのよ。目立ちすぎても、埋もれてもいけないから」
「覚えておきます」
ヴィオラは頷いた。
「あなたの薔薇は綺麗よ」
伯爵夫人は、箱の中へ視線を落とした。
「次に持ってくるなら、日持ちと数、香りの揃い方を確認していらっしゃい。それが分かれば、使い道も考えられるわ」
「……また、ご覧いただいてもよろしいのでしょうか」
「もちろん。せっかく見せてくださったのだもの。もう少し形にできたら、改めて見せてちょうだい」
「ありがとうございます。次は、きちんと調べてまいります」
ヴィオラがそう答えた時、扉の外で足音が止まった。
控えていた使用人が、そっと告げる。
「奥様。アーネスト様がお越しです」
「通して」
扉が開いた。
入ってきたアーネストは、まず母を見た。
「失礼する。母上、厨房の件で――」
「アーネスト様」
ヴィオラはすぐに立ち上がった。
「お邪魔しております」
アーネストの視線が、そこでようやく彼女へ向く。
「クラウゼン嬢」
「クラウゼン家の薔薇の砂糖漬けよ。ちょうどよかったわ。あなたも見てちょうだい」
「私が?」
「少しくらいいいでしょう?」
アーネストは短く息を吐き、箱の中へ視線を落とした。
「薔薇か」
「はい。茶席に添えれば華やかになるかと思いまして」
アーネストは砂糖漬けを一枚見て、すぐに言った。
「量を置く品ではないな」
ヴィオラの笑みが、わずかに固まった。
「香りが強い。茶に合わせるなら一枚で十分だ」
「アーネスト、もう少し言い方があるでしょう」
「見た目はいい」
「それを先に言いなさい」
「だが、香りが前に出る。菓子と茶の間に置くなら、主役にはしない方がいい」
ヴィオラは一拍遅れて、微笑みを戻した。
「伯爵夫人と同じことをおっしゃるのですね」
「なら、間違ってはいないな」
アーネストは箱から視線を外した。
「茶席のことは母上に聞くといい」
「はい。日持ちや数を確かめた上で、また改めてご覧いただけることになりました」
「……そうか。なら、母上の言う通りにするといい」
アーネストは箱へもう一度だけ視線を落とした。
「茶席に添える品としては、悪くない」
ヴィオラの表情が、少しだけ明るくなる。
それだけ言うと、アーネストは母へ視線を戻した。
「母上。厨房の件だが」
「ええ、分かっているわ。明日の午後でしょう?」
「ああ。乾物を使った菓子を見る」
「まあ。グラーフ伯爵が、菓子の試作までご覧になるのですね」
ヴィオラは微笑んだまま、ほんの少しだけ首を傾げた。
アーネストの視線が、静かにヴィオラへ向く。
「使い方を見ずに、品の良し悪しは分からない」
「……そこまでご覧になるのですね。勉強になりますわ」
アーネストは、母へ視線を戻した。
「明日の午後でいいな」
「ええ。伝えておくわ」
「では、失礼する」
「もう行くの?」
「用件は済んだ」
アーネストはヴィオラへ軽く一礼した。
「クラウゼン嬢、失礼する」
「はい。お引き止めしてしまい、申し訳ございません」
「いや」
短く答え、アーネストは応接間を出ていった。




