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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十四章

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第4話

席に着くと、すぐに使用人が茶を注いだ。


淡い花の香りが、湯気に混じって立ちのぼる。


その横で、先ほど預けた干し林檎の包みがほどかれ、小さな皿へ並べられていった。


「エリナ様は、最近よく夜会へお出になっているそうね」


ローデンベルク伯爵夫人が、茶杯へ指を添えながら穏やかに言った。


「……はい。少しずつですが」


「以前はあまりお見かけしなかったものですから、皆さま少し驚いていらしたわ」


「お姉様とは、また違う雰囲気でいらっしゃるのね」


ベルトラン夫人が微笑んだ。


「リディア様は華やかで、どこにいても目を引く方でしょう? でも、エリナ様はもう少し……落ち着いていらっしゃる」


「姉は、昔から社交に慣れておりますので」


「まあ、謙虚ですこと」


アメリアが楽しそうに笑う。


「でも私、夜会でお見かけした時から気になっていたんですの。あまり前へ出ないのに、グラーフ伯爵とお話しされていたでしょう?」


「……っ」


茶杯に触れかけた指が止まった。


「アメリア。失礼よ、そういうことを急に聞くものではありません」


「ごめんなさい。でも、本当に気になっていたんですもの」


アメリアは少し唇を尖らせ、それからすぐに笑った。


「それに、干し林檎のことも。最近、茶席でお名前を聞くことが増えましたわ」


ローデンベルク伯爵夫人はそこで、ようやく皿の上へ目を落とした。


「そうね。まずはこちらをいただきましょうか」


使用人が小皿をそれぞれの前へ置く。


アメリアは皿の上を覗き込み、少しだけ目を瞬いた。


「……思っていたより、素朴ですのね」


言われてみれば、確かにそうかもしれない。


「そうですね……」


「まあ、アメリア。こういうものは控えめだから、いいのよ」


ローデンベルク伯爵夫人は干し林檎を一枚手に取った。


「菓子の皿に添えても邪魔をしないでしょう」


「……たしかに、可愛らしいお菓子ばかりだと、ごちゃごちゃしてしまうものね」


「でしょう?」


伯爵夫人はそこで、ようやく私へ目を戻した。


「エリナ様は、そういう使い方も考えていらしたの?」


「いえ、元々はパン工房から依頼を受けて作り始めたものです」


「パン工房?」


アメリアがぱっと顔を上げた。


「どちらの工房ですの?」


「王都の、小麦の鐘というパン屋に少し卸しております」


「まあ、小麦の鐘?」


ローデンベルク伯爵夫人の目が、ほんの少しだけ変わった。


「存じていますわ。華やかな店ではないけれど、客筋のよい店ね」


私は目を瞬いた。


パン工房の夫人の店が、ここで名前を知られているとは思わなかった。


「それが、茶席にも回るようになったのね」


「はい。まだ数は少ないのですが……」


「まあ。では、なおさら貴重なのね」


アメリアが嬉しそうに手を合わせた。


「貴重というほどでは……」


「でも、数が少ないのでしょう? それなら、今のうちにいただけて嬉しいわ」


少し胸が詰まった。


本当は、もう少し出せなくもない。


けれど、急に広げすぎるなと、グラーフ伯爵には言われていた。


分かっているのに、目の前で嬉しそうにされると、断るのがひどく悪いことのように思えた。


ローデンベルク伯爵夫人は干し林檎をひと口かじり、ゆっくりと味わうように目を伏せた。


「……あら、思ったより甘みが強いのね」


「はい。うちの領地の林檎は、干すと甘みが残りやすいようです」


「茶にも悪くないわ。口直しにちょうどいい」


ベルトラン夫人も一枚手に取って、小さく頷いた。


「私のような年配には、こういうものの方が喜ばれるかもしれませんわ」


「お母様、今度のお茶にも出したいわ。皆、きっと珍しがるもの」


「そうね。エリナ様、もし差し支えなければ、少し分けていただくことはできますかしら」


「……申し訳ございませんが、今はグラーフ伯爵夫人のお取り計らいのもとで動いておりますので、私から直接お約束することはできなくて……」


言いながら、胸の奥が苦しくなる。


せっかく喜んでくださっているのに。


「……まあ、グラーフ伯爵夫人が」


「そうなの……」


アメリアの顔を見ると、なおさら申し訳なくなる。


「それでは、こちらから軽々しくお願いしてはいけませんわね」


「いえ、その……」


「ええ、分かっております。先にお話を進めていらっしゃる方があるなら、その筋を乱すわけにはまいりませんもの」


そう言われて、私は少しだけ息を吐きかけた。


けれど、ローデンベルク伯爵夫人は微笑んだまま続けた。


「では、グラーフ伯爵夫人のお取り計らいに差し障りのない範囲で構いませんわ」


「え……」


「こういうものは、評判になってからではなかなか手に入りませんでしょう?」


「そうよね、お母様。今のうちにお願いしておかないと、後で皆が欲しがってしまうもの」


「アメリア。エリナ様を困らせてはいけませんよ。こちらは、あくまでお願いしている立場なのですから」


背中に、冷たい汗がにじんだ。


お相手は、私よりずっと家格の高い方だ。


そんな方からの“お願い”を、簡単に断れば失礼になるのではないか。


だからといって、グラーフ伯爵夫人を通さずにお渡ししていいものでもない。


目の前では、アメリアが期待に満ちた顔でこちらを見ている。


「……この時期は、あまり良い林檎が手に入らないのです」


声が少し震えた。


「本日お持ちしたものも、残っていた中から、状態のよいものを厳選した品でした」


「でも……ほんの少しなら、難しくないのではありませんの?」


「アメリア」


「だって、お母様。茶菓子の横に添えるだけなら、そんなにたくさんは要らないでしょう?」


アメリアは私へ向き直った。


「一人に二、三枚で十分ですもの。見せるだけでも、きっと皆喜ぶわ」


「……申し訳ございません。数だけでしたら、ある程度はご用意できるかもしれません。ですが……」


私は膝の上で指を重ねた。


「今の時期に残っているものは、色や甘みが揃いません。お茶席へお出しするには、品質が安定しないと思います」


「まあ、少しくらい違っていても、珍しければ分からないのではなくて?」


アメリアに言われ、言葉が詰まった。


私が大事にしようとしていたものを、軽く撫でられたような気がした。

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― 新着の感想 ―
仕立て屋で新作に手を出した流行りものが好きなローデンベルク伯爵夫人と同一でしょうか。
 パン工房の人のお店、小麦の鐘という店名なんですね。そして、アメリアさんは面会したばかりでありながらグイグイ前のめりになってますなあ。  エリナさんや製造品を侮る訳ではなく、関心が強すぎて自分への客観…
エリナほだされかけてる…(;゜Д゜) 面識もなく土産指定で呼びつける無礼千万な親子+1人にそんなこと思う必要ないのに お人好し発揮して申し訳ないとか‥優しいだけだと食い物にされるだけだよ。 しかし、母…
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