第4話
席に着くと、すぐに使用人が茶を注いだ。
淡い花の香りが、湯気に混じって立ちのぼる。
その横で、先ほど預けた干し林檎の包みがほどかれ、小さな皿へ並べられていった。
「エリナ様は、最近よく夜会へお出になっているそうね」
ローデンベルク伯爵夫人が、茶杯へ指を添えながら穏やかに言った。
「……はい。少しずつですが」
「以前はあまりお見かけしなかったものですから、皆さま少し驚いていらしたわ」
「お姉様とは、また違う雰囲気でいらっしゃるのね」
ベルトラン夫人が微笑んだ。
「リディア様は華やかで、どこにいても目を引く方でしょう? でも、エリナ様はもう少し……落ち着いていらっしゃる」
「姉は、昔から社交に慣れておりますので」
「まあ、謙虚ですこと」
アメリアが楽しそうに笑う。
「でも私、夜会でお見かけした時から気になっていたんですの。あまり前へ出ないのに、グラーフ伯爵とお話しされていたでしょう?」
「……っ」
茶杯に触れかけた指が止まった。
「アメリア。失礼よ、そういうことを急に聞くものではありません」
「ごめんなさい。でも、本当に気になっていたんですもの」
アメリアは少し唇を尖らせ、それからすぐに笑った。
「それに、干し林檎のことも。最近、茶席でお名前を聞くことが増えましたわ」
ローデンベルク伯爵夫人はそこで、ようやく皿の上へ目を落とした。
「そうね。まずはこちらをいただきましょうか」
使用人が小皿をそれぞれの前へ置く。
アメリアは皿の上を覗き込み、少しだけ目を瞬いた。
「……思っていたより、素朴ですのね」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
「そうですね……」
「まあ、アメリア。こういうものは控えめだから、いいのよ」
ローデンベルク伯爵夫人は干し林檎を一枚手に取った。
「菓子の皿に添えても邪魔をしないでしょう」
「……たしかに、可愛らしいお菓子ばかりだと、ごちゃごちゃしてしまうものね」
「でしょう?」
伯爵夫人はそこで、ようやく私へ目を戻した。
「エリナ様は、そういう使い方も考えていらしたの?」
「いえ、元々はパン工房から依頼を受けて作り始めたものです」
「パン工房?」
アメリアがぱっと顔を上げた。
「どちらの工房ですの?」
「王都の、小麦の鐘というパン屋に少し卸しております」
「まあ、小麦の鐘?」
ローデンベルク伯爵夫人の目が、ほんの少しだけ変わった。
「存じていますわ。華やかな店ではないけれど、客筋のよい店ね」
私は目を瞬いた。
パン工房の夫人の店が、ここで名前を知られているとは思わなかった。
「それが、茶席にも回るようになったのね」
「はい。まだ数は少ないのですが……」
「まあ。では、なおさら貴重なのね」
アメリアが嬉しそうに手を合わせた。
「貴重というほどでは……」
「でも、数が少ないのでしょう? それなら、今のうちにいただけて嬉しいわ」
少し胸が詰まった。
本当は、もう少し出せなくもない。
けれど、急に広げすぎるなと、グラーフ伯爵には言われていた。
分かっているのに、目の前で嬉しそうにされると、断るのがひどく悪いことのように思えた。
ローデンベルク伯爵夫人は干し林檎をひと口かじり、ゆっくりと味わうように目を伏せた。
「……あら、思ったより甘みが強いのね」
「はい。うちの領地の林檎は、干すと甘みが残りやすいようです」
「茶にも悪くないわ。口直しにちょうどいい」
ベルトラン夫人も一枚手に取って、小さく頷いた。
「私のような年配には、こういうものの方が喜ばれるかもしれませんわ」
「お母様、今度のお茶にも出したいわ。皆、きっと珍しがるもの」
「そうね。エリナ様、もし差し支えなければ、少し分けていただくことはできますかしら」
「……申し訳ございませんが、今はグラーフ伯爵夫人のお取り計らいのもとで動いておりますので、私から直接お約束することはできなくて……」
言いながら、胸の奥が苦しくなる。
せっかく喜んでくださっているのに。
「……まあ、グラーフ伯爵夫人が」
「そうなの……」
アメリアの顔を見ると、なおさら申し訳なくなる。
「それでは、こちらから軽々しくお願いしてはいけませんわね」
「いえ、その……」
「ええ、分かっております。先にお話を進めていらっしゃる方があるなら、その筋を乱すわけにはまいりませんもの」
そう言われて、私は少しだけ息を吐きかけた。
けれど、ローデンベルク伯爵夫人は微笑んだまま続けた。
「では、グラーフ伯爵夫人のお取り計らいに差し障りのない範囲で構いませんわ」
「え……」
「こういうものは、評判になってからではなかなか手に入りませんでしょう?」
「そうよね、お母様。今のうちにお願いしておかないと、後で皆が欲しがってしまうもの」
「アメリア。エリナ様を困らせてはいけませんよ。こちらは、あくまでお願いしている立場なのですから」
背中に、冷たい汗がにじんだ。
お相手は、私よりずっと家格の高い方だ。
そんな方からの“お願い”を、簡単に断れば失礼になるのではないか。
だからといって、グラーフ伯爵夫人を通さずにお渡ししていいものでもない。
目の前では、アメリアが期待に満ちた顔でこちらを見ている。
「……この時期は、あまり良い林檎が手に入らないのです」
声が少し震えた。
「本日お持ちしたものも、残っていた中から、状態のよいものを厳選した品でした」
「でも……ほんの少しなら、難しくないのではありませんの?」
「アメリア」
「だって、お母様。茶菓子の横に添えるだけなら、そんなにたくさんは要らないでしょう?」
アメリアは私へ向き直った。
「一人に二、三枚で十分ですもの。見せるだけでも、きっと皆喜ぶわ」
「……申し訳ございません。数だけでしたら、ある程度はご用意できるかもしれません。ですが……」
私は膝の上で指を重ねた。
「今の時期に残っているものは、色や甘みが揃いません。お茶席へお出しするには、品質が安定しないと思います」
「まあ、少しくらい違っていても、珍しければ分からないのではなくて?」
アメリアに言われ、言葉が詰まった。
私が大事にしようとしていたものを、軽く撫でられたような気がした。




