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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十四章

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第1話

屋敷へ戻る馬車に揺られながら、私は茶房でのやりとりを何度も思い返していた。


『……また会いたいと思うことだ』


その言葉に、息が止まった。


『会えば気にかかる。会わなければ、次に会う理由を考える』


『……』


『そういうものがあれば、当人同士の意向と言っていい』


そこでようやく、アーネストは私を見た。


『……少なくとも、俺はそう考える』


――では、私は、あなたにとってそういう相手なのですか。


そう聞きたかった。


けれど、怖くて聞けなかった。


気にかけてもらえていることは、分かる。

会う口実も、見せたいものも、こうして与えられている。


けれど、それは私の立場を思ってのことかもしれない。


商いのため。

私が、家から離れるため。

私が、まだ知らないことを学ぶため。


「私は……」


小さく零しかけて、言葉が続かなかった。


窓の外へ目を向ける。


流れていく景色の向こうに、さっきまで見ていた春の色だけが、まだ残っている気がした。


あの人は、私と会いたいと思ってくれているのだろうか。


そう考えた瞬間、胸がひどく騒いで、私はそっと唇を噛んだ。



屋敷へ戻る頃には、空はもう夕暮れの色へ傾きかけていた。


玄関を入って外套を預け、廊下を渡ろうとしたところで、向こうから姉が歩いてくるのが見えた。


「あら、お帰り。ずいぶん遅かったのね」


姉はそう言ったあと、私の顔を見て目を細めた。


「……何だか、今日はずいぶん考え込んでいるみたい」


「え……そうでしょうか」


「市はどうだったの?」


「……勉強になりました」


「そう、よかったじゃない」


姉はそれ以上、すぐには聞かなかった。


私は迷ったけれど、小さく息を吸う。


「……お姉様」


「なに?」


「婚約は……どうやって決まるものなのですか?」


姉は目を瞬かせた。


「……今さら、ずいぶん急ね。ルーカス様のこと?」


思わず息が止まる。


リディアはその反応を見ても急かさず、探るようにこちらを見る。


「それとも――」


そこで姉は、わざと一拍置いた。


「別の方のことかしら」


「そ……そういうわけでは……」


自分でも苦しいと思いながら、私は目を逸らした。


「ただ、進み方が分からなくて……お姉様は、どうやって決まっていったのですか?」


「そうね。先に分かるのは、たいてい本人の態度よ」


「態度? それだけで分かるものなのですか」


「ええ。何度も話しかけてくるとか、次も会いたがるとか。そういうところで、だいたい分かるわ」


私は思わず息を詰めた。


「そのあとで、家へ正式に話が来るの。私もそうだったわ」


「……もっと、きちんと言葉があって決まるものかと思っていました」


本で読んだ恋の話には、もっと分かりやすい言葉があった気がする。


けれど実際は、もっと淡々と進むものなのかもしれない。


そう思うと、納得する反面、少し拍子抜けもした。


リディアはふっと息をつく。


「あなた、本当にそういうところだけ素直よね」


「え……」


「言葉があることもあるでしょうけれど、それで全部決まるわけじゃないわ」


姉は淡々と続けた。


「先に周りが動いて、家が話をして、むしろ、きちんと言葉にする方が遅いこともあるの」


「……では、縁談を申し込まれるのを待っているしかないのですか?」


「待っているだけでは駄目よ」


「では……どうすれば……?」


「相手が前に出てきているなら、こちらも分かるように返さないと」


「どうやって……?」


「次も会いたいなら、そう見えるようにするの。話したり、笑いかけたり、断らない。そういうことで十分伝わるわ」


「……そんなことでいいのですか?」


思わずそう返すと、姉は小さく眉を上げた。


「そういうことを、誰にでも同じようにすると思う?」


「だって……」


言いかけて、私は口をつぐんだ。


アーネストと交わしたやりとりが、いくつも浮かぶ。


忙しいのに、時間を作ってくれたこと。

顔を見て話したこと。

手を差し出してくれて、離さなかったこと。


リディアはそんな私を見て、わずかに息をついた。


「分かりやすく“はい”と言わなくても、嫌ではないことくらいは伝わるのよ」


……それって。


私の気持ちも、見えているということ……?


顔が熱くなる。


「今さら何を言っているの」


「え……」


「見えるわよ、そのくらい。むしろ、見えないと思っていたの?」


私は言葉を失った。


「あなたが思っているより、態度に出ているわよ」


「でも……」


私はスカートの裾をきゅっと握る。


「気づかれているなら……」


リディアは、その先を待たずに淡々と言った。


「それでも動かないなら、そこまでなのでしょう」


「そこまで……」


「好意があることと、それを形にする気があることは別よ」


「……そっか」


「余り深追いせず、次を考えた方がいいんじゃない」


姉はそう言って、そのまま廊下の向こうへ消えていった。


私はその場に立ち尽くしたまま、さっきの言葉を胸の内で繰り返していた。


――それでも動かないなら、そこまで。


そう言われたはずなのに、なぜかすぐには否定できなかった。


本当に、そうなのだろうか。


でも、それを認めてしまえば、今日の言葉も、差し出された手も、あの人の誠実さまで疑うことになる気がした。


それだけは、思いたくなかった。


その時、背後から控えめな声がした。


「お嬢様」


振り返ると、執事が一礼して立っていた。


「お手紙が届いております」


「……手紙?」


「ローデンベルク伯爵家より、お預かりしております」


「……ローデンベルク伯爵家?」


差し出された封書を受け取り、表を見る。


深緑の封蝋に、鹿と樫の葉の紋章。


名前にも、紋章にも、覚えはなかった。


……どなたなの?

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― 新着の感想 ―
 隠しきれないトキメキは、リディアさんにすっかり筒抜けの様ですね。しかし、過剰にからかうでもなく、身の程がどうこうと言い出し気力を潰すでもなく無難な助言を織り混ぜるあたり、エリナさんの今後に対して、リ…
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