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それは唐突に起こった。強い風が一気に吹き抜ける。一瞬視界が奪われた魔法師たちは、視界がはっきりとしたときに、その目に映る光景を疑った。まるで、夢か幻のように目の前から魔物たちが消え去っていたのだ。ただ、そこにはえぐれた大地、壊れた街並みという戦いの痕跡だけが、あれは夢でも幻でもないことを物語っている。
アリスは、へたりとその場に座り込んだ。同じように多くの魔法師たちが世界のあちこちで呆然としていた。そして、少しずつ魔物が完全に消えたのだと悟り始めた。
(終わったんだわ……)
アリスはようやく自分を取り戻したように、ゆらりと立ち上がる。姫は無事なのだろうかと思うが、それを確かめるすべは、今のところない。
「生きてるな、俺たち」
不意にかけられた声は、クリスのものだった。片腕から血が滴っている。アリスは慌てて治癒魔法を施そうとしたが、クリスは大丈夫だと笑う。
「こんなに血があふれて大丈夫なわけないでしょ」
「そっちこそ、結構、血まみれだぞ」
「あたしは獣人だから傷の治りは早いのよ。いいから見せなさい」
アリスは無理やりクリスの腕をつかみ、状態を見た。かなり深い傷だ。とにかく縫合魔法を駆使して傷口をふさぐ。
「ありがとう。助かったよ」
クリスは真っすぐにアリスを見て、お礼を言った。アリスはふいっと顔をそむけた。あふれそうな涙をボロボロの袖で拭う。そして振り返る。そのときだった。何もない空間から、ハルベリーが顔を出す。ハルベリーは、魔法を使い果たしたのか、姿を現すなり地べたへ座り込んだ。アリスとクリスが駆け寄ると、左足にあるはずの義足はなく、小さな女の子が背中に張り付いていた。
「二人とも無事だったんだな」
ハルベリーがほっとしたような顔でそういう。
「お前こそ……どこで何してたんだよ。それに足が……」
「魔王と対決……っていいたいけど、それはバースティアがやったんだ。足はもとに戻っただけだよ」
ハルベリーはそう言いながら、背中の少女を指差した。
「つまり、この子がバースティアさまなの?」
アリスの質問にハルベリーはうなずく。アリスは、しげしげと子どもの顔を見た。確かに見覚えのある顔だし、紅い髪も紅い眼もバースティアと同じだった。
「えーっと、要するに魔王はいなくなった。魔物も居なくなった。だから、もう大丈夫ってことだよな」
クリスはつとめて明るく、そう言った。ハルベリーはそうだと答えた。
「……それで……これからどうするんだ?」
「家に帰るよ。たぶん、無事だろうからな」
「えらく確信もっていうな」
「バースティアが魔法師を一人、うちに派遣してくれてたからな」
クリスは小首を傾げながら、まあ、お前がそういうならそうなんだろうなと幼いバースティアを見る。紅い瞳が好奇心に輝きつつも、ハルベリーにしがみついて離れようとしない。アリスが突然、獣人の姿になったときも驚いたが、この小さな子どもが獣王の娘で、魔王を倒したと言われても、クリスには理解できなかった。ただ、もう魔物はいないという事実だけで十分だとも思う。
「クリスはどうするんだ?」
「どうすっかなぁ……」
クリスはちらりと姿の代わってしまったアリスを見た。
「まあ、どのみちやることはたっぷりあるだろう。魔物のやつら好き放題壊しまくっただろうからな。生き残ったからにゃ、使える力をつかって飯食ってかなきゃならんだろう」
そうだなとハルベリーはうなずく。
「で、お前の家ってどっかの村だったよな」
ああ、あれは嘘だとハルベリーはしれっと答えた。
「じゃあ、どこなんだよ。家ってのは」
シーガル大公家とハルベリーがにやりと笑う。
「は?なに?お前、まさかそこの使用人なの?」
「いいや、主だ。ハルベリー・ペジャール・シーガル。これが俺の本名だ。戻れば、領内のあとかたづけやらなんやらで大変だろうな。ああ、そうだ。なあ、アリス」
アリスは何と力ない声で答えた。
「できたら、俺のところに来てくれないか。クリスも」
アリスとクリスは驚いたような顔をした。
「どう考えても、人手不足だし。バースティアにばかりかまってやれないかもしれないからさ」
クリスはいいぜと答えた。
「アリス、行ってやろうぜ。大公家だ。きっとくいっぱぐれなくていいぞ」
「あたしは……」
アリスが躊躇していると、バースティアがじっと見つめてきた。
「ハル……みんな一緒?」
「そうだな。それがいいよな」
バースティアはコクンと頷いた。
一日ほどカーディに留まったハルベリーたちは、ある程度魔力が回復したので、シーガル大公家へ向った。転送魔方陣をそれぞれ、一回ずつ展開し、ようやくたどり着いた大公家は、ハルベリーが旅立ったあの日と、何一つ変わらない佇まいだった。けれど、エントランス側の広大な庭には人があふれている。その中を忙しく歩き回っていた少女が、ふっとこちらに気が付き、駆け寄ってきた。
「アリス!ひさしぶりだね!」
元気よくそう言ったのは、アヴィだった。
「アヴィ……あなたここで何してるの?」
「何って、姫様にお願いされてというか、外にでたかったからこのお家を守るお役目をもらったのよ」
そういいながら、アヴィの視線は、人間になったバースティアに釘づけになった。
「えっと……なんか、すごく姫に似てる子がいますが……ハルベリーさん」
「似ていて当たり前だよ。バースティア本人だからな」
ハルベリーがしれっとそういうと、アヴィは眼を丸くして驚いていた。
「耳も尻尾もないし、魔力も全然かんじないし……アリス、本当にこの子、姫様なの」
「ええ、間違いなく……といいたいところだけど、やっぱり信じられないわよね。あたしもまだ半信半疑なの。メイデェン様ならわかるかもしれないけど」
「そっか……まあ、なにはともあれ、無事だったからいいじゃない。ハルベリーさんもお帰りなさい。ああ、そうだ。今、配給中だったんです。申し訳ないけど、裏からこっそり入ってください。フリードマンさんに伝えてきますから」
アヴィはそういうと、駆け足で人込みの中に戻って行った。ハルベリーたちは言われたとおり、裏口へまわった。
裏口をあけると、フリードマンがおかえりなさいませ旦那様と頭をさげて、出迎えた。
「ただいま。母上は?」
「マリアンヌさまは、王都に行かれたきり、行方がわかりません」
ハルベリーはそうかとあっさりと答えて、アリスとクリスを紹介した。フリードマンは深々と頭をさげ、お世話になりましたと言った。
「それで、そのお小さい方はどなたですか?」
「バースティアだ。魔王との闘いの結果、人間になったんだ。魔力も記憶もなくしてしまってな。だから、俺が育てることにしたんだ」
フリードマンは深いため息を吐く。
「生き物など育てたこともない方が……いえ、旦那様がそうするとおっしゃるのなら、私は何ももうしあげません。お好きになさってください。ただし、当分は子守係をつけられません。日々の配給などで、使用人たちは働き詰ですから」
「わかってるさ。とりあえず、俺の部屋にいくよ。お前は采配が大変だろうから、戻るといい」
「かしこまりました」
フリードマンは一礼してすたすたと去って行った。
「……本当に大公だったんだな。お前」
「ひどいな。信じてなかったのか?」
クリスは苦笑いを浮かべて、頭をかいた。ハルベリーの部屋に入ると、メイドがスープとパンを運んできてくれた。四人で食事を済ませると、アリスは何かしたいと言い出した。
「それなら、アヴィを手伝ってやってくれ。クリスはどうする?」
「できれば、一眠りしたいな」
「じゃあ、俺のベッドで休んでいいぞ」
「いやいや……あれはちょとな。こっちのソファーでいいよ。で、お前はどうするんだ」
「バースティアを故郷につれて行ってくるよ。責任もって育てると伝えておかないといけない人がいるからな。アリスもいっしょに行くか?」
「あたしは、戻りたいときに戻るわ。今はアヴィを手伝うことにする」
わかったといって、ハルベリーはアヴィを呼び、後を頼んだ。
ユスタファムは、ひどい状態だったが、長の家は綺麗に残っていた。きっとあそこだけに結界をはって耐え忍んだのだろう。ハルベリーはバースティアの手を引いて、ゆっくりと建物の中に入った。エントランスには、サリエリがいた。
「ご無事でしたか、ハルさん」
「ああ、サリエリも無事だったんだな」
「はい、片腕をなくしましたがたいしたことはありません」
そうかとハルベリーは答えた。
「メイデェン……セシルはどうしている。話したいことがあるんだが」
「わかりました。どうぞ、こちらへ」
そういってサリエリは地下へとハルベリーたちを案内した。
「人の気配がしないな……」
歩きながら話しかけるとサリエリは、住民は別の村や町にうつしましたと答えた。
「どうして?」
「ここは、姫さまの結界がなければあまり住むのに適した場所ではありませんから」
「そうか……」
「それにしても、小さくおなりになりましたね、姫様は」
サリエリはくすくすと笑った。そうしているうちに懐かしい大きな扉が目に入る。サリエリはノックをして、一人中にはいった。それから、少しして内側から扉がひらく。
「どうぞ、お入りください」
サリエリはにこりと笑う。ベッドの側に椅子が三つ並べてあった。
「記憶がなくなってしまったのですね」
ああとハルベリーはうなずく。耳も尻尾もなくして小さな子どもの姿になったバースティアはハルベリーの膝の上に乗っていた。
「結界が消えたときから、わたしたちの戦いも始まりました。私も重結界を支え続けたので消耗して、今もこのように床に臥せています。これから、ハルベリー様はどうするのですか?」
「バースティアを育てるよ。幸い、まだ俺は大公だからな。養女として育てる。その許可をもらいに来たんだ」
「許可も何もありませんよ。すっかり懐いていらっしゃる」
セシルは嬉しそうに笑った。そして、真剣なまなざしでハルベリーを見た。
「ハルベリー様、どうか姫をお願いいたします」
「セシル……」
「ユスタファムはわずかな獣人を残して、滅びました。ここに住んでいた人間はなんとか、他の村や町に避難民として紛れ込ませましたから……それぞれでなんとか生きていけるでしょう」
「お前たちはどうするんだ」
「ここで静かに終わりを待ちます。獣人は滅びるのが運命と初代メイデェンは預言しました。これはどんなにあがいても、変えようがないようです。姫様はずっと探していたのです。滅ばない術を。けれど、みつからなかった。だから、ユスタファムに先祖がえりを連れて帰り、葬送を続けたのです」
「そうか、なら、もういいのか。お前たちは」
「ええ、もう、私たちの姫はいません。ですから、この小さなお嬢さんをお願いいたします」
セシルは穏やかな笑顔で、バースティアを見つめる。バースティアもその顔とじっと見つめていた。ハルベリーは、ありがとうと言って深く頭をさげた。そして、バースティアを抱えて立ち上がる。
「バースティア、二人にサヨナラっていってごらん」
バースティアは、口を必死に動かしたが、うまくさよならが言えない。そのかわり、目から熱い雫があふれ出した。
「ハル、目が痛い。胸が苦しい……」
バースティアはハルベリーの首にしがみつき、声を殺して泣いた。ハルベリーは帰るのをためらった。バースティアは、本能的にここを離れることに嫌がっているのかと思った。
けれど、セシルは言った。
「泣かないで。あなたはこれからその人のところで、いろんなことをまなぶんですよ。私たちのことは心配いりません」
さあ、どうぞ、行ってくださいとセシルがいうと、サリエリがドアを開けた。
「バースティア、涙を拭いて二人の顔をよく見なさい」
ハルベリーに促されて、バースティアは涙を拭った。しっかりとセシルとサリエリを見る。
「覚えたか?」
バースティアはコクリうなずいた。
「じゃあ、帰ろう」
サリエリがドアの側で、お元気でと笑う。
「貴女たちも元気で……」
ハルベリーは最後までサリエリにはかなわないなと思った。さよならを言わなくていいように、送り出してくれる。もう二度と会うことはないとわかっていても。
この後、獣人への奴隷制度は廃止された。理由は世界の復興の妨げとなるというものだった。そして、百年の後、獣人の間で突然死する奇病が発生し、それは緩やかに彼らを蝕み、獣人という種族の幕を閉じることとなる。それはまだ、ずっと先のことだった。
ー了ー




