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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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抵抗

会談が終わり、カリグラは静かに席を立った。

それを合図にしたかのように、室内で待機していた情報局員たちが一斉に動き始めた。

机の上に広げられていた書類を回収する者、扉の前へ移動する者、カリグラの後方へ控える者。

それぞれが互いに声を掛けることもなく、あらかじめ定められた手順を正確になぞるように行動していた。

その様子を眺めながら、ブレントも椅子から腰を上げた。

長い会談だった。

しかし、得られた情報はほとんどない。むしろ、話を聞けば聞くほど疑問が増えていくばかりだった。

カイに対する異常なまでの関心。

F-15Λの保全を最優先とする不可解な命令。

そして、カリグラが口にした、帝国にとって極めて重要な存在という言葉。

どれもが、ブレントの中に新たな疑念を残していた。

「それでは、我々はこれで失礼します」

カリグラが基地司令に向かって告げる。

「本日は遠方からお越しいただき、ありがとうございました。閣下」

基地司令は深く頭を下げた。

「いえ。こちらこそ、お時間を取らせましたね」

穏やかな口調だった。

先ほどまでカイやブレントに向けていた、あの薄気味悪い笑みも、今は幾分か柔らかく見える。

しかし、ブレントには分かっていた。

この男は、相手によって態度を使い分けているだけなのだ。

カリグラは基地司令との会話を終えると、ゆっくりと身体の向きを変えた。

その視線が、ブレントの方へ向けられる。

「ウェルロッド少佐」

「はい」

「先ほども申し上げましたが、ラグナー中尉と機体の管理については、くれぐれもよろしくお願いします」

「承知しております」

「結構です」

カリグラは満足げに頷いた。

そして、そのままブレントの横を通り過ぎようとした。

ところが、すれ違う寸前になって、ふと足を止める。

「……ああ、そうそう」

何かを思い出したような声だった。

ブレントが顔を向けると、カリグラはわずかに身を屈め、彼の耳元へ顔を寄せた。

「余計なことは考えない方がいいですよ」

囁くような声だった。

周囲の人間には聞こえないほどの小さな声で、カリグラは続けた。

「貴官は優秀な軍人だと伺っています。ですから、無用な問題を起こすことは避けていただきたい。くれぐれも、命令を守ってくださいね?」

その声には、先ほどまでと変わらない穏やかさがあった。

しかし、言葉の意味を取り違えるほど、ブレントは鈍くなかった。

忠告などではない。

明確な警告だった。

それも、こちらが何を考えているのか、すでに察しているとでも言いたげな警告だった。

ブレントは相手の目を見た。

カリグラは笑っていた。

まるで、こちらの反応を確かめることさえ楽しんでいるかのようだった。

「……ご忠告、痛み入ります」

ブレントはそれだけ答えた。

余計なことは言わない。

今ここで感情を露わにしたところで、何の得にもならないことは分かっていた。

カリグラは満足したように身を離した。

「それでは、失礼します」

何事もなかったかのように踵を返し、情報局員たちを従えて部屋を出ていく。

黒いローブの裾が、扉の向こうへと消えていった。

重厚な扉が閉じられる。

その瞬間、室内に張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。

基地司令は大きく息を吐き、近くにいた幕僚の一人へ何かを指示している。

しかし、ブレントには、その声などほとんど耳に入っていなかった。

ただ、先ほど耳元で囁かれた言葉だけが、頭の中で繰り返されていた。

『余計なことは考えない方がいいですよ』

「……クソ」

ブレントは小さく吐き捨てた。

そして、誰にも見られていないことを確認すると、拳を強く握り締めた。

何が命令だ。

何が機体の保全だ。

あいつらは最初から、カイを一人の人間として扱っていない。

少なくとも、ブレントにはそうとしか思えなかった。

カイがどれほどの危険を冒そうと、どれほどの戦果を挙げようと、彼らが気にしているのは機体の状態と操縦者としての能力だけ。

その能力を維持できるのであれば、本人がどれほど傷つこうと構わない。

そんな考えが、あの男の言葉の端々から透けて見えていた。

ブレントはゆっくりと拳を開いた。

爪が掌に食い込み、鈍い痛みが残っている。

しかし、その痛みさえも今はどうでもよかった。

昨夜、資料を読んだときから感じていた疑念が、今になってさらに強くなっている。

幼少期からの記録。

士官学校での成績。

異常なまでの身体能力と飛行適性。

そして、開発番号GRIM REAPERと記された、あの黒い戦闘機。

それらが無関係であるとは、もう考えられなかった。

「……まさか、最初から全部仕組まれていたのか」

口に出した途端、ブレントは自分の考えを否定するように首を振った。

まだ何も分かっていない。

確証もなければ、証拠もない。

それでも、一つだけ確かなことがあった。

あの連中は、カイについて自分よりも遥かに多くのことを知っている。

そして、その情報を意図的に隠している。

「……守るって決めたんだ。今さら引き下がれるかよ」

ブレントは小さく呟いた。

かつての親友に対する義理。

それだけではない。

今、目の前にいる若いパイロットを、得体の知れない計画のために使い潰させるわけにはいかなかった。

しかし、そう決意したところで、具体的に何をすればいいのか。

ブレントには何一つ分からなかった。

そもそも、相手は帝国情報局だ。

軍内部の人事や情報を扱う部署とは訳が違う。国家の中枢に直接繋がり、通常の軍指揮系統とは異なる権限を持つ組織である。

一介の少佐が正面から立ち向かったところで、何ができるというのだろう。

「……ったく、厄介なことになったな」

深いため息を吐き、ブレントは室内を見回した。

そのときだった。

ふと、あることに気がついた。

先ほどまで隣に座っていたはずの人物がいない。

ブレントは周囲を見渡した。

基地司令と幕僚たち。

情報局員が持ち込んだ書類を整理している事務官。

そして、会談に使われたままの椅子。

だが、そこにカイの姿はなかった。

「……おいおい」

嫌な予感がした。

そういえば、カリグラが席を立った際、カイも何の疑問も抱いていない様子で立ち上がっていた。

そして、そのまま情報局員たちと一緒に部屋を出ていったのだ。

「司令!」

ブレントは基地司令の方へ顔を向けた。

「ラグナー中尉はどこへ行ったんです?」

「ラグナー中尉か?」

司令は一瞬、考えるような表情を浮かべた。

「情報局の方々と一緒に出ていったはずだが」

「それは分かっています。どこへ向かったんです?」

「さあな。少なくとも、こちらには何も聞かされていない」

「……そうですか」

ブレントは舌打ちを堪えた。

まさか、情報局の人間と一緒に行動しているとは思わなかった。

いや、カイ自身が何を考えているのかは分からない。

あの青年なら、上官から同行を求められれば、余計な疑問を挟まずに従う可能性は十分にある。

しかし、相手は情報局の副長だ。

何を目的としているのかも分からない連中と、若いパイロットを二人きりにするわけにはいかなかった。

「失礼します!」

ブレントは短く告げると、司令室を飛び出した。

廊下へ出ると、すぐに周囲を見渡す。

情報局員たちの姿はなかった。

「クソッ、どこに行きやがった……」

近くを歩いていた兵士を呼び止める。

「おい、少し聞きたいことがある」

「はっ、何でしょうか」

「さっき情報局の連中が通らなかったか? ラグナー中尉も一緒だったはずだ」

「情報局の方々でしたら、先ほど庁舎の正面玄関から出られました」

「どっちへ向かった?」

「駐機場の方です」

「分かった。ご苦労」

ブレントは礼を言うと、すぐさま歩き出した。

しかし、途中で足を止める。

今から追いかけたところで、情報局の人間に直接接触できる保証はない。まして、相手が何をしているのか分からない以上、無闇に近づくのは危険だった。

それでも、カイの所在だけは確認しておきたかった。

ブレントは駐機場へ続く窓の外を眺めた。

遠くに、黒い専用機が見える。

すでに情報局の人間たちは乗り込んでしまったのだろうか。

しばらく眺めていたが、やがて彼は小さく息を吐いた。

「……今は無理か」

追いかけるのは諦めた。

まずは自分にできることから始めるしかない。

ブレントは踵を返し、管制施設へ続く廊下を歩き始めた。

その足取りは、先ほどまでよりも明らかに重かった。

情報局に接触する機会など、一介の少佐である自分に与えられるはずもない。

軍の人間に尋ねたところで、まともな答えが返ってくるとも思えなかった。

そもそも、基地司令ですらあの様子だったのだ。

あの男が何を知っているのかは分からないが、少なくとも情報局に対して自由に発言できる立場ではないらしい。

下手に聞き回れば、何も知らない人間まで巻き込むことになる。

それだけは避けたかった。

「……となると、どうするかねぇ」

ブレントは歩きながら腕を組んだ。

考えられる手段はいくつかある。

情報局の内部資料を調べる。

上層部に繋がりのある人間を探す。

あるいは、基地司令に直接問いただす。

しかし、どれも現実的ではなかった。

情報局の資料にアクセスする権限などない。

上層部との繋がりもない。

基地司令に聞いたところで、すでに何かしらの圧力を受けている可能性が高い。

つまり、今の自分には正面から調べる方法がないということだった。

「……参ったなぁ」

ブレントは額に手を当てた。

そして、しばらく考え込んだ後、ある人物の顔を思い浮かべた。

カイ・ラグナー。

今回の問題の中心にいる本人である。

(やっぱり、本人に聞くしかねぇか)

単純な話だった。

情報局が何を考えているのか分からないのなら、まずは当事者であるカイが何を知っているのかを確かめればいい。

もっとも、それで全てが分かるとは思っていなかった。

カリグラの口ぶりからすれば、カイと情報局の間には以前から何らかの接点がある。

しかも、三年ぶりの再会だと言っていた。

つまり、士官学校を卒業する以前から、カイは情報局と関わりを持っていた可能性がある。

その間、彼らがどのような関係を築いていたのか。

カイ自身は、どこまで事情を知らされているのか。

それを確かめる必要があった。

(ただ、真正面から聞いたところで、素直に話してくれるかどうか……)

ブレントは小さく息を吐いた。

カイは口数が少ない。

必要なこと以外はほとんど話さず、私生活についても自分から語ることはない。

管制官として接している限り、任務に必要な情報は正確に伝えてくれる。しかし、それ以上のこととなると、こちらから話を振っても短い返答で終わってしまうことが多かった。

まして、今回の件は情報局が関わっている。

本人が事情を知っていたとしても、簡単に話してくれるとは限らない。

そもそも、カイ自身が何も知らされていない可能性だってある。

(……いや、むしろそっちの方が厄介か)

ブレントは眉間に皺を寄せた。

もしカイが何も知らされていないのなら、情報局が彼に何を求めているのかを知る必要がある。

逆に、本人が何かを知っているのなら、どこまで話していいのか判断しなければならない。

どちらにしても、慎重に進める必要があった。

(まずは、普段どおりに接するしかねぇな)

幸い、自分には管制官という立場がある。

任務の確認や飛行後の報告、機体の状態についての聞き取りなら、何ら不自然ではない。

昨日の戦闘についても、まだ確認しておきたいことは残っている。

そこから少しずつ話を広げていけば、何か手掛かりが得られるかもしれない。

焦る必要はない。

少なくとも、相手に悟られないようにすることが先決だった。

ブレントは窓際まで歩き、外の景色へ目を向けた。

基地の駐機場では、整備員たちが忙しなく行き交っていた。

格納庫の前には数機の戦闘機が並び、地上作業員たちがそれぞれの機体の点検を進めている。

遠くでは、輸送機が滑走路へ向かってゆっくりと移動していた。

いつもと変わらない基地の日常。

しかし、ブレントには、その光景がどこか違って見えた。

あの黒い戦闘機が来てから、何もかもが少しずつ変わってしまったような気がする。

そして、その中心にはいつも一人の青年がいた。

「……あいつは、自分が何に乗っているのか分かってるのか」

誰に聞かせるでもなく呟く。

視線の先には、格納庫の奥に駐機しているF-15Λの姿があった。

漆黒の機体表面は朝の光を吸い込むように鈍く輝き、他の戦闘機とは明らかに異なる存在感を放っている。

外見こそF-15の面影を残しているものの、その中身は従来の戦闘機とはまるで異なるものだった。

そして、あの機体には、あまりにも不釣り合いな名前が与えられている。

――GRIM REAPER。

昨夜、最後のページに記されていた文字が、再び脳裏に浮かんだ。

「……ふざけた名前を付けやがって」

ブレントは窓枠に手を置いた。

あの機体は何のために開発されたのか。

なぜカイが選ばれたのか。

そして、情報局は彼に何をさせようとしているのか。

考えれば考えるほど、疑問ばかりが増えていく。

それでも、一つだけ決めていることがあった。

「命令は守ってやるよ。機体も壊させねぇ」

ブレントは静かに呟いた。

「だが、あいつまで好きにさせると思うなよ」

機体を守ることが自分の任務だというのなら、それはそれで構わない。

ただし、その任務の中でカイを守ることまで諦めるつもりはなかった。

機体が無事に帰還すること。

そして、操縦席から一人の人間が降りてくること。

その二つを、必ず守り抜く。

それが今のブレントにできる、唯一の抵抗だった。

彼は窓から目を離し、再び歩き始めた。

まずはカイの所在を確認する。

そして、次に顔を合わせたとき、何気ない会話の中から少しずつ情報を集めていく。

時間は掛かるだろう。

相手は帝国情報局であり、こちらは一介の航空管制官にすぎない。

それでも、何もせずに見ているだけよりはずっといい。

ブレントは自分の部屋へ戻るため、廊下の角を曲がった。

しかし、そのときはまだ知らなかった。

自分が探ろうとしている秘密が、単に一機の試作戦闘機を巡る問題ではないことを。

そして、カイ自身もまた、その秘密の全容を知らされているわけではないということを。

帝国の影に隠された計画は、すでに動き始めていた。

その中心にいる者たちだけが、まだ何も知らないまま。

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