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黒翼の英雄〜羽撃け名もなき空へ 〜  作者: ぺぺ


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知らぬままには戻れない

「う、うそ、嘘だろ……」

声が、自分のものではないように聞こえた。

耳に届いたはずの自分の声が、ひどく遠くから響いてくる。まるで、見知らぬ誰かがすぐ隣で呟いた言葉を聞かされているようだった。ブレントは椅子に腰掛けたまま、目の前に開かれたファイルを凝視していた。机の上には書類が広がり、窓から差し込む朝の光がその表面を淡く照らしている。どこにでもある軍人の個人記録。どこにでもあるはずの、ありふれた書類の束。

それなのに、そこに記された文字の一つ一つが、ブレントの知っている世界を根底から覆そうとしていた。

足元が崩れていくような感覚に襲われる。

実際には、椅子も机も床も、何一つ変わってはいない。背後の壁も、閉じられた扉も、窓の外に広がる基地の景色も、先ほどまでと同じ場所に存在している。何もかもが、あまりにも平然とそこにあった。

変わってしまったのは、ブレントの中にある何かだった。

視界の中心にあるはずの文字列が、ゆっくりと歪みながら波打っている。焦点を合わせようとすればするほど、文字の輪郭が不自然に揺らいで見えた。目の疲れか、それとも極度の緊張によるものなのか。そんなことを冷静に判断できるほど、彼の思考は正常な状態を保っていなかった。

理解しようとするたびに、頭の奥で何かが拒絶する。

読んではいけない。

そう思っている自分がいる。

これ以上、先へ進んではいけない。目の前にある文字を理解してしまえば、もう二度と以前の自分には戻れない。そんな根拠のない確信が、理性の奥底から湧き上がっていた。

だが、それでもブレントは目を逸らさなかった。

逸らすことだけは、絶対にしてはならない。

誰かに命じられたわけではない。司令官から最後まで読めと命令されたわけでもない。軍人としての規則が、彼にそう要求しているわけでもなかった。

それでも、ここで目を逸らしてしまえば、自分は一生この疑問から逃れられない。

だからこそ、ブレントは震えそうになる視線を必死に固定し、もう一度、そこに記された文字を読み直した。

名前は変わらなかった。

何度確認しても、何度瞬きをしても、そこには同じ名前が記されていた。

カイ・ラグナー。

あまりにも明確で、あまりにも残酷な三つの言葉だった。

その姓を認識した瞬間、胸の奥深くに押し込めていた何かが、乱暴に引きずり出された。

ラグナー。

その響きは、ブレントにとって決して知らない名前ではなかった。むしろ、忘れようとしても忘れられない名前だった。

長い軍務の中で何度も耳にし、何度も無線越しに呼びかけ、最後には二度と返事を聞くことができなくなった男の名前。

彼が誰よりも信頼していた、あの男の名前だった。

脳裏に、ひとつの顔が浮かんだ。

無骨な輪郭。戦場で幾度となく死線を越えてきた男らしい、精悍な顔つき。普段はどこか気難しそうに見えるくせに、仲間といるときには不意に年相応の笑みを浮かべることもあった。どれほど危険な状況に追い込まれても、最後まで諦めることを知らず、どれほど絶望的な戦況であろうと、必ず突破口を見つけ出してきた男。

『帝国の鷲』

その名を知らない帝国軍人は、ほとんど存在しなかった。

誰よりも強く、誰よりも速く、誰よりも高く空を駆け抜けた男。敵にとっては悪夢そのものであり、味方にとっては最後まで頼りになる希望だった。彼が出撃すると聞けば、絶望的だった戦況にさえ勝利への期待が生まれた。彼が空にいるというだけで、帰還を諦めかけていた者たちが再び前を向いた。

それほどの存在だった。

そして、ブレントにとっては、何よりも大切な親友だった。

「……なんでだ」

乾いた唇から、かすれた声が漏れた。

自分が何を問いかけているのか、ブレント自身にも分からなかった。誰に向けた言葉なのかさえ、はっきりとはしていなかった。ただ、目の前にある現実を認めることができず、胸の奥から押し出されるようにして、その言葉だけが口をついて出た。

「……どうして」

視線は、書類の上から離れなかった。

「どうして、あの子が……」

その瞬間、過去が遠慮なく押し寄せてきた。

忘れたことなど、一度もなかった。

何度も見せられた写真。任務の合間、管制席の脇に立ち寄ったあの男が、まるで何かの戦果報告でもするかのように差し出してきた、小さな紙切れ。そこに写っていたのは、まだ幼い少年だった。

少し緊張したような表情で、カメラの向こうを見つめている子供。どこかぎこちない笑顔を浮かべ、その隣では、普段の戦場では決して見せないような表情をした男が、不器用に笑っていた。

あの写真を見せられたときのことを、ブレントは今でも鮮明に覚えていた。

その日の任務は、決して楽なものではなかった。出撃前から複数の問題が重なり、作戦終了後も管制室は慌ただしく動いていた。ブレント自身も報告書の処理に追われ、次の任務に備えていた。そんな状況の中、あの男は何の前触れもなく現れたのだった。

いつものように軽口を叩き、いつものように疲れた顔をして、それでも妙に機嫌がよさそうだった。

そして、唐突に写真を差し出した。

『見ろよ、ブレント。俺の息子だ』

その声が、記憶の奥から鮮明に蘇る。

誇らしげで、どこか照れくさそうで、それでも隠しきれない喜びが滲んでいた声だった。

戦場でどれほど冷静に振る舞う男でっても、家族の話になると少しだけ調子が変わった。普段なら決して口にしないようなことまで、ほんのわずかに話してしまう。息子が何を覚えたとか、どんなことに興味を持っているとか、そんな些細な話をするたびに、あの男の表情には、戦場では見ることのできない柔らかさが浮かんでいた。

ブレントは、あのとき何と答えただろうか。

写真を受け取り、少年の顔を眺めながら、何か適当な冗談を言ったはずだった。父親に似ているだとか、将来は大変な操縦士になるだとか、そんなことを口にしたのかもしれない。

細かな言葉までは、もう思い出せなかった。

だが、あの男が笑っていたことだけは覚えている。

軍人としてではなく、一人の父親として。

世界中から恐れられる帝国の鷲ではなく、息子の成長を喜ぶ、ただ一人の父親として。

その姿を、ブレントは確かに知っていた。

「クソ……」

声が震えた。

「クソったれが……」

胸の奥が、強く掴まれているようだった。

肺の周囲を何かが締めつけている。息を吸おうとしても、十分な空気が入ってこない。喉の奥が詰まり、呼吸の仕方そのものを忘れてしまったような錯覚に陥った。

ブレントは反射的に制服の胸元を掴んだ。

指先に力が入り、布地が大きく歪む。

だが、何をしても苦しさは消えなかった。胸を押さえたところで、そこにあるはずの圧迫感が取り除かれるわけではない。息を整えようと意識するほど、かえって呼吸が乱れていく。

目の前の文字が、ひどく遠くに感じられた。

机の上に置かれた書類は、ただの紙だ。そこに記されているのは、名前と数字と、軍人としての経歴にすぎない。紙そのものに、人を苦しめる力などあるはずがない。

それなのに、どうしてこれほどまでに苦しいのか。

どうして、たった一つの名前を見ただけで、長い年月をかけてようやく折り合いをつけたはずの過去が、これほど鮮明に蘇ってくるのか。

罪悪感。

怒り。

困惑。

拒絶。

それらの感情が、互いに絡み合い、区別できないほどに混ざり合っていた。どれか一つを取り出して考えようとしても、すぐに別の感情が割り込んでくる。理屈を組み立てようとすれば、その土台そのものが崩れてしまう。

ブレントは、ただ目の前の名前を見つめることしかできなかった。

(俺には……)

そこまで考えたところで、思考が止まった。

続く言葉が見つからなかった。

俺には何ができる。

俺は何をすればよかった。

俺は、何を見落としていた。

いくつもの問いが浮かびかけては、答えを見つける前に消えていく。頭の中では、さまざまな言葉が渦巻いているはずなのに、どれ一つとして形にならなかった。

ブレントは、もう一度、名前を確認した。

カイ・ラグナー。

何度読み返しても、文字は変わらない。

目を閉じ、数秒間だけ暗闇の中に逃げ込んでから、再び目を開ける。それでも、書類の上に記された名前は消えていなかった。誰かが悪意をもって書き換えたわけでも、目の錯覚でそう見えているわけでもない。

そこにあるのは、確かな記録だった。

その下には、年齢、所属、軍籍番号、これまでの経歴が、整然と並べられていた。

生年月日。

出生に関する記録。

教育履歴。

所属部隊。

階級。

軍籍番号。

必要な情報が、必要な順番に、過不足なく記されている。

何の変哲もない軍人の個人記録。

表面だけを見れば、それ以上のものではなかった。

しかし、ブレントの目は、すでにそんな項目を追うことができなくなっていた。

文字を読もうとするたびに、同じ姓が意識の奥から浮かび上がる。

ラグナー。

ただ、その姓だけが、頭の中を埋め尽くしていた。

「……あいつの、息子……?」

呟きが、静まり返った室内に落ちた。

返事をする者はいなかった。

当然だった。

この部屋にいるのは、ブレントただ一人なのだから。

閉じられた扉の向こうからは、人の足音さえ聞こえてこない。窓の外では、基地のどこかで車両が動いているらしく、低いエンジン音がかすかに響いていた。それ以外には、時計の針が刻む規則正しい音だけが、淡々と時間の経過を告げている。

それでも、ブレントは誰かに否定してほしかった。

何かの間違いだと言ってほしかった。

同じ姓を持つ別人なのだと。

偶然、名前が一致しただけなのだと。

自分は疲れているのだと。

司令官が渡した資料に、何らかの誤りがあったのだと。

どんな理由でもよかった。

何か一つでも、この現実を否定できる材料が欲しかった。

そうでなければ、あまりにも残酷だった。

あの男は、もう帰ってこない。

どれほど待っても、どれほど祈っても、どれほど無線機の前で耳を澄ませても、あの男が再び声を届けてくれることはない。

最後に交わした言葉も、最後に聞いた声も、最後に見た機影も、すべてが記憶の中にしかない。

ブレントは今でも、あの日のことを忘れてはいなかった。

管制席から送り出した、あの男の背中。

出撃前、いつもと変わらない調子で告げられた言葉。

無線越しに聞こえてきた、落ち着き払った声。

どれほど危険な状況でも、必要以上に取り乱すことのなかった、あの男らしい声だった。

ブレントは、その声を最後まで信じていた。

必ず帰ってくる。

何があっても、あいつなら帰ってくる。

今までもそうだった。

幾度となく絶望的な状況を切り抜け、何度も死線を越え、数え切れないほどの仲間を連れて帰ってきた男だった。だからこそ、あの日も同じように帰還するのだと、ブレントは信じて疑わなかった。

管制席から送り出すときも、無線で最後の確認を交わしたときも、その確信に揺らぎはなかった。

帰還を告げる通信が届くはずだった。

いつものように、あの男の声が無線機から聞こえてくるはずだった。

作戦終了を告げる報告があり、ブレントは少しばかり皮肉を交えた言葉を返し、あの男は面倒くさそうに応じながらも、最後には笑ってみせる。

そんな、いつもと変わらないやり取りが続くはずだった。

だが、通信は届かなかった。

待っても、呼びかけても、返事はなかった。

あの男の帰還を告げる通信は、二度と届かなかったのだ。

それなのに。

あの男が残したものは、確かにここにいた。

ブレントの知らないところで成長し、いつの間にか軍人となり、空を飛ぶようになっていた一人の青年。

黒い戦闘機に乗り、何十機もの敵を相手に一歩も引かず、包囲された仲間を救うために迷いなく機首を反転させた青年。

その姿が、否応なく脳裏に蘇った。

初めてカイを見たときの印象は、今でも鮮明に残っている。

無駄な動きがなかった。

余計な言葉もなかった。

周囲の人間に愛想を振りまくこともなく、必要なことだけを淡々とこなしていた。若い操縦士にありがちな虚勢も、己の実力を誇示しようとする態度も、少なくともブレントの目には見当たらなかった。

むしろ、あまりにも静かすぎた。

初めて顔を合わせたときから、どこか妙な違和感があった。年齢にそぐわない落ち着き。人との間に一定の距離を置くような態度。そして、周囲の状況を冷静に見極めながらも、自分自身のことにはほとんど関心を払っていないような印象。

それらは、経験豊富な軍人であれば珍しくない特徴だった。

戦場に長く身を置けば、誰しも多少は変わっていく。

若さを失い、無駄な感情を表に出さなくなり、危険を前にしても冷静に判断できるようになる。生き残るために必要な変化であり、軍人として成長する過程で身につけていくものでもある。

しかし、カイの場合は違った。

まるで、最初から何かを切り捨ててしまっているかのようだった。

ブレントは、その理由を知らなかった。

知らないまま、彼を管制下に置いた。

そして今日、目の前で起きた戦闘を目撃した。

敵機の数は五十機を超えていた。

通常であれば、単独で対処することなど考えられない規模だった。まして、味方の航空隊が包囲されている状況であれば、救援に向かう側にも相応の危険が伴う。複数の敵機に進路を塞がれ、射線を重ねられれば、どれほど優秀な操縦士であろうと無傷で切り抜ける保証はない。

それにもかかわらず、カイは迷わなかった。

味方の危機を知った瞬間、進路を反転させた。

ブレントが何度も制止を呼びかけても、返答はなかった。

状況を説明し、危険性を指摘し、命令として進路を維持するよう求めても、カイは応じなかった。

その沈黙が、今になって別の意味を持ち始めていた。

命令を軽視していたのか。

自分の判断に絶対の自信を持っていたのか。

それとも、他の何かがあったのか。

ブレントには分からなかった。

ただ一つ確かなのは、カイが自分自身の危険をほとんど顧みていなかったということだった。

敵の包囲網へ突入することに、躊躇がなかった。

数の差を前にしても、恐怖を感じているようには見えなかった。

味方を救出した後でさえ、戦果を誇ることも、危険な状況を切り抜けたことを喜ぶこともなかった。

ただ、必要な報告を済ませ、帰投すると告げただけだった。

その姿が、ブレントの記憶に焼きついている。

そして今、彼は理解し始めていた。

なぜ、あの姿に既視感を覚えたのか。

なぜ、あの無謀とも言える行動を目の当たりにしたとき、胸の奥に嫌な予感が走ったのか。

なぜ、カイが敵機を次々と撃墜していく光景を見ても、素直に喜ぶことができなかったのか。

その理由は、目の前の書類に記されていた。

カイ・ラグナー。

帝国の鷲が残した息子。

「……ふざけるなよ」

ブレントは、震える息を吐き出した。

声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。

「ふざけるな……」

誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

死んだ親友に対してなのか。

何も知らず、突然目の前に現れた青年に対してなのか。

それとも、そんな青年を何事もないかのように戦場へ送り出している軍に対してなのか。

もしかすると、そのすべてに向けられた怒りだったのかもしれない。

あの男は、何も語らなかった。

ブレントは親友だったはずなのに、彼の家族について知っていることは、驚くほど少なかった。息子がいることは知っていた。写真を見せられたこともあった。あの男が、息子を大切に思っていたことも知っていた。

だが、それ以上のことは知らなかった。

少年がどのように育ったのか。

どのような教育を受け、何を学び、どのような道を選んだのか。

いつ軍に入ったのか。

いつ空を飛び始めたのか。

そして、いつからあれほどの操縦技術を身につけていたのか。

何一つ知らなかった。

親友の息子が軍人になったことさえ、今日まで知らなかったのだ。

それは、ブレントが知らされていなかったからなのか。

それとも、自分が知ろうとしなかったからなのか。

考えようとするたびに、胸の奥が重く沈んでいく。

今さら何を考えたところで、過去が変わるわけではない。

あの男は帰ってこない。

カイがどのような経緯で軍人になったとしても、父親が生き返るわけではない。

それでも、知らずにはいられなかった。

なぜ、カイがあのような操縦をするのか。

なぜ、自分の命を危険にさらすことを、あれほど簡単に選択できるのか。

そして、なぜ軍は、彼に関する情報をこれほど厳重に隠しているのか。

ブレントは、ゆっくりとファイルへ目を落とした。

先ほどまで視界の中で揺らいでいた文字は、少しずつ輪郭を取り戻し始めていた。呼吸も、まだ浅いながら、どうにか整えられるようになっている。

感情が消えたわけではなかった。

怒りも、困惑も、親友の息子だと知った衝撃も、何一つ解消されてはいない。

ただ、今のままでは何も分からない。

そう理解できる程度には、ブレントの思考が戻ってきていた。

「……読むしか、ねえか」

誰に聞かせるでもなく、彼は呟いた。

その声は、先ほどよりも低く、ひどく疲れたものだった。

ブレントは指先でページの端をつまんだ。

紙が擦れる、乾いた音が室内に響いた。

それだけの音が、今は妙に大きく聞こえた。

彼は一度だけ目を閉じ、息を整えてから、ゆっくりとページをめくった。

次の頁には、さらに詳細な記録が続いていた。

幼少期の記録。

教育履歴。

身体能力に関する検査結果。

飛行適性。

戦闘訓練の評価。

それぞれの項目には、実施年月日と記録者、測定結果、評価内容が細かく記されていた。単に必要事項を記載しただけの書類とは違い、一つ一つの記録が、異様なほど丁寧に整理されている。

ブレントは最初、軍人としての経歴を詳しく記録したものなのだろうと考えた。

優秀な操縦士であれば、通常より詳細な評価が残されていても不思議ではない。特に、帝国空軍が誇る最新鋭機の試験操縦士であれば、能力に関する資料が通常より多くなることも十分に考えられた。

だが、ページを読み進めるにつれて、その考えは少しずつ崩れていった。

記録の量が、あまりにも多かった。

軍に入ってからの訓練記録だけではない。

それ以前の記録まで、詳細に残されていた。

しかも、単発の検査結果をまとめたものではなかった。幼い頃から何年にもわたって蓄積された記録が、時系列に沿って整理されている。成長に伴う身体的変化から、認知能力に関する評価、反応速度の測定、空間認識能力の検査まで、通常の個人記録では見かけないような項目が並んでいた。

ブレントの目つきが変わった。

「……なんだ、これは」

思わず、声が漏れた。

彼は一度、最初の項目へ目を戻した。

読み間違いではない。

書かれている内容は、間違いなくカイに関するものだった。

記録の日付も、年齢も、先ほど確認した個人情報と一致している。別人の資料が混ざっているわけではなさそうだった。

それならば、なぜ、ここまで詳細な記録が必要だったのか。

ブレントは次の項目へ視線を移した。

高高度環境下での反応。

高機動飛行時における耐性。

極限状態における判断能力。

異常なまでの空間認識能力。

通常の操縦士に求められる基準を超えた項目が、いくつも並んでいた。

その評価には、単に優秀であるという言葉だけでは片づけられない、独特の表現が繰り返し使われていた。

一般的な評価基準では測定困難。

既存の比較対象では適切な評価が不可能。

複数回の再測定を実施。

測定環境の変更後も結果に顕著な変化なし。

ブレントは眉間に深い皺を寄せた。

通常の軍人であれば、優秀な成績を収めたとしても、それを評価するための基準が存在する。どれほど能力が高くても、一定の範囲内で比較し、訓練の成果や適性を判断することができる。

だが、この資料に記されている評価は、その前提そのものを疑わせるものだった。

基準を超えているのではない。

基準そのものが、十分に機能していない。

そう受け取れる記述が、いくつも存在していた。

ブレントは無意識のうちに背筋を伸ばした。

先ほどまでの動揺とは異なる緊張が、身体の内側に広がっていく。

これは、単に優秀な操縦士の記録をまとめた資料ではない。

少なくとも、そう考えるには不自然な点が多すぎた。

さらにページをめくると、ところどころに黒塗りの項目が現れた。

文字の上から、太い黒線が何重にも引かれている。数行にわたって内容が隠されている箇所もあれば、項目名そのものが判別できないほど黒く塗り潰されている箇所もあった。

その横には、短い注記が添えられていた。

閲覧制限。

実施機関不明。

承認者記載なし。

情報管理区分については、通常の軍籍資料で用いられる形式とは異なる表記が使われていた。

ブレントは、書類を持つ手に力を込めた。

「……冗談じゃねえ」

低い声が、静かな部屋に響いた。

軍の機密資料であれば、閲覧制限が設けられていること自体は珍しくない。新型兵器の開発記録や、特殊作戦に関する資料であれば、情報の流出を防ぐために厳重な管理が必要になる。

しかし、これは個人の記録だった。

しかも、カイがまだ幼かった頃からの記録である。

軍に入る以前の少年について、これほど詳細な資料が作成され、さらにその一部が厳重に隠されている。

それが意味するものを考えたとき、ブレントの背筋を冷たいものが走った。

誰かが、ずっと見ていたのだ。

カイが少年だった頃から。

彼が何を学び、何を身につけ、どのような能力を示していたのか。

その成長を、長い年月にわたって記録し続けていた。

まるで、いつか彼が軍人となり、戦闘機に乗り、空を飛ぶことになると、最初から分かっていたかのように。

いや、その考えが浮かんだ瞬間、ブレントは自分の思考を止めた。

まだ何も分かっていない。

資料に記録があるというだけで、誰かが意図的に彼を監視していたと断定することはできない。幼少期の検査がどのような経緯で実施されたのかも、記録がなぜ軍に保管されているのかも、現時点では何一つ明らかになっていなかった。

だが、疑問を打ち消すには、あまりにも不自然な記述が多すぎた。

ブレントは、黒塗りされた項目の一つをじっと見つめた。

その下に、わずかに文字の端が残っている。

何らかの名称らしきものだったが、塗り潰された部分が多く、読み取ることはできなかった。無理に判読しようとしても、かすかな文字の痕跡が見えるだけで、意味のある情報にはならない。

彼は舌打ちをした。

「何を隠してやがる……」

答えは、当然ながら書かれていなかった。

ブレントは、黒塗りの項目を飛ばして先へ進んだ。

そこには、訓練記録がまとめられていた。

操縦訓練。

編隊飛行。

模擬戦闘。

緊急事態への対応。

通常の航空士が受ける訓練内容と共通する項目も多かったが、評価欄には、やはり通常とは異なる記述が繰り返されていた。

反応時間の短縮。

複数目標への同時対応。

状況変化に対する即応性。

不利な条件下での戦術的判断。

どの項目を見ても、単純な技術の高さだけを評価しているわけではなかった。むしろ、訓練環境が複雑になるほど、カイの能力が際立つような記録が並んでいた。

ブレントは、思わず小さく息を吐いた。

操縦技術が優れているだけなら、まだ理解できる。

訓練を積み重ね、経験を蓄積し、反復によって技術を磨けば、優秀な操縦士へ成長することは可能だ。天性の才能に恵まれた者であれば、通常より短い期間で高い技術を身につけることもある。

だが、カイの記録は、それだけでは説明できなかった。

単純な操作技術に加えて、判断の速さや状況把握能力まで、繰り返し高く評価されている。しかも、その評価は一度きりではなく、異なる時期、異なる条件で行われた検査においても維持されていた。

何か一つの能力に突出しているのではない。

空を飛ぶために必要な、さまざまな能力が、生物の枠組みを超え異様なほど高い水準で揃っている。

ブレントは、その意味を考えようとして、すぐに思考を中断した。

今は、推測だけで結論を出すべきではない。

資料には、まだ続きがある。

彼は、震えの残る指でページの端をつまみ、ゆっくりとめくった。

そこから先には、カイの戦闘記録が並んでいた。

訓練時の異常な成績。

模擬戦闘における圧倒的な勝率。

通常の操縦者では対応が困難とされる機動への適応。

複数の敵機を相手にした際の判断と行動。

そして、実戦投入後の記録。

ブレントは、その項目を見た瞬間、指先を止めた。

今日の戦闘についても、記録が存在していた。

出撃時刻。

交戦開始時刻。

確認された敵機の数。

味方航空隊の状況。

カイが進路を変更した時刻。

敵編隊への突入。

交戦中に確認された機動。

敵機の撃墜数。

そして、帰投時の機体状態。

そのすべてが、すでに一つの戦闘記録として整理されていた。

ブレントは、しばらくの間、何も言わずに書類を見つめていた。

自分が管制席で目撃した出来事が、文字として並んでいる。

無線で交わした通信も、彼が制止を呼びかけたことも、カイがそれに応じなかったことも、交戦の経過も、すべてが記録されていた。

あのときの緊迫感も、管制席に張りつめていた空気も、味方機の危機を知ったときの焦燥も、書類の上では淡々とした記号と数字に置き換えられている。

そこには、感情など存在しなかった。

ただ、事実だけが並んでいた。

ブレントは、乾いた笑いを漏らした。

「……はっ」

笑い声は、ひどく短かった。

自分でも、なぜ笑ったのか分からなかった。

おかしかったわけではない。

驚きを通り越して、笑うしかなくなったのかもしれない。

「何から何まで……最初から知ってやがったのか」

呟いた声には、抑えきれない皮肉が滲んでいた。

今日の戦闘は、彼らにとって特別な出来事ではなかったのだろうか。

五十機以上の敵を撃墜したことも。

単独で敵の包囲網へ突入したことも。

味方を救うために危険を顧みず、何度も進路を変えたことも。

そして、管制官からの制止を無視して戦闘を続行したことも。

すべてが、あらかじめ想定されていたのだとしたら。

ブレントの背筋に、再び冷たいものが走った。

記録されているということは、少なくとも誰かが、その行動を分析する準備をしていたということになる。今日の戦闘が始まる以前から、カイの能力について一定の情報が集められていたことは間違いない。

だが、どこまで知っていたのか。

どこまで予測していたのか。

そして、なぜ、その情報が現場の管制官である自分に一切伝えられていなかったのか。

ブレントは、書類をめくる手を止めた。

彼は今日、カイの行動を見て、危うさを感じていた。

あまりにも躊躇がなかった。

敵機の数を前にしても、進路を変えることを恐れなかった。

味方を救うために飛び込んでいくときも、帰還できる保証など、どこにもなかったはずだった。

それなのに、カイは迷わなかった。

その行動が、単なる勇敢さによるものなのか、それとも別の理由があるのか。ブレントには判断できなかった。

だが、軍がその性質を把握していたとすれば、話は変わってくる。

彼らは、カイがどのような判断を下すのか、どのような状況で能力を発揮するのか、どこまで危険な行動を取るのか、そうした情報を事前に持っていた可能性がある。

それにもかかわらず、現場にいる者たちには何も知らされていなかった。

管制官である自分にも。

同じ空を飛ぶ操縦士たちにも。

そして、おそらく、カイ自身にさえ。

ブレントは、ゆっくりと目を閉じた。

司令官の顔が、脳裏に浮かんだ。

あの老人は、この資料を読んでいた。

間違いなく、読んでいたはずだった。

だからこそ、あんな顔をしていたのか。

だからこそ、あれほど歯切れの悪い説明しかできなかったのか。

そして、だからこそ、これを自室で読むように命じたのか。

ブレントは、司令官が最後に口にした言葉を思い出した。

『これを読んだことを後悔している』

あのとき、ブレントはその言葉の意味を理解できなかった。

資料を読んだところで、何が変わるというのか。カイの正体について多少の情報を得られるだけなら、そこまで深刻に受け止める必要はないのではないか。そんな疑問さえ抱いていた。

だが、今なら分かる気がした。

あの言葉には、嘘がなかった。

司令官は、単に情報を秘匿したがっていたのではない。

この資料に何が記されているのかを知っていたからこそ、ブレントがそれを読むことを恐れていたのかもしれない。

あるいは、読んだ後で、自分と同じような反応を示すことを予想していたのかもしれない。

ブレントは、ゆっくりとファイルを閉じかけた。

もう十分だった。

これ以上、読み進めたくなかった。

今まで知らなかったことを知るたびに、カイという青年が、これまで自分が考えていた人物像から遠ざかっていく。彼がどのような人間なのか、何を考えているのか、なぜあのような行動を取るのか。その答えに近づいているはずなのに、理解できることよりも、分からないことの方が増えていく。

そして何よりも、彼が帝国の鷲の息子であるという事実が、すべての疑問に重くのしかかっていた。

もし、カイがただの優秀な若い操縦士であったなら。

もし、彼の父親が、縁者が、ブレントにとって、このノルヴァイン帝国という国において特別な存在ではなかったなら。

ここまで動揺することはなかったのかもしれない。

だが、そうではなかった。

あの男の息子だった。

ブレントが信頼し、共に戦い、最後には帰還を信じながら失った親友。その男が残した子供が、今、自分の管制下で空を飛んでいる。

その事実だけでも、受け止めるには十分すぎるほど重かった。

まして、軍が彼の幼少期から詳細な記録を残していたとなれば、簡単に割り切れるはずがなかった。

ブレントの指先が、ファイルの表紙に触れたまま止まった。

閉じてしまえば、ここで終わりにできる。

少なくとも、今は。

知らなければ、これ以上苦しまずに済むかもしれない。

司令官の言葉を聞き流し、必要な任務だけをこなしていけばいい。カイの操縦を支え、機体を無事に帰還させる。それだけを考えていれば、余計な疑問に振り回されることもない。

軍が何を隠していようと、カイがどのような過去を持っていようと、現場の管制官にできることは限られている。

それならば、知らないままでいることも、一つの選択なのかもしれなかった。

ブレントは、しばらくその姿勢のまま動かなかった。

閉じかけたファイルの隙間から、書類の端が覗いている。

そこには、まだ読んでいない記録が残されていた。

彼は、ふと自分の手を見た。

何度も操縦士を送り出してきた手だった。

出撃前の確認を行い、無線を通じて命令を伝え、戦場の状況を把握し、必要な情報を操縦士たちへ送り続けてきた手。戦況が悪化すれば、少しでも生存率を高めるために最善の判断を探し、危険な状況に置かれた者がいれば、何としてでも帰還させようとしてきた。

その中には、二度と帰ってこなかった者たちもいた。

そして、その中には、あの男もいた。

ブレントは、あの男を失ってからも、管制官として空を見続けてきた。

過去を忘れたわけではない。

悲しみが消えたわけでもない。

それでも、再び空へ向かう者たちを支えなければならなかった。自分が立ち止まってしまえば、次に出撃する者たちを誰が導くのか。誰が危険を知らせ、誰が帰還への道を示すのか。

だから、彼は管制席に座り続けてきた。

それが、自分にできることだったからだ。

ならば、今はどうなのか。

カイが、あの男の息子であると知ってしまった今。

彼が幼い頃から、何者かによって詳細に記録されていたと知ってしまった今。

軍が彼について何かを隠している可能性を知ってしまった今。

それでも、自分は何も知らないふりをして、彼を空へ送り出せるのだろうか。

彼が危険な行動を取ったとき、ただ命令を伝えるだけでいいのだろうか。

彼が帰還しなかったとき、また同じように、無線機の前で最後の通信を待つことになるのだろうか。

その想像が、胸の奥に鈍い痛みをもたらした。

ブレントは、ゆっくりと息を吐いた。

「……くそ」

今度の声には、先ほどまでの激しい怒りはなかった。

代わりに、深い疲労と、どうしようもない苦さが滲んでいた。

彼はファイルを閉じるのをやめた。

指先に力を込め、再び表紙を開く。

まだ終わっていない。

ここまで読んでしまった以上、途中で目を逸らすことはできなかった。都合の悪い部分だけを見なかったことにしても、目の前の現実が変わるわけではない。

何より、カイは今も空を飛んでいる。

今日の戦闘が終わったからといって、彼の任務がなくなるわけではない。明日になれば、また出撃命令が下るかもしれない。次の戦場では、今日以上に厳しい状況へ追い込まれる可能性もある。

そのとき、自分は彼を支えなければならない。

それが、管制官としての責任だった。

そして、もし彼が本当にあの男の息子であるならば。

ブレントには、もう一つだけ、どうしても知りたいことがあった。

なぜ、カイはあれほどまでに自分の命を顧みないのか。

何を考え、何を抱え、どのような思いで空を飛んでいるのか。

父親を失ったことが、彼に何を残したのか。

それを知るためには、まず、この資料を最後まで読む必要があった。

ブレントは、もう一度、書類の端をつまんだ。

指先はまだわずかに震えていた。

それでも、今度は躊躇しなかった。

彼はページをめくった。

そこには、ひときわ大きな文字で記された項目があった。

これまでの記録とは明らかに異なる書式だった。

文字の大きさも、配置も、余白の取り方も、通常の個人記録とは違っていた。項目の前後には、他のページでは見られなかった区切り線が引かれ、書類の上部には、閲覧に関する注意事項が記されている。

その項目の周囲だけ、異様なほど整然としていた。

まるで、それまでの記録すべてが、この先にある内容を説明するために存在していたかのようだった。

ブレントは、目を細めた。

文字を追おうとした。

しかし、最初の数文字を認識したところで、身体が硬直した。

指先が止まる。

喉の奥が、再び乾いていく。

呼吸が、ひどく浅くなった。

これまでの記録を読んでいる間にも、何度か嫌な予感はあった。幼少期からの異常なまでに詳細な資料。通常の評価基準では測定できないという記述。何者かによって隠された項目。そして、今日の戦闘記録さえ、すでに整理されていたという事実。

それらを見ているうちに、ブレントの中では、ある一つの疑念が少しずつ形を取り始めていた。

この資料は、単にカイの過去を記録したものではない。

彼がどのような人間なのかを知るためだけのものでもない。

もっと別の目的がある。

そう考え始めていた。

そして、今、目の前にある項目は、その疑念をさらに強くするものだった。

ブレントは、しばらく動けなかった。

窓の外から、遠く航空機のエンジン音が聞こえてきた。

低く、重い音だった。

基地のどこかで、次の任務に備えた機体が動き始めているのだろう。整備兵たちが準備を進め、地上要員が必要な確認を行い、操縦士たちが出撃に向けて支度をしている。

ここでは、何も変わっていない。

基地はいつもどおり動いている。

誰もが自分の任務をこなし、次の戦闘に備えている。

その一方で、ブレントの前には、これまで知らなかった現実が開かれていた。

彼は、ゆっくりと唇を開いた。

「……俺には、何ができるってんだよ」

喉の奥から絞り出した声は、ひどく小さかった。

誰に向けた問いなのか、自分でも分からなかった。

司令官に向けたものなのか。

すでにこの世にいない親友に向けたものなのか。

それとも、何も知らずにここまで来てしまった、自分自身に向けたものなのか。

答えはなかった。

当然だった。

この部屋には、誰もいない。

かつて、どれほど困難な状況にあっても、無線の向こうから答えを返してくれた男は、もういない。何を相談しても、最後には自分なりの答えを見つけ出してしまうような、あの男は帰ってこない。

今、ブレントの前にあるのは、無言の書類だけだった。

そこに答えがあるのかどうかも分からない。

この先に、どれほど恐ろしい事実が記されているのかも分からない。

それでも、彼は読むしかなかった。

ブレントは、震える手をゆっくりと机の上へ置いた。

指先が木製の天板に触れ、冷たい感触が伝わってくる。その感触を確かめるように、彼は一度だけ指を動かした。

現実を確かめるためだったのかもしれない。

自分がまだこの部屋にいて、目の前の資料を読んでいるのだと、改めて認識するためだったのかもしれない。

彼は深く息を吸い、時間をかけて吐き出した。

乱れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

胸の奥にある痛みは消えなかった。

怒りも、困惑も、親友の息子だと知った衝撃も、何一つ消えてはいなかった。

だが、それらを抱えたままでも、先へ進むことはできる。

今まで何度も、そうしてきた。

戦場では、感情が整理されるのを待っている余裕などなかった。悲しむ時間も、怒る時間も、恐怖に立ち尽くす時間も、いつだって限られていた。

必要な判断を下し、必要な情報を伝え、目の前にある任務を遂行する。

それが、ブレントの仕事だった。

そして今、彼が果たすべき仕事は、目の前の資料を最後まで読むことだった。

彼は再び、書類へ目を落とした。

今度こそ、目を逸らさなかった。

たとえ、その先に何が記されていようとも。

たとえ、読み終えた後で、自分が何を知ってしまったのかを後悔することになろうとも。

少なくとも、知らないままカイを空へ送り出すことだけは、もうできなかった。

ブレントは、指先でページの端を押さえ、ゆっくりと文字を追い始めた。

窓の外では、基地の一日が何事もなく進んでいた。

整備兵たちは機体を整備し、管制官たちは次の出撃に備え、パイロットたちはそれぞれの任務へ向かっている。遠くから聞こえる車両の走行音も、格納庫で響く工具の音も、いつもと変わらない日常の一部だった。

その中で、ブレントだけが、時間の流れから取り残されたように感じていた。

目の前の書類は、静かに机の上へ広がっている。

そこに記された文字は、何も語らない。

それでも、その一つ一つが、彼の知らなかった過去へとつながっていた。

親友が残した息子の記録。

少年だった頃から積み重ねられた、異様なまでに詳細な検査結果。

通常の軍人の個人記録とは明らかに異なる、不可解な評価。

そして、そのすべてを覆い隠すように配置された、黒塗りの項目。

ブレントは、その意味をまだ理解できていなかった。

ただ、この資料が単なる軍籍記録ではないことだけは、もう疑いようがなかった。

彼は、もう一度だけ、書類の上に記された名前を見た。

カイ・ラグナー。

あの男の息子。

自分が知らない間に成長し、自分が知らない間に空を飛び、自分が知らない間に、誰にも理解されない何かを背負わされていたかもしれない青年。

ブレントは、その名前から目を離さなかった。

そして、静かに次の項目へと視を移した。

この先にあるものを知るために。

自分が何を知らされずにいたのかを確かめるために。

そして何よりも、次にカイと顔を合わせたとき、ただ彼の操縦技術だけを見るのではなく、一人の人間として向き合うために。

ブレントは、再び資料を読み始めた。

今度は、何が書かれていても目を逸らさないと決めていた。

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