見えざる敵
案内された会議室は、帝国大使館の内部に設けられた施設の中でも特に広い部屋だった。
窓は一つもなく、外の王都の景色を完全に遮断した無機質な空間には、余計な装飾など一切存在していなかった。
部屋の中央には長大な会議机が置かれ、その周囲には何脚もの椅子が並べられ、正面の壁には人間数人が並んでも余裕があるほど巨大なスクリーンが設置されていた。
男が指定された椅子へ腰を下ろした直後、室内の照明が僅かに落とされる。
それと同時に、正面の巨大なスクリーンへ淡い光が走り、次々と通信映像が表示されていった。
画面に映し出された顔を確認するなり、男は大きく息を吐いた。
そして開口一番、いつもの調子で口を開く。
「よぉ、ジジイ共」
途端に、複数の画面から同時に深いため息が聞こえてきた。
「相変わらず口が悪いな」
「久しぶりに顔を合わせて最初の言葉がそれか」
「少しは大人しくできんのか、お前は」
画面の向こう側に映っていたのは、帝国陸軍、海軍、空軍をそれぞれ率いる将官たちだった。
軍服の肩には幾つもの星章が並び、その胸元には数え切れないほどの勲章が飾られている。
帝国軍の意思決定に関わる中枢そのものが、この一室へ集められていた。
だが、そんな錚々たる顔ぶれを前にしても、男はまるで緊張する様子を見せなかった。
むしろ昔から知っている相手と話すような気軽さで、椅子へ深く身体を預けている。
そのときだった。
画面の端に映った一人の老人へ、男の視線が止まった。
「……教官、どうして」
そこにいたのは、士官学校でアレンと再会した老人たちだった。
戦場から戻ってきた教え子たちを見送り、今なお軍に残る者たちを支えてきた古参の軍人たち。
その姿を見た瞬間、男の表情に僅かな驚きが浮かんだ。
「あ?」
呼ばれた老人が眉をひそめる。
「ワシらも連れてこられたんじゃよ」
別の老人も不機嫌そうに腕を組み、画面の向こうで椅子へ身体を預けた。
「こんな会議に駆り出される歳じゃないんだがな」
「お互い歳食ったな」
男は苦笑した。
「こうして一ヶ月も経つ前に再会することになるとはな」
「ワシらも、次に会うのはラグナーを連れ戻したときかと思っとった」
その言葉を聞いた男は、僅かに視線を落とした。
「残念ながら、まだだ」
男はそう答えると、椅子へさらに深く腰掛けた。
その声からは軽さが消え、再び本来の目的へ意識を切り替えたことが分かる。
「どうだ、ラグナーの足取りは分かったのか」
空軍元帥が尋ねた。
「あぁ、ある程度はな」
男は短く答える。
カイ・ラグナー。
黒翼。
その名前が出た瞬間、室内にいる誰もが表情を僅かに変えた。
この場にいる者たちは全員、ラグナーという男が帝国にとってどれほど大きな存在だったのかを知っている。
「それより、どうなってんだ」
男の声が低くなった。
その瞬間、会議室の空気が変わった。
先ほどまで存在していた僅かな軽口も消え、画面の向こうにいる将官たちが一斉に男へ視線を向ける。
男の目からも笑みが消えていた。
「旧ヴェルテクス連邦の諜報部なんて連中が、どうして出てくる」
誰も口を挟まなかった。
男は椅子の背へ身体を預けたまま、スクリーンに映る将官たちを一人ずつ見渡していく。
「ワルプルギスなんてもっての他だろ」
その名前が出た瞬間、画面越しに何人かの将官が僅かに顔を見合わせた。
先ほど大使館で聞いた情報が、単なる偶然ではないことを改めて感じさせる反応だった。
「現在、目下捜索していると伝えられたはずだが?」
陸軍大将が静かに答えた。
しかし、男は首を横へ振った。
「だから聞いてるんだよ」
低い声だった。
「俺たちの追跡情報が分かる人間は限られている」
その言葉に、誰も反論しなかった。
男は机の上へ肘を置き、組んだ指を見つめながら続ける。
「それなのに、俺たちがどこへ向かったのか、どこで何を調べているのか、妙に正確に連中へ伝わっている」
室内には静寂だけが残った。
「この中に居るんじゃないか?」
その一言が落ちた瞬間、空気が完全に凍り付いた。
誰一人として動かなかった。
誰一人として口を開かなかった。
スクリーン越しに並ぶ将官たちの表情にも、明らかな緊張が走っている。
もし本当に帝国軍の内部から情報が漏れているのなら、それは単なる機密情報の漏洩などでは済まされない。
帝国が追跡している男の情報を敵へ流しているということは、戦争の後にようやく築かれた信頼そのものを踏みにじる行為だった。
何より、それはカイ・ラグナーへの裏切りだった。
ラグナーと共に戦い、同じ空を飛び、同じ戦場で命を懸けて戦った者たちへの裏切りでもある。
そして、戦争の中で命を落としていった仲間たちへの裏切りでもあった。
「あの戦争を生き延びた者たちが、今さら同じことを繰り返すとは思いたくないがな」
男はそう呟いた。
陸軍大将が静かに口を開いた。
「我々が彼に仇なすと、そう言っているのか?」
男はその言葉を聞き、陸軍大将へ視線を向けた。
「言ってない」
短い返答だった。
数秒の沈黙が流れる。
「だが、可能性の話をしてる」
男の言葉には一切の遠慮がなかった。
海軍大将が腕を組み、低い声で答える。
「恩を返すことはあっても、仇なすことはない」
その言葉には、この場にいる誰もが否定できない重みがあった。
ここにいる者たちは知っている。
彼が何を成したのか。
彼が何を守ったのか。
そして、彼らが何度帝国を救ったのか。
彼らがいなければ、帝国そのものが今も存在していたかどうかさえ分からない。
それほどまでに、あの二人が残した功績は大きかった。
男はしばらく何も言わなかった。
スクリーンに映る将官たちを一人ずつ見つめ、何かを確かめるように沈黙を続ける。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「なぁ、一つだけ言っておく」
全員の視線が男へ集まった。
男は椅子へ深く腰掛けたまま、静かに言葉を続ける。
「カイとアレンになんかあったら」
その声は静かだった。
怒鳴っているわけでもない。
机を叩いているわけでもない。
それでも、その場にいた誰もが、怒鳴り声よりも重いものを感じ取っていた。
「俺はお前らを許さねぇぞ」
会議室が完全に静まり返った。
誰も笑わない。
誰も反論しない。
ただ男の言葉だけが、広い無機質な部屋の中に残っていた。
その言葉が意味するところを、ここにいる全員が理解していた。
白翼が本気で敵に回るということ。
帝国軍の中でも屈指の戦闘経験を持つ生き残りが、本気で怒りを向けるということ。
それが単なる脅しではないことを、彼らは誰よりもよく知っていた。
そして、画面の片隅には以前空軍省で男に痛い目を見せられた准将の姿があった。
男の視線がそちらへ向く。
准将の顔色が目に見えて悪くなった。
額には冷や汗が浮かび、姿勢も明らかに硬くなっている。
「おい」
男が呼び掛けた瞬間、准将の肩が大きく跳ねた。
「ひっ」
思わず変な声が漏れる。
その反応を見た男は、僅かに眉を上げた。
「まだ顔色悪いな」
「い、いえ!」
准将は慌てて姿勢を正した。
「そうか?」
「はい!」
「今度はちゃんと話聞けよ」
「は、はい!」
准将は必死に頷いた。
その様子を見て、数人の将官が堪え切れないように吹き出した。
それにつられるように、会議室の空気もほんの僅かに緩んだ。
先ほどまで張り詰めていた緊張が、一瞬だけ和らぐ。
しかし、男の目だけは笑っていなかった。
彼はすでに一つの確信へ近づきつつあった。
カイを追う者たちは多すぎる。
そして、その情報が伝わる速度も異常だった。
一つの組織だけで説明できる動きではない。
旧ヴェルテクス連邦の諜報員。
民間軍事会社。
傭兵団。
そして、ワルプルギス。
それぞれの思惑は違うのかもしれない。
それでも、彼らはなぜか同じ男を追っている。
どこかにいる。
まだ見つかっていない何者かが。
帝国の中で。
あるいは、帝国の外で。
表には姿を現さず、誰にも気付かれないまま情報を繋ぎ、裏側から静かに糸を引いている何者かが存在している。
男はスクリーンを見つめたまま、ゆっくりと目を細めた。
そして、その正体を突き止めることこそが、カイを探し出すことと同じくらい重要なのだと理解していた。
「で、足取りが分かったと言ったが、それはどこだ」
空軍元帥が画面の向こうから身を乗り出すようにして尋ねた。
それまで張り詰めていた会議室の空気が、再び本来の議題へと戻っていく。
男は椅子に深く身体を預けたまま、特に勿体ぶる様子もなく答えた。
「今、俺のいるグリム王国の王都だ」
その言葉を聞いた瞬間、スクリーンに映っていた数人の教官たちが顔を見合わせた。
互いの表情を確認するような視線が交わされるが、そこに驚きが隠しきれていない。
どうやら、その情報は彼らにとって完全に初耳だったらしい。
「……待て」
老人の一人が額へ手を当てた。
嫌な予感を覚えたときにする仕草だった。
「お前、どうやって国外に出た」
「あー……」
男は露骨に視線を逸らした。
その反応だけで、画面の向こうにいる老人たちの表情が一気に険しくなる。
「ちょっと陸軍と海軍に協力してもらって……」
その瞬間だった。
スクリーンの中で、陸軍と海軍の将官たちが示し合わせたかのように一斉に顔を背けた。
誰も男と目を合わせようとしない。
右を向く者。
左を向く者。
天井を見上げる者。
手元の書類へ突然興味を持ったように視線を落とす者までいる。
あまりにも分かりやすい反応だった。
教官たちの額に、見る見るうちに青筋が浮かんでいく。
「……それはどういうことだ」
「……」
男は黙った。
「貴様ら、まさか密入国させたのか」
それでも誰も答えない。
「おい」
「返事をせんか」
それでも返事はない。
男は椅子に座ったまま、画面に映る将官たちの姿を眺めていた。
その顔には、すでに嫌な予感を通り越して面白がっているような表情さえ浮かび始めている。
「国際問題になりかねんぞ!」
ついに老人の怒鳴り声が会議室へ響き渡った。
「バレたら陛下にどう報告するつもりなんだ!」
「いや、それは……」
ようやく海軍大将が口を開いた。
しかし、その声には自信がなかった。
「結果的には、まだバレておりませんので……」
「そういう問題じゃない!」
老人の怒声が即座に返ってくる。
「バレてないからいいという話ではないだろうが!」
「お前たち、何年軍人をやっとる!」
別の教官も机を叩き、画面越しに将官たちを睨み付ける。
帝国軍の最高幹部たちが、まるで士官学校へ戻された新兵のように説教されている光景だった。
男はそれを見ながら、肩を小刻みに震わせていた。
「……お前、笑っとるな」
老人の一人が鋭く指摘する。
「いや、別に」
「笑っとるだろうが」
「気のせいだ」
そう答えているにもかかわらず、男の口元は明らかに緩んでいた。
「完全に笑っとるじゃろうが!」
「いや、だってお前らが勝手に怒られてるからな」
「元を辿れば貴様の国外脱出が原因だろうが!」
「俺一人じゃ無理だったからな」
「だからといって軍を巻き込むな!」
男はさらに肩を震わせた。
完全に笑いを堪えている。
画面の向こうでは、先ほどまで威厳を保っていた将官たちが揃って視線を逸らしていた。
教官たちはさらに頭を抱える。
やがて、その中の一人が長々と息を吐いた。
「ハァ~~……」
深いため息だった。
何かを諦めたような、長年軍人をやってきた人間にしか出せない疲れ切ったため息だった。
そして、これ以上追及しても余計に話が逸れるだけだと判断したのか、老人は強引に話題を変えた。
「……で、アレン君はどうする」
男の表情が少しだけ真面目になる。
「俺がどうにかする」
即答だった。
その返答には迷いがなかった。
「ただ……」
男はそこで僅かに言葉を濁した。
「帰国する算段がないといいますか……」
会議室の空気が止まった。
スクリーンに映る教官たちの表情も固まる。
「……どういうことだ」
老人の声が低くなった。
男は何でもないような顔で答える。
「そこのジジイ共が勝手に準備して、帰国方法を考えてなくて……」
その瞬間、陸軍大将が露骨に視線を逸らした。
海軍大将も何もなかったかのように天井を見上げる。
空軍元帥に至っては、突然咳払いを始めた。
「……回収班を向かわせる予定です」
誰かが小さな声で言った。
「どうやって日程を合わせる」
教官の一人が即座に問い返した。
「それは……」
返答が止まった。
男はその様子を見ながら腕を組む。
「俺も出発前に言ったんですが、聞かなくて」
「……」
「今のところ、どうする気なんだ」
教官が改めて尋ねた。
男は少し考えるように視線を上げた。
そして、至極真面目な顔で答えた。
「その辺の船か飛行機を盗んで逃げようかと」
会議室が静まり返った。
誰も言葉を発しない。
数秒ほど、完全な沈黙が続いた。
やがて老人の一人が椅子から身を乗り出した。
「何を言っとるんだ貴様は!」
その絶叫が会議室を震わせる。
「飛行機を盗むな!」
「船も盗むな!」
「国際指名手配されるぞ!」
男は真顔だった。
「でも帰れないだろ」
「だからといって盗むな!」
「じゃあ密航」
「もっとダメだ!」
即座に返ってきた怒声に、男は少しだけ眉を上げた。
「そうか」
「そうかじゃない!」
「他に方法がないんだよ」
「方法を考えろと言っているんじゃ!」
今度は空軍元帥まで額を押さえた。
「……赤星東方労働者社会主義共和国領を、どうやって抜ける気なんだ」
その問いに、男は少しだけ真面目な顔へ戻った。
「カイが見つかれば、アイツが密入国した手段で帰る予定です」
「……」
「……」
教官たちは揃って頭を抱えた。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
冷静に考えれば、当然のことだった。
民間人であるアレンを一人連れて、国外工作に近い任務へ送り出した。
しかも正式な出国記録は存在せず、現地での行動も極秘扱いになっている。
さらに帰国のための具体的な計画も、出発前の段階ではまともに決められていなかった。
挙げ句の果てには、現地へ行った本人から「船か飛行機を盗んで帰る」という案まで飛び出している。
まともな軍人が聞けば、頭を抱えるどころか、その場で卒倒してもおかしくない話だった。
「お前らなぁ……」
老人の一人が疲れ切った声で呟いた。
「戦争中でも、もう少し計画性があったぞ……」
男は少しだけ考えるように黙った。
そして、ぼそりと答える。
「それはどうだろうな」
その一言に、会議室が再び静まり返った。
誰も反論できなかった。
なぜなら、老人たちも知っていたからだ。
ラグナーが関わる作戦は、昔から勢いと無茶で成立していた。
完璧な作戦計画に従って戦場を進むタイプではなかった。
状況が変われば即座に判断を変え、必要なら規則すら飛び越え、それでも最後には結果を持ち帰ってきた。
だからこそ成功した。
だからこそ、生き残った。
そして、だからこそ周囲にいる人間の胃が壊れるのだった。
男は画面の向こうで頭を抱える老人たちを眺めながら、僅かに笑った。
「まぁ、カイを見つければ何とかなるだろ」
その言葉に、誰も安心できなかった。
むしろ、この男がそう言ったときほど何か余計な問題が起きるのではないかと、全員が同時に思っていた。
会議室には、長い沈黙だけが残った。
「そんなことより、ヤツはグリム王国王都にいるのだな」
空軍の老人が、先ほどまで続いていた帰国方法を巡る騒ぎを切り上げるようにして、本来の議題へ話を戻した。
その声には冗談を許さない真剣さがあり、スクリーン越しに映る将官たちの視線も一斉に男へ集まった。
男は椅子に深く腰掛けたまま、ゆっくりと頷いた。
「あぁ」
先ほどまで浮かべていた軽い笑みは、もう消えていた。
男の表情には疲労こそ残っていたものの、目には明確な警戒と決意が宿っていた。
「それと俺ら以外の追っ手もな」
その一言で、会議室の空気が再び重くなった。
画面越しに将官たちが互いの顔を見合わせる。
先ほどまでの「どうやって帰国するか」という半ば呆れた話とは違い、今度の問題は帝国そのものの安全にも関わる可能性がある。
「まさか、街中で銃撃戦をする気なのか」
陸軍大将が眉をひそめた。
声には明らかな懸念が滲んでいる。
「俺はしたくないんだがなぁ」
男は心底嫌そうな顔をした。
本当に勘弁してほしいと言わんばかりに、椅子の背へ身体を預ける。
「だが、相手がそう思ってくれる保証はない」
その言葉に誰も反論できなかった。
男自身が戦闘を望んでいなくても、追跡している者たちが同じ考えとは限らない。
すでに道中で襲撃を受けている以上、相手が王都でも手を出してこないという保証などどこにもなかった。
「なら、大使館の兵を動かすか」
海軍大将が提案した。
しかし男は、その提案が出た瞬間に即座に首を横へ振った。
「それはやめた方がいい」
「なぜだ」
「連中だけじゃなく、カイにもバレる」
男は机の上へ手を置き、指先で一定の間隔を刻むように軽く叩いた。
「今のアイツは、誰にも見つかりたくないから逃げ回ってる」
男の声は低く、カイの現在の心理を理解しているような響きを持っていた。
「そこへ帝国軍が大々的に動いたら、どうなると思う」
誰も答えなかった。
答える必要もなかった。
答えは明白だった。
帝国軍の兵士が王都の街中へ大量に現れれば、追っ手だけでなくカイ自身にもその動きは伝わる。
そうなれば、ようやく掴みかけた足取りさえ再び消えてしまう可能性が高い。
カイはさらに姿を隠す。
それどころか、今度は王都から別の場所へ移動してしまうかもしれない。
「それに……」
男の目が細くなった。
「また戦争したいなら別だが」
会議室が静まり返った。
「他国で自国の軍隊を動かすなんて、正気の沙汰じゃない」
その言葉に反論する者はいなかった。
たとえ数十人規模であったとしても、軍隊は軍隊だ。
しかも、ここはグリム王国の首都である。
帝国軍の兵士が武装した状態で大規模に行動すれば、単なる外交問題では済まされない。
グリム王国側が帝国による軍事行動と判断すれば、両国の関係そのものへ深刻な影響を与える可能性がある。
最悪の場合、過去の戦争で傷ついた国同士が、再び武力衝突へ引きずり込まれることさえ考えられた。
「だから、俺とアレンで探すしかない」
男はそう結論付けた。
「二人だけでか」
教官の一人が呆れたような声を漏らした。
「あぁ」
男は迷うことなく頷いた。
「相変わらず無茶を言う」
「無茶じゃない」
男は椅子にもたれかかりながら答えた。
「今のところ、一番マシな方法だ」
その言葉には、誰も反論できなかった。
軍を動かせば目立つ。
諜報員を送り込めば準備と時間が必要になる。
そして、カイがすでに誰かに追われている以上、時間を掛ければ掛けるほど状況は悪化する可能性がある。
今すぐ動ける人間は、すでに王都へ入っている男とアレンだけだった。
しばらく会議室には沈黙が流れた。
やがて男が再び口を開いた。
「裏切り者だけ、次に会うまでに突き止めてくれ」
その一言で、空気が変わった。
先ほどまでの冗談混じりの会話とは完全に違っていた。
将官たちは誰一人として笑わず、画面越しに男の目を見つめている。
「追跡情報が漏れすぎている」
男の声は低かった。
「カイを追う連中が多すぎる」
それは単なる偶然では説明できない。
男たちがどこへ向かったのか。
どこで情報を集めているのか。
誰を探しているのか。
それらの情報が、あまりにも正確に外部へ伝わっている。
「偶然じゃないと?」
陸軍大将が尋ねた。
「偶然なら、俺は今頃宝くじでも買ってる」
男は即答した。
その言葉に、何人かの将官が僅かに眉を動かした。
しかし、誰も冗談として受け取ってはいなかった。
「誰かが流している」
「軍内部か」
空軍元帥が腕を組んだ。
「あるいは、その周辺だな」
男は断言を避けた。
まだ犯人が軍内部にいると決まったわけではない。
しかし、少なくとも何らかの形で帝国側の情報へ接触できる人間がいる可能性は高い。
空軍元帥は短く頷いた。
「分かった」
そして、その顔から冗談めいた雰囲気が消える。
「こちらでも徹底的に洗おう」
海軍大将も続けて頷いた。
「こちらも調べよう」
「見つけたらどうする」
男は少しだけ考えた。
それから、静かな声で答えた。
「まず名前を聞く」
「それから理由を聞く」
そこまで言ったところで、男は一度だけ言葉を止めた。
「そして――」
その先を男は口にしなかった。
誰も続きを聞かなかった。
聞く必要がなかったからだ。
男が何を考えているのか、ここにいる全員が理解していた。
ただし、それを実際にどうするかは、裏切り者が見つかったときに決めればいい。
今必要なのは、怒りに任せて動くことではない。
まず敵を知り、情報の流れを止めることだった。
男はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「じゃあ、俺は行く」
「もうか」
教官の一人が驚いたように尋ねる。
「あぁ」
男は短く答えた。
「アレンを待たせてる」
その言葉に、老人の一人が呆れたようにため息を吐いた。
「彼も、本当に災難だな」
男は一瞬だけ黙った。
それから、珍しく苦笑する。
「否定できん」
男自身も、アレンを散々振り回している自覚はあった。
王都まで連れてきた挙げ句、到着した途端に別行動を告げ、そのまま一人で大使館へ来ている。
「帰ったら一杯奢るぐらいじゃ足りねぇな」
「まず無事に帰れ」
老人が静かに言った。
男はその言葉を聞いて僅かに笑った。
「それもそうだな」
そして、会議室の扉へ向かって歩き始める。
数歩進んだところで、背後から声が飛んできた。
「カイを見つけたら連絡しろ」
男は足を止めた。
そして振り返らずに答える。
「気が向いたらな」
「おい」
即座に老人の声が飛ぶ。
男は僅かに肩を揺らした。
「冗談だ」
そう言い残し、男はそのまま扉を開けた。
重い扉がゆっくりと開き、廊下の明かりが会議室へ差し込む。
男の背中がその向こうへ消えていき、最後に扉が静かに閉じられた。
残された将官たちは、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、その沈黙を破るように誰かが小さく呟いた。
「……頼むから、王都で銃撃戦だけは起こさんでくれ」
その言葉に、この場にいた全員が静かに同意した。
誰もが同じことを考えていた。
男とアレンが王都で何か騒ぎを起こさず、無事にカイを見つけて帰ってくること。
それだけが、この場にいる全員の共通した願いだった。
そして会議室に残された巨大なスクリーンには、まだ王都の地図が表示されたままだった。
その地図のどこかに、カイ・ラグナーがいる。
同時に、その周囲には彼を追う複数の勢力が存在している。
誰が味方で、誰が敵なのか。
そして、誰が帝国の情報を外へ流しているのか。
まだ、その答えを知る者はいなかった。
ただ一つ確かなのは、王都で始まった捜索が、すでに男とアレンだけの問題ではなくなっているということだった。
〜お願い〜
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